【本橋 荊/『真っ白な炎』・1】

 委員長に迫られた瞬間、私の心は間違いなく疼いた。

『強さを求めている。独りで生きる、確かな力を』

 私が力を求めている?

 違う。

 求めているものがあるとしたら、暴力に伴う快楽。

 痛み。

 すべてを失った私に与えられた、私だけのもの。

 だからといって、あんな集まりに行きたいとは思えない。

 気の迷い。

 そうに決まったぁるわ。

 私は気を鎮めるため、中庭を歩いた。

 各クラスが教室に籠もって文化祭の準備をしている。

 教室のある棟から離れた。

 山中の学園だけあって、静けさの中に、トンビの鳴き声が響いている。

 旋回し、高度を上げていくトンビ。

 もがき苦しみ、堕ちていく私たちをあざ笑う。

 こんな学校で文化祭か。

 外の目を欺く行事に他ならない。

 厳しい学園でも、私たちがさも、学生らしい青春みたいなものを謳歌しているというカムフラージュだ。

 ――ダン。

 自然の音の中に、異質な音が混ざる。

 職員棟の二階あたり。

 ガラス窓が強く叩かれる音。

 反射的に見上げる。

 窓が開いた。

 そこから顔を出したのは……確か、うちのクラスの生徒だ。

「ちょっと、やめて……下……さ」

 少女の声が切れ切れに聞こえる。

 窓から、木田が生徒に絡みつくように抱きしめる。

 そして。

 躊躇うことなく、唇を奪った。

 キスなんてええもんやない。

 粘膜の浸食や。

「……」

 木田と目が合う。

 え、合ったよな?

 やめん。

 隠そうともせんのか。

 何なら『あぁ本橋さん、これは教育の一環なのです。何が悪いんでしょう?』とでも言いたげ。

 開き直ったぁるわけや。

 私は咄嗟に石を拾い、窓の脇の壁に向かって投げた。

「……」

 木田は、再びにこちらを見た。

 焦る素振りもない。

 いつもと同じ、あの偽善的な笑顔。

 むしろ、さらに激しく唇を貪っていた。

「……どうなっとる?」

 あいつは木田の手籠めにされている。何人もいるかもしれない。

 そこまではいい。

 だけど、あの木田の態度はなんや?

 まるで後ろめたさも焦りもない。

 むしろ、勝ち誇っているようだ。

 ――喚いても騒いでも、我々には逆らえませんよ。

 そう言いたいのだろうか。

 窓が閉まり、カーテンが引かれる。

 中で、あの続きが行われている……考えたくもない。

 あんな張り付いた笑顔を浮かべたまま、行為に及ぶのだろうか?

 ゾッとするわ、変質者め。

「……助けたようとしたつもりか? 意味ねーよ、この学校じゃ」

 声。

 高くて耳障り。

「無駄だよ、無駄。いくら何を叫んだところで、『見間違い』『教師をはめようとする不良』、せいぜい、そんなところじゃないか? この学校は、常識なんかありゃしないんだよ」

 なに、誰やったっけあんた?

 というこちらの顔などお構いなし。

 訳知り顔で私に講釈をたれる。

 そうや、秋元メルの取り巻き。名前は忘れたが、チャッスと呼ばれていた。

 チャッスは、勝手に一人芝居を始める。

『畑さん。貴方の未熟な心の叫びが聞こえます。人でなし、と』と、木田の声真似をする。

『そ、そんなことありませぇん』と、しなを作る。

『私はどう思われようと、貴方を導きます。この世界の規範に基づき、約束しよう。貴方を社会の秩序となる女性にするために、粉骨砕身、教育に身を捧げると……』

「……」

 私は黙ってその様子を見つめる。

 チャッスは途端に演技をやめ、咳払いをした。

「なんか怪しいと思ってさ、準備室の前に張ってたんだよ。そしたら、木田と畑の声ダダ漏れでやんの! つかさ、絶対畑も悦んでんだよ。本当に嫌なら、逃げればいい」

「……」

「無駄な正義感は身を滅ぼすぞ。ま、そもそもお前じゃエロ教師たちも寄ってこないか」

 ケラケラと笑う。

 どうでもええ。どうでもよすぎる。

 畑?

 木田?

 男や女や、愛や恋や性欲や、好きや嫌いやなんて深く考えたこともない。

 私は羽が好き。

 羽が大切。

 それ以上、何も考えたことがなかった。

「……随分と親身になってくれて、お優しいことやな。東京も悪ないな」

「そうさ、優しくしてやる」

 チャッスは私の腕を掴む。

 なるほど。洗礼というやつだろうか。

「来い。お前の力を確かめてやる」

「確かめる? 力? よってたかって、超能力者か宇宙人扱いやな」

「委員長の言うような力がお前にあるわけない。力の園に、お前はふさわしくないんだよ」

「つか、どうでもええ」

「……来い!」

 声が震えていた。

 腕を握る力が一層強くなる。

 体格は私よりもいい。

 そんなことだけで優位に立っているつもりなら、人間に向いてない。

 ただの獣と同じで。

「……」

 適当に二、三発殴られてやるか。

 癪やけど。

 別にええ。

 こんな雑魚にやられたと知れば、委員長様もご失望されるやろう。

 下らんことから、さっさと身を引きたい。

 私は、おとなしくチャッスについていった。

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