第105話


 皆を待たせているから、いつまでもこうして抱き締め合えるわけじゃない。

 この時間がずっと続いてくれたらどれだけ幸せだろうか。


 

「‥‥レオン。せっかく2人きりだから‥‥何か喋って」


「え?あ、はい」


 突然のおねだりに、レオンは私を抱き締めたまま小さく笑った。


 体を乗っ取られる前は品行方正且つ、聞き分けが良いとよく言われていたけど‥レオンにだけは我儘になってしまう。

 レオンなら何でも受け止めてくれる気がするからかな。それとも構って欲しくて困らせたくなるのかしら。自分のことなのに、自分の気持ちを分析するのは難しい。


 いつのまにか荒れていた呼吸も落ち着いた。どうせなら濃い時間を作りたい。


「えーっと‥‥じゃあ、話しますよ?」


「‥ええ」


 レオンは一体何を話してくれるのかしら。


 まるで日常の1ページのような会話が、どこか刹那的にも思えて切なくなる。


「‥‥俺‥皇女様が魔女から体を解放されたあと、正直耐えられなくて死を選んでしまうんじゃないかと思っていたんです」


「‥え?!」


 重い話がくるとは思っていなくて思わず声が上擦った。でもそうか、大丈夫だと言ってくれていても、この世に“絶対”なんてないものね。


 未来がどうなってるかなんて誰にもわからない。いくら予想を立てたって、結局のところ明るい未来に繋がって欲しいのだと祈るしかない。


 もしかしたら2人でこうして話せるのも、最後かもしれない。そんなの絶対に耐えられないけれど、可能性はないわけじゃない。


 だから大切な話をしてくれようとしてるのね。



「‥‥元々目で追ってたんです。魔女が体を乗っ取っているとわかっていても」


「‥‥えーっと、それはつまり‥私の容姿が好きということ‥?」


「あー、いや、その、そうなんですけど、そうじゃなくて。“こんなにも美しい人がいるんだ”って思ったのは確かなんですけど。‥魔女が体を開放してから一番はじめに皇女様を見た時にグサッと心にきたんですよね。あぁ、この人はなんて強い人なんだろうって」


 当時レオンは猫として、私にリセット魔法を使わせる為に行動していたのに‥。まさかそんなことを思っていたなんて。


 ‥“魔女の母”を討てない契約をしていたレオンには、中途半端に私を救うような真似が出来なかった。


 レオンはもしかしたら、私が思う以上に葛藤を抱えながら過ごしてきたのかもしれない。



「‥‥‥レオンはフェリシテ様のように人の心を操れるんでしょ?私を操ってしまおうとは思わなかったの?」



 きっとレオンは自分の欲を満たす為だけの魔法は使わない。若夫婦から服を買った時も、魔法を使わずにちゃんと交渉してたもの。


 分かっているのにこんなことを聞いてしまうのは、心のどこかで“ミーナ”のことが引っかかっているからかもしれない。


 あの時レオンは“猫”で、私にリセット魔法を使わせる為にミーナの心を操っていたのよね。


「俺は今まで“騎士”になるまでの過程と、戦いの時にしか人を操ってません」


「‥‥え?!ミーナは?!」



 私がミーナの名前を出すと、レオンは私を抱き締めていた腕を緩めて私の顔を覗き込んだ。


 まっすぐな真剣な瞳。


「‥‥‥俺は魔女の味方だったので、何を言っても皇女様を傷付けてしまうし、言い訳になってしまうかもしれませんが‥ミーナに魔法をかけたのは魔女です。皇女様の体を解放する寸前に、ミーナや離宮全体の人たちに暗示をかけたんです。兎に角すぐにリセットをする状況を作るための工作ですね」


 レオンとミーナが恋仲だったという暗示はレオンがかけたものではなかったのね。


「そうだったの‥?!

‥‥キ、キスとかも、してない‥ってこと?」


 とても聞きにくいことだけどどうしても確認したかった。ギリギリに解放されたということはそんな恋人らしい行為をする時間すらなかっただろうけど‥。

 ミーナは美人なメイドだったから、ミーナがレオンを恋人だと認識して愛を求めてくることもあるかもしれないじゃない。


 レオンがもしも鼻の下を伸ばして“ラッキー”とでも思うような男だったら、私はかなりのショックを受けることになる。


「したと思っているなら心外ですけど。操られてる女性に対してそんなことしませんよ」


 レオンの口先が少し尖ったので、私は慌てて謝った。


「ごめんなさい。つい気になっちゃって‥」



 レオンが猫だった時のことは普段はなかなか掘り下げて聞くことができない。どうしてもレオンの罪悪感をほじくることになってしまうし、空気はやっぱり重くなる。だから気になってても聞けなかった。


「‥‥‥皇女様がはじめてですよ」


 私の額にレオンの額が当たる。あまりの近さに、なかなか目を合わせることができない。


「‥‥私もレオンがはじめてよ」


 はじめてはレオンだけど、吸血鬼化したバートン卿ともキスをしたことがある。そのことをレオンは多分知らない筈だけど‥‥。


 こうして想いが通じ合う前の話だし、仕方のない状況だったんだけど、何故か心が一気にモヤモヤしてしまう。


 バートン卿も悪くない。そう、バートン卿のせいではない。



 改変前の出来事だから、未来に戻った時には“存在しない出来事”だ。バートン卿が吸血鬼になることだってないんだから。


 改変前の記憶だって消えるかもしれない。そしたら、もう何も残らない。綺麗さっぱりすっきりよ。



 ‥‥‥‥でもそれは、レオンとのキスも同じ。



「‥皇女様?」


「‥‥‥‥キスしたいの」


「っ」



 レオンの瞳が一瞬揺れた。私の髪に指を通すように後頭部に手が添えられる。


 ゆっくりと近づいてきた唇を、目を瞑って受け止めた。




 どうなるかわからない未来は、果てしなく怖い。

だけどどうかこのキスだけは、この想いだけは消えないでほしい。



 静かに、だけど深く。ーー私たちのキスは暫く続いた。

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