「父親そっくりだわ」
弥幸は部屋から出ると、襖に背中を預け天井を見上げ、大きく息を吐いた。まるで後悔しているような、諦めたような。複雑な思いが彼の表情から滲み出ている。
胸に溜めていた感情が、吐き出された息に込められていた。
天井に向けられている真紅の瞳は微かに揺らぎ、静かに閉じられる。頭を乱暴にガシガシと掻くと、襖から背中を外し廊下を歩き出した。
弥幸が歩いている廊下には何も置かれていない。せいぜい、廊下を照らすための灯りが壁に等間隔で備え付けられている程度。
スタスタと、迷いなく廊下を進む。突き当りまで行くと曲がり角があり、右に。
どんどん歩みを進めていると、美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。
導かれるように進むと、暖簾がが掲げられている部屋を見つけた。
弥幸は片手ですくい上げ、顔を覗かせた。
「あら、弥幸じゃない、珍しいわね」
「ん」
暖簾の先には大きなキッチン。ガスコンロの前には、着物を着た一人の女性が立っている。
袖が汚れないように紐で括り、白いエプロンを付け、味噌の香りが漂う鍋をかき混ぜていた。
なんの前置きもなく、突如来た弥幸に驚きつつも、横目で見て声をかける。
瞳は弥幸と同じく真紅色、髪は逢花と同じで黒。暖かな微笑みを浮かべる彼女は、なんとなく弥幸と雰囲気が似ていた。
「んー? どうしたの、弥幸」
「え、何が」
「また、昔と同じ顔をしているわよ」
鍋にかけていた火を止め、エプロンで手を拭き、出入り口に立っている弥幸へと近づく。
背丈はほぼ同じで、二人の目が意識しなくても自然と合う。
女性が弥幸の頬に手を伸ばし、軽く添える。温かいぬくもりが頬から伝わり、弥幸は安心したように目を細めた。
「ふふっ、疲れたのかしら。少し辛そうに見えるわよ」
「そんなことはないよ。めんどくさい妖傀が現れただけ」
「お母さんに、貴方の嘘が見抜けないと思うの?」
「嘘なんてついてないよ」
「確かに、嘘ではないわね。貴方は昔から嘘は言わないもの。ただ、人に伝えるって事が苦手なだけなんだものね」
頬から手を離した彼女は、弥幸を引き寄せ大事に抱きしめる。されるがままの弥幸は、一切抵抗することなく彼女の肩に顔をうずめた。
背中をポンポンと、一定のリズムで叩き彼の気持ちを落ち着かせる。すると、波打っていた心臓が次第に落ち着き始め、弥幸は自然と肩に入っていた力が抜けた。
「今まで我慢をしてしまい、想いを吐き出せなくなってしまったのは分かっているわ。大丈夫よ、口に出さなくてもわかるわ。私は、貴方の母親だもの」
笑顔を浮かべ、弥幸を大事に抱きしめる母親。彼も母親の温もりには抗う事が出来ず、何も言わずに背中に手を回し抱きしめ返した。
肩に顔を埋め、表情を隠しながらポツポツと弥幸は、母親に縋るように話し出す。
「精神の核を持っている人を、見つけたんだ」
もごもごと、ぐぐもった声だったがしっかりと聞き取る事が出来た彼女は、目を細め小さく「そう」と零す。
弥幸も小さく頷き、その後は何も言わなくなった。
「もしかして、今部屋で逢花と話している友達のうちの一人かしら」
思い出すように彼女は弥幸に問いかける。すぐに、頷き返答。
「もしかして、髪を下ろしているおっとりしたような方かしら」
「おっとりしているかはわからないけど、髪を解いている方なのはあっているよ」
「そう。あの子が…………」
笑みが消え、遠くを見る女性。弥幸は体を離し、俯きながら小さな声で説明をし始める。
「
「そうだったのね。弥幸は、その子が心配なの?」
彼女からの質問に数秒考え、素直に小さく頷いた。彼の気持ちに彼女は笑顔を浮かべ、微笑みを向ける。
「やっぱり、貴方は優しい子。私の自慢の素敵な子。でも、抱えすぎてしまうのが考えものね」
今の言葉を理解出来ず、弥幸は首を傾げ彼女の目を見る。優しく頬笑みを浮かべている母親の瞳は、彼の全てを包み込むように暖かい。
彼の困惑に気づき、銀髪を撫でながら彼女は言葉を繋げた。
「一人で抱えるには重い事でも、貴方は妹の為、友人の為、家族の為。自分より他の人を優先してしまう。今も諦めていないのでしょう? 貴方の父親と兄の事」
声のトーン少しだけ下がる。過去を思い出し、悲しげに言う母親。弥幸は目線だけを横にずらし、無言を貫いた。
彼の反応に母親は浅く息を吐き、困ったように弥幸の頭を乱暴に撫で回す。
「え、ちょ、なに?」
さすがに困惑の声をあげ、止めようと母親の手を握った。
「ふふっ」と楽しげに笑う彼女は、撫で回されたことにより乱れてしまった彼の銀髪を、今度は整えるように優しく手ぐしを入れた。
「本当に、悪いところだけ似てしまったわね。その諦めの悪さ、父親そっくりだわ」
「うげっ、勘弁して。あんな人と似ているとか、生きているのが嫌になるよ」
「そこまで言えるようになったのなら大丈夫ね。安心したわ」
パッと、弥幸から手を離し、クスクスと笑う。手を口元に添え控えめに笑う彼女の姿に、弥幸も思わず頬が緩み笑みを零す。
笑い合う二人。先程までの重い空気は、二人の笑顔により消えていった。
「さぁてと、弥幸」
「なに、かーさん」
「私は何も出来ないけれど、貴方のことを少しでも楽にしてあげたいの。だから、これから翡翠さんとの関係をどうしていくのか教えて欲しいわ」
「関係?」
「これからはその子を貴方が守ることになるのかもしれないと思ったんだけれど、違ったかしら?」
「あってるけど……、それがなに?」
意味深な母親の言葉に、弥幸は本気で分からず首を傾げる。そんな彼の姿を楽しげに眺め、揶揄うように言った。
「男女なのよ? もしかしたら、将来のお嫁さんになるかもしれっ──」
「ありえないから、やめて」
「あらあら、それは分からないのに。全力で否定なんて、もしかしてもう気があるの?」
「めんどくさいモードになったね。僕はもう部屋戻って寝るよ。ご飯になったら教えて」
「お友達は?」
「逢花に任せた」
「そこは完全に任せるのよねぇ……。妖傀についてはそこまで任せないのに」
「まるっきり違うから」
「そうね」
弥幸は振り返りキッチンを出る。彼の去っていく背中を見つめ、母親は手を振り送り出した。
完全に彼の姿が見えなくなると、振っていた手を下ろし鍋に目線を送る。
鍋の中には、今日の夜ご飯のために作ったお味噌汁が湯気を立て美味しように入っている。豆腐もワカメが味噌味のスープの中で漂っていた。
消した火をつけ、ゆっくりとかき回す。
カシャカシャと音を鳴らす中、彼女は口を結び眉を下げた。
「…………全てをあの子が背負っている現状。早くあの二人の居場所を突き止め、彼らが今やろうとしていることを止めなければ……」
過去を思い出し、眉間に皺を寄せる。握っているおたまに力が込められ、指先が白くなった。
廊下に出た弥幸は、どこにも寄ることなく自身の部屋へと向かい、布団の中に滑り込む。そのまま、真紅の瞳を瞼によって隠した。
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