【桃田 直美/『言葉は触れん』・3】

「おい、待てって!」

 チャッス。しつこい。

 荊ちゃんは無視する。あたしも足を止めずに続いた。

 チャッスが、あたしの肩を強く掴んだ。荊ちゃんに強く言う度胸はないのだろう。

「関係のないやつまで殴ったら、もうただの犯罪じゃん! 頭おかしいのかよ、お前ら!」

 荊ちゃんが足を止める。振り返らず、小さく零した。

「頭おかしいのはあんたやろ」

「ど、どこがだよ」

「秋元メルを襲撃したんは正当か? 報復されて然るべき人間なら、あんな目に遭ってもしゃーない? それはあんたの言う、頭のおかしい犯罪者の理屈やろ」

「……」

「暴力は、何があっても悪や。この世界ではな」

 荊ちゃんの世界は、この世界と違うということだろうか。

 ……それとも、荊ちゃんは自らを悪だと受け入れ、諦めている?

「桃田! お前ならわかるだろ! 目ぇ覚ませよ、転校生に騙されてんだよ!」

「……」

「おい、ブタぁ、答えろってんだよ!」

「今まで、あたしを助けようってする人は誰もいなかったの」

「……なんだよ?」

「誰に相談しても同じだった。『我慢していたら、いつか』『耐えるのが得策』『自分が強くなるしかない』……そんなの、ばっかり」

「……」

「荊ちゃんは違う。行動で、救ってくれた」

「転校生はお前を助けようとしてるんじゃないだろ、単なる暴力魔だ!」

「どうしてそんなこと言えるの? みんな、秋元メルの言いなりだったのに」

「……お前らなんか! 委員長が動けば終わりだからな!」

 チャッスは震える声で、興奮のあまり声を裏返し、捨て台詞を吐いて走り去っていく。

 もちろん、止める者はいない。

「あんたは?」

 荊ちゃんは、あたしと畑さんを交互に見た。別に、いなくなるならそれでいい。

 そう言わんばかりだった。

「もちろん、ついて行く」

 あたしは間髪入れず答える。

 そして、畑さんは小さく頷くだけ。

 彼女は、どうして逃げ出さない?

 木田先生が憎い?

 荊ちゃんに逆らえない?

 わからない。

 もしかして、あたしと同じように荊ちゃんに救いを求めている……?

 あたしにとって、畑さんは邪魔な存在になりつつあった。

「行くで」

「うん!」

「ここからは、距離をあけて行動する。離れて私についてこい」

「うん!」

 声が上ずってしまう。

 荊ちゃん、かっこよすぎる。

 胸がちくちくして、甘く甘く疼いてたまらない。

 あぁ。

 間違いない。あたしは恋をしている。

 両想いじゃなくたっていい。

 もしも明日死ぬなら、荊ちゃんに殺されたい。

 荊ちゃんのためなら、誰を殺したっていい。

 そういう好きだと言ったら、わかってもらえるだろうか?

 しばらく、ふわふわとした気分のまま歩く。うっかり近づいてしまいそうになると、ハッとして、荊ちゃんと距離を取る。そうそう、距離をあけて行動しなきゃ。

 中庭に着くと、人出も増えてきた。

「あの……」

 人混みの中、あたしに声をかけてくる少年がいた。

 中学生くらいだろう。背が低く、四肢は細く、華奢だった。怯えたような落ち着かない目つき。

 少年は、パンフレットとあたしを交互に見て、おずおずと切り出した。

「2年B組はどこでしょうか……」

 大きなマスクをしており、聞き取りづらい籠もった声。まだ声変わりの途中に思える。

 なぜだろう。

 あたしは、この気弱そうな少年に奇妙なシンパシーを覚え、同時に生理的な嫌悪を覚えた。

「それなら、あっちの校舎の二階……」

 ため口か丁寧語か迷ったが、結局語尾を濁す形になった。

 少年は気弱そうな笑みを目元だけで浮かべ、頭を下げて去っていった。

 いけない。荊ちゃんを見失ってしまう。

 あたしたちは、教員たちの準備室がある棟に向かった。

 入れ違いに、教師たちが駆けていく。ロッカーのある離れの校舎の方へ。

 ……既に、秋元メルたちのことが明らかになっているとしたら。

 時間はない。悠長にしていられない。

『お前ら終わりだからな!』

 チャッスは言っていた。

 終わり?

 たまにはいいこと言うじゃん。

 あたしは、荊ちゃんと過ごすを望んでいる。

 ……その覚悟が、あたしにはある。

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