第47話


 *その夜の護衛たち。


 ノエルはサマンサが正気に返ったことを確認したあと、少しの会話を交わしてから皇女の部屋を退室した。


 廊下に出るなりホッと息を吐く。

なんでも無いふりをして“吸血”に協力していたけれど、実際ノエルにとっては地獄のような時間だった。


 ノエルは元々深く病んでしまうほどにサマンサに固執していた。サマンサがどれほどまでに苦しい思いをして生きてきたのかを知ってからは、彼女が彼女らしく生きていけるよう、彼女の幸せだけを願うことにした。

 サマンサに手を伸ばしたくなる日ももちろんあったが、自分の身勝手な感情をサマンサに押し付けたくはなかった。

 できればもう二度と辛い思いはしてほしくない。しんどい思いをしている分、サマンサが願うことは全て叶えてあげたい。


 彼女に尽くしたい。その為には何だってする。彼女が心から死を望んでいるのなら、どれほど自分の心が引き裂かれたとしても、それを叶えてあげられる。


 とにかく、ノエルの全てがサマンサの為にある。ノエルは彼女の為に息をしたいと本気で思うような男だった。


 それでも‥


「‥‥‥しんどい‥‥」


 致し方ないこと。本人たちだって好きで理性を飛ばしたわけじゃないと頭では分かってはいるけど‥顔を真っ赤に染めたサマンサの視線の先にいたのはバートン卿。

 彼の唾液や吸血行為によって発情しているのだから当然だろうけど、それでも心が痛くて仕方なかった。


 きっとサマンサの体が魔女に乗っ取られていた頃には、あのままの流れで行為が行われていたのだろう。脳内に勝手に流れてくる生々しい想像をかき消す為に、ノエルは首をふりふりと横に振った。


 身勝手なこの感情は、サマンサの幸せの為だけに生きると決めた時に心の奥底に封印したつもりだった。それなのにその封印はいとも簡単に解けてしまうらしい。


 ーーー“俺の感情はいらない”と、そう思っていてもノエルの心から湧き出てしまう、サマンサの唇を奪ったバートン卿を羨んでしまう気持ち。醜すぎる嫉妬心が、ノエルを心底遣る瀬無くさせた。


 ノエルは何度目か分からない溜め息を吐きながらバートン卿の部屋の扉を叩いた。すぐに扉が開かれて、ノエルよりもゲッソリとした顔のテッドが顔を出した。


 テッドは灰色のパーマがかった髪をしている、潔癖気味な小綺麗な男だ。丸眼鏡から覗く鋭い瞳は、いつもどこか気怠げだが余裕を感じられる瞳だった筈なのだが‥今に限っては力なく虚ろな瞳をしている。


 ノエルでさえ、テッドは綺麗な顔をしているという印象を持っていた。醸し出す雰囲気のせいで近寄り難いが、テッドは十分色男なのだ。‥だが。


「あはは、死にそうじゃん」


「‥‥入ればわかりますよ‥」


 部屋に入ったノエルは絶句した。

破られた壁紙、壊されて羽が飛び散るクッション、粉々に割れて散らばる陶器、ひっくり返された棚‥。


「えー‥縛られててもこれ‥?」


 部屋をこの状態にした犯人は縄で縛られたまま横になっている。恐らく、やっと催淫効果が抜けてきたのかもしれない。苦しそうな呼吸を繰り返しているものの、暴れることもなく大人しかった。


「‥‥‥縛られたうえに、私が後ろから抑え続けた結果がこれです‥。音が鳴ったらメイドたちも気付いてしまうので、何度も自分の足を犠牲にしましたよ‥」


「うわぁ」


 サマンサとノエルがこの部屋から出て行った後、バートン卿は一体どれほど暴れ回ったのだろうか。むしろここまでの力があるのであれば、サマンサにもっと暴力的に性を吐き出そうとしてもおかしくなかったかもしれない、とノエルは思った。


 バートン卿はキスをしたけど、きっとそれでも暴れてしまいたい程の欲求を何とか必死に抑えていたのかもしれない。


「‥‥バートン卿、テッド‥お疲れ様」


 ぐったりしたバートン卿を見れば、彼がいかに苦しみ悶えていたかが想像つく。


 嫉妬してしまった自分が馬鹿みたいだ。ノエルは心の中で先程までの自分を小さく笑った。


「‥‥‥これ月一は‥しんどいですね‥‥」


「でも俺たちが介入しないと、皇女様の体が守れないからね~」


「もちろんそこは絶対に死守しますが」


 虚だったテッドの瞳に力が宿った。


「‥‥‥‥2人とも‥‥すまない‥‥」


 突然床から弱々しく枯れた声が聞こえてきた。ノエルとテッドは驚いて肩を震わせたが、その声の持ち主に気が付き安堵した。


「「バートン卿‥」」


「‥‥‥‥っ、頭が‥痛い‥。‥はぁ‥。随分と暴れてしまって‥すまなかった」


 脱力感に襲われているのか、バートン卿は床から動けないままそう言った。


「しゃーないっしょ!‥早く魔女倒せばさ、なんとかなるだろうし」


 ノエルが弾けるような笑顔でそう言うと、バートン卿はまた力なく言葉を落とした。


「‥‥いや、たぶん‥魔女を倒しても解けない‥」


「え?そうなの??」


「‥‥魔法をかけられた時に、言われたんだ‥‥。真実の愛を見つけるまで‥解けないのだと‥」


 ノエルは愕然とした表情で「‥えぇ‥」と戸惑いを口にし、テッドは「お伽話ですね‥」と困惑気に話した。


 悲劇のヒロインであるサマンサを救うべく、日々の全てを彼女に捧げている護衛たち。彼らが“真実の愛”を見つける時間など無い。


 現時点でサマンサを心から思っているノエルは、真実の愛の相手がサマンサならば比較的簡単に魔法は解けるだろうと考えついた。だが、その言葉はどうしてもノエルの口からは出てこなかった。


 サマンサの為にも、こんな呪いは早く解けたほうがいい。そう分かっていても、彼の唇は頑なだった。

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