第97話 虫送り

 盆に帰省した時の話。


 雲のない、月の明るい夜だった。

 実家で飼っているヨークシャーテリアのポーが日課である夜の散歩に行きたいと父にせがんでいたので、せっかく天気のいい夜だしと、私が代わりにリードと懐中電灯を手に外へ出た。


 少し湿った草木の濃い匂いと夏の生き物の鳴き声に包まれ、ポーに曳かれるがままに歩いていく。

 私は懐中電灯のスイッチを数回カチカチと動かし、最終的にオフにした。


 灯りの豊富な都会なら、この懐中電灯や自転車のライトは他者に対して自身の存在を示す反射板のような役割が大きい。しかし、こと田舎では足元を照らす本来の用途がとても重要だった。

 なにせろくに電灯がないのだ。日が暮れれば、道の端と田畑の境など見分けがつかなくなる。

 地元の人間が慣れているからと高を括って自転車のライトが切れているのを放置した結果、溝や田んぼに突っ込んだなんて話は毎年季節を問わず耳に入ったものだ。


 だが、それにも例外はある。

 今日のような月の丸い晴れた夜は、人工の明かりがないからこそ景色がよく見えた。

 薄く青白い月明かりが山に囲われた田園をくまなく照らし、稲の合間にゆらぐ水面が柔らかくきらめいている。ぎらぎらと活力に満ちた緑に彩られた昼間とは打って変わってどことなく冷ややかにも思える風景に、私はほうと息を吐いた。


 ふと、彼方にチロチロと灯りが見えた。

 ひとつ、ふたつ、みっつ……十以上の松明らしき光が山の麓に列をなしている。


 こんな時期、こんな夜に何か催し物でもあっただろうか?

 そう頭をひねると、思い当たるものが一つだけあった。


 虫送りだ。


 私も小学生の頃に一度やったきりだが、たしかこれくらいの時期だった気がする。

 たしか、稲につく害虫を除けるための儀式、のようなものだったか。一メートル程度に切った竹の先端に火を灯し、田を巡り歩くのだ。最後は広場で持っていた竹を篝火にくべてまとめて燃やしたはずだ。

 普段なら出歩かない時間に手にすることのない灯火を掲げて友達や大人と練り歩く特別な高揚感を思い出し、懐かしさに自然と目が細まる。


 しかし、同時に疑問がわいた。


 私の時は伝統や公的な催しというより、有志による発案――お試しのようなものだったように思う。その証拠に、後にも先にも虫送りが行われたという話は聞いたことがない。

 近年になって正式にやるようになった可能性はあるが、両親も何も言わなかった。ちょうど今日の散歩のタイミングに重なっているなら、ひと言くらいあってもいいようなものだ。狭い田舎のことだから、大なり小なり催し物に対して我関せず、というのはあり得ない。

 それに今は夜の九時過ぎだ。こんな時間に行うというのも不自然な気がする。


 ひょい、とポーが明かりの方へ角を曲がった。

 鼻先を地面に近づけたままチャカチャカと歩いていく様子からは、山裾の行列に気づいてはいないようだ。とすればこちらがいつもの散歩コースなのだろう。


 松明の灯が少しずつ近くなる。しかしどういうわけか、それを掲げている人々の姿がはっきりとしない。

 目を凝らせば背後に茂る草木や山肌すら確認できるというのに、誰も彼も障子の向こう側にいるようだ。

 シルエットから和装をしているのだろうとはわかる。それだけなら祭りや催し物の一場面だと思っていただろう。

 けれど、ゆらゆらと照らされる影絵たちは、まるで葬列のように押し黙ったまま静々と歩みを進めていく。

 やがて先頭が道を外れ山へと向かった。


 いつの間にか立ち止まってその様子に見入っていた私は、最後の灯火が樹木の陰に消えたころ、痺れを切らしたポーに引っ張られて帰路へとついたのだった。


 翌日、件の行列が入った場所を確認しに行くと、そこにあったのは道とも言えない草生くさむした溝が続いているだけだった。


「そういえば、あの上にはここいらを治めとった大名の城があったなぁ。ワシが子供の時は城の土台らしいもんが辛うじて残っとったけど、今はどうやろうねぇ」


 盆帰りでもしとったんやないか? とは、私の話を聞いた父の言である。

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