第30話
ーー公爵に演奏を依頼された祭りの前日。
今日は夜まで一切命の危険がなかった。そんな1日に安堵しながらも、大勢の人たちの前で演奏を行うことを思えば自然とそわそわしてピアノのことばかりが頭を過ぎる。
ベッドに入る直前にリセットを行い、朝からまたもう一度同じ1日を繰り返す。ピアノの練習は特に気合いを入れて行った。
鍵盤の上で指を何時間も踊らせているうちに、また夜が来る。寝る直前まで何も起こらないことが分かっているからこそ、安心してピアノに没頭できていた。
今まで何度も何度もリセット魔法を使ってきた。
失われた時間を取り戻すかのように、リセット魔法をうまく使って自分の時間を増やしてきた。
朝から夜まで、私の行動が変わらない限り皆同じ行動を取ることも何だか面白く感じていたりもした。
こんな力を操れるなんて、魔女はやっぱりすごいなぁ‥。
ーーーというか‥贖罪のつもりかもしれないけど、ここまでの魔法をわざわざ授けてくれる必要あったのかな。
いくら私を不憫に思っても、魔女には私の存在なんてもうどうでもいいのだし、私がいつどこで殺されようがお構い無しな気もするけど‥。
まぁ‥いくら考えたって仕方ないか。
とにかく、今日使ったリセットは2回。あと1回リセットができるし、そろそろ最後のリセットをしてまた朝からやり直そうかな‥。
そう思って指を鳴らそうとしたその時だった。
「皇女様!!逃げて!!」
扉の外から聞こえたのはノエルの声。繰り返していた筈の今日に訪れた突然の例外。
ーー何が起こったの?何も変わりなく過ごしていた筈なのに‥!
必死なノエル声‥きっと只事じゃない。逃げてと言われたって私の部屋に隠し通路なんてない。3階にあるこの部屋からは飛び降りれるわけもないし、一体どうすれば‥‥!
私は咄嗟に窓を開け放ったあとにベッドの下に潜り込んだ。こんな行動に意味なんてないかもしれないけど、少しの隙なら作れるかもしれない。
床に膝をつけてベッド下を覗き込む。オーバーサイズの布団がベッドの足元も隠しているから、一応隠れることはできる筈‥!
窓を開け放つことで“窓から逃げた”と思わせているうちに、ベッド下から飛び出して逃げる‥!
うまくいくかなんて分からないけど、逃げ場がないこの部屋ではこうするしかない。
ベッド下に潜ったのと扉が開く音がしたのは同時だった。布によって視界がほとんど遮られているから、頼れるのは聴覚だけ。
ペタペタと耳に響く足音はひとり分だった。やけに落ち着いたその足音を聞いて、私の心は凍りついていく。
ーーー必死の声を上げていたノエルは、きっともう廊下に倒れているんだ‥‥。ノエルは以前この孤城の人々を皆殺しにしてしまった程の剣の腕がある。‥それなのに、ノエルは部屋に入り込んできた誰かに倒された。
ベッドから出て逃げるなら今しかない。だけど逃げ果せられる気がしない。
一体誰が入ってきたの‥?
前回と変わった行動はしていないのに、どうして突然状況が変わったの‥?
心臓が痛くて苦しい。瞬きすら忘れていたことに気付いたのは、ベッドの下を覗き込んだ黒い猫と目があった瞬間だった。
「っはっ‥、っ」
呼吸の仕方も忘れてしまったみたい。恐怖からか喉がヒュッと音を立てた。
今すぐにリセットしたい。目の前のこの理不尽な恐怖から逃げ出したい。
でも‥リセットの摂理から外れたこの事象の謎が分かるまでリセットをしてはいけない。恐怖にがたがたと怯えながらも、それだけは冷静に考えることができた。
キャットマスクと呼ばれている私が付けていた覆面のような、リアルな黒猫の覆面を身に付けた人物。
恐らく‥いや、間違いなく敵。
リセットをして朝からやり直しても‥この#黒猫__・__#が現れないようにする方法が分からない。
「‥あ、あなたは、誰‥」
上擦った声が出た。自分でも聞いたことがなかった、情け無い声。
「痛っ!!」
黒猫は私の腕を掴むと私の体を乱暴にベッドの下から引き摺りだした。
目を瞑ってその暴挙に怯えるしかなかった。私は魔女によって特殊な力を授けられただけの普通の女。
その特殊な力が特殊でなくなるのならば、私に現状を打破する力はない。
薄目を開けて姿を確認すると、黒猫の覆面を被ったその人は全身を黒いマントで覆っていた。
背は高く、筋肉に覆われた体は逞しい。体付きからして性別が男性であることはわかる。
「あ、あなた、どうして突然現れたの?」
魔女の魔法がこの人には効かないの‥?
黒猫の彼は声を出すことも、私の言葉に反応をすることもなかった。
扉の外で護衛をしてくれていたのがノエルだけだったとしても、バートン卿やテッドやレオンだって近くにいる筈。ノエルの大声を聞いても反応がないということは、皆この人にやられてしまった可能性があるということ。
黒猫は大きな手のひらを私の首元にあてた。その太くて逞しい5本の指が私の首を絞めていく。足は地面から離れ、苦しさからすぐに意識が飛びそうになった。
もちろん全力で抵抗してる。してるけど、全く歯が立たない。意識を完全に失ったら死ぬに決まってる。
この黒猫が何なのか全く分からないけど、もう後がない。ーーー薄れゆく意識の中、何とか中指と親指を合わせたその時だった。
「勝手なことしてるんじゃないよ馬鹿タレが」
聞こえてきたのは、魔女の声だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます