第84話



 ーーーどこまでも広がる草原の真ん中で目を覚ました。


 ツー、と滴り落ちる涙を拭いながら起き上がる。ここは一体‥?


「皇女様!!ご無事ですか?!」


 すぐ近くで聞こえたレオンの声に酷く安堵した。レオンは消えてしまう存在なのかもしれないという恐怖心からか、レオンが目の前にいるというだけで特別なことのように感じる。


「レオン‥。ここは‥?過去に飛んだのかしら‥」


 私がそう声を漏らすと、小さく呻くような声がすぐ右隣から聞こえた。


 血に塗れたままのバートン卿だ。


「バートン卿!大丈夫ですか‥?」


 私たちが想像するよりもより多くの時間をかけて、あの王宮から逃げ出してきたのだと思う。

 ぱっくり割れた太ももの傷口が痛々しくて目を背けてしまいそうになる。


「‥大丈夫です」


 痛みを堪えるようにしてそう呟いたバートン卿。レオンはすかさずマントの汚れていない部分に剣で切り込みを入れ、切り裂いた布でバートン卿の傷を止血していた。


「真新しい傷が何個もあります。谷の周辺でも戦っていたんですか?」


「ああ‥王宮で時間を稼いだあと、追われるようにして逃げてきた。魔女の母はそんな私にずっと刺客を送り続けていたから‥」


 私とレオンはバートン卿のおかげで魔女の母との距離があって攻撃を受けてなかったけど、バートン卿はその分相当ダメージを与え続けられながらここまで逃げてきたんだ。


 きっとろくに休むことも傷を癒すこともままならないままの長旅‥。なんて過酷なものだったのだろうか。


「まずはバートン卿の傷を治療できるところに向かいましょう。近くに町はないかしら‥」


 私がそう言うとバートン卿はふるふると首を横に振った。


「大丈夫です。そんなことより、現状を把握することを優先させましょう」


 バートン卿はそう言って立ち上がった。痛みを堪えているのか、あぶら汗が滲み出ている。


 レオンはそんなバートン卿の肩を抱えながら遠くに何かを見つけた。


「あそこに小屋があるようです。情報収集がてら一旦あそこに向かいましょう」


「そうね‥」


 レオンの提案に頷き、3人で小屋に向かって歩いた。


 ーーーいま私たちは一体どこにいて、そしてここは本当に過去なのだろうか。


 小屋に着くとそこには誰もいなかった。様々な薬草が吊るされていたり瓶に詰められていて、難しそうな本が机の上に山積みになっていた。


「ここは薬師の家‥‥?」


 私がそう言うと、レオンも頷いた。


「恐らくそのようですね。バートン卿は一旦こちらに掛けて休んでいて下さい。俺たちで情報収集しますから」


 薬学書のようなものを調べれば今がいつの時代なのかも分かるかもしれない。そう思って本に手を触れた時だった。


「何者だお前ら!」


 突然響いた大きな声に思わず「わっ」と声をあげてしまった。慌てて振り向くと、小屋の入り口には褐色の少女がいた。少女が背負っている篭には沢山の草や花が入れられているようだ。


「勝手に入ってしまいすみません。実は怪我人がおりまして」


 レオンがその少女にそう説明すると、少女はバートン卿を見るなり眉を顰めて駆け寄った。


「はぁ?!なんだよこの兄さん!ボロボロじゃんか!!」


 褐色の肌の少女は太くキリッとした眉が印象的で、その印象どおり言葉も態度もハキハキとしていた。


「‥‥お助け願えますか。金なら払います」


 バートン卿が小さな声でそう漏らすと、少女は当たり前だろ!と大きな声をあげた。



 彼女の名前はジュンと言うらしい。

ジュンさんは瓶や篭に入った草花や実などを手に取ると、土器の中にそれらを入れた。それから何やら歌を口ずさむ様にしながら擦りこぎ棒で潰し始めると、たちまち土器の中が淡く光出していく。


「まさか‥」


 ーーこれは、魔法なんじゃ‥


 私とレオンが目を合わせていると、ジュンさんは大きな笑い声をあげた。


「おいおい、ここが魔女の薬屋だって分かったうえでここに来たんじゃないのかよ」


「魔女の薬屋‥?」


「リビ平原のど真ん中だぞ?この薬屋が目的じゃなかったら何の為にここらに来たって言うんだよ」


 ‥なるほど。ここはリビ平原なのね‥。


「いまの皇帝はアルフレッド皇帝陛下かしら‥」


「はぁ?何当たり前のこと言ってんだよあんた」


 ジュンさんはギャハハと笑いながらバートン卿の傷口に薬を塗りたくっている。バートン卿は時折目を瞑りながら「ぐっ」と声を我慢していた。余程染みるのか、相当痛そうだ。


 ーーリビ平原は昔帝国に存在した平原。今は都市として発展しているから、もう存在しない。

 アルフレッド皇帝陛下の次に即位したアロイス皇帝陛下がこの平原を都市に変えた。アロイス皇帝陛下は弟のカマル皇弟殿下と激しい王位継承戦の末にその座を手に入れた人物。


 カマル殿下は戦いに敗れた後、10数年後に突然王宮に戻り再びアロイス陛下と戦い、そして派手に処刑されることになる。


 カマル殿下が亡くなった直後に当時の皇后陛下も不審な死を遂げだとされているけど、そこらへんの記述は曖昧だった覚えがある。カマル殿下は元々かなり派手で豪快な人で、皇室の中でも特殊な人物だったとされていて‥その為か歴史的資料にはあまり詳細が書かれていない人物だ。


 でも、確かーーー‥カマル殿下が亡くなった頃から魔女狩りが始まったはず。


 カマル殿下の父であるアルフレッド皇帝陛下が今の世を治めているというのなら、今はまだ魔女狩りが始まる前なんだわ‥。

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