満州事変
1937年。
とある新聞が大日本帝国をざわめかした。
その新聞の内容は、行方がわからなくなっていた大正天皇と皇太子嘉仁親王(昭和天皇)が満州にさらわれていた事がわかった、と言うものだった。
満州在住の日本に好意的でない過激派の連中が御二方をさらったということらしい。
そして、大正天皇陛下は満州での監禁生活のせいで体調を悪化させ、崩御。
皇太子嘉仁親王は監禁生活によって憔悴しきっていると。
この新聞を読んだ臣民は激怒。
臣民は満州への報復を強く望んだ。
それは軍人並びに政治家も同様である。
そして、1937年。
記者たちの前で鈴木首相は満州に対し必ず報復し、皇太子嘉仁親王を開放すると宣言した。
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まぁ、これは全部僕の作戦でしかないんだけどね。
二人は満州なんかにいない。僕のお膝元でちゃんと何不自由ない生活をさせている。まぁ、二人をさらう時、誰がやったかなんてわからないようにさせているから、最後の方に満州に適当な頃に二人を置いてけば何の問題もないだろう。
とか、他の人に知られたら天皇の座すら危ぶまれる事を考えながら満州へと向かう日本陸軍を見送る。
大日本帝国が満州に宣戦布告することが決まっている。
そのことは全世界の国々が知っていて、今もなお満州政府から謝罪と勘違いの旨を伝える連絡が来ているが、ガン無視である。
日英同盟を結び、オーストラリアとインドへ影響力を持つ日本はドイツに次ぐ世界二位の国である。
そして、一位であるドイツも統治問題を抱えている今、日本を責める国は今やどこにもいない。
堂々と満州を我がモノにできる。
……それにしても、英国への派兵のときもそうだったが今から死ににいく者たちを見送るのはいまだに慣れない。
第二次世界戦時の昭和天皇もこんな思いを抱えていたのだろうか。
まったく。必要なことだと確信しているのだが。ままらないものだな。人の心は。
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日満戦争。
それが終戦するのに一週間程度しかかからなかった。
日本陸軍は戦線を容易く突破。
この戦争には戦車部隊が用いられ、戦車部隊の有効性を確認することができた。
電撃的に進撃し、満州の首都、長春を占領。
それに伴い、満州は日本に対して全面降伏を申し出た。
満州は日本の直轄地として管理されることが決定され、皇太子嘉仁親王は無事保護された。
そして、戦争終結後。
萌絵天皇の指示で満州で大規模な石油探査が行われた。
萌絵天皇の指示通りに石油探査を行った結果、油田を発見。
その油田は萌絵油田と名付けられ、今後大日本帝国軍を潤すことになるだろう。
萌絵天皇の勅諭通り、採油技術を発展させておいてよかった。
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