怪談行李

柏木椛

第1話 ハイキングコース

 たまに聞かれるんですよねぇ。

「怖い話ありませんか」って。

 タクシー運転手って、やっぱり世間様からみるとそういう体験が多そうだって思われてるんですかね?


 ああ、夏にテレビでもラジオでも、特番でやってますものね。

 私もいくつか見たことありますよ。怖いですよねぇ、アレ。

 なるほど、そういう印象が強いんじゃないかってことですか。


 でもねえ、申し訳ないんですがこの仕事で怖いことってあったことないんですよ。

 え、どうしました。そんな驚いた顔して。

 だってお客さん、私に「怖い話ないですか」って聞こうとしてたでしょう?

 何だかんだこの仕事も長いですからね。なんとなくわかるんですよ。

 しかも「怖い話」尋ねてくる人たちって、不思議とみんな同じような表情するんです。


 いやいや、別に変な顔だってわけじゃないんですよ。

 他の人が見ても特に違和感とか、そんなのは感じないんじゃないかな。


 でもね、なんとなく、わかっちゃうんですよ。

 あ、この人、聞きたがってるんだなぁって。

 どう言えばいいんでしょうねぇ。

 パッと見、他のお客さんと違いなんて無いんですけど、そういう人に限って雰囲気というか、大げさな言い方したら『業』っていうんですかね? そんなのがひしひしと伝わってくるんです。

 

 ああ、脱線してしまいましたね。

 さっきも言いましたように、この仕事で「怖い話」っていうのはあったことないんです。

 幽霊にしても、幸い人間関係での怖い話もありません。

 ただまあ、目的地まで結構時間もかかりますし、その間何も話題なしっていうのも申し訳ないですから、私のプライベートであった話でよければ。


 ええ、あるんですよ。仕事中には全くないくせにね。

 そちらでも構いませんか?


 ああ、よかった。

 それなら下手くそな語りですみませんが、BGM代わりにでも聞いてやってください。

 あれは、五年ほど前のことです――



     * * *



 私は散策を趣味にしてましてね。休みの日は妻と一緒によくハイキングに出てるんです。

 そうそう、高尾山とか日出山とか、ああいうところです。

 とはいえ、登山ばかりじゃなくって、景色のいいとこを、自然のある場所を散歩するっていうのが好きなんですね。だから有名どころばかりじゃなく、大きめの公園を周遊するだけのような場所にも行ったりしてますよ。


 ある休日のことです。

 その日は同僚と出かけるはずだったんですけど、当日になって同僚が体調を崩してしまって予定が流れてしまったんです。

 妻は妻で友人と遊びに行ってしまって、私は一人でした。

 このままダラダラと過ごすという気も起きませんでしたので、いつものように散策に行くことにしました。

 妻は夜まで帰って来ないとのことでしたので、せっかくだから少し遠出をすることにして車を走らせました。


 場所は小さな山の麓の自然公園です。

 何本かのルートで森林の中をぐるりと回るようになってまして、外周を回った場合は約二時間。一番短いルートで三十分といった具合です。

 ここには以前に一度行ったことがありまして、その時は一時間程度のコースを回ったんです。今のご時世、ホームページもないような穴場でして、私もそこを知ったのは本当にたまたまでした。

 人もほとんどいなくって、一周回る間に三組ほどに出会っただけです。

 ただ、その分ゆったりできましたよ。有名どころじゃ、どうしても前にも後ろにも人がいますから。道の幅が狭い場所だと、後続の人の邪魔になるのでゆっくりできなかったり、正面から行き会っちゃうと道を譲りあったりと何かと気を使うこともあるんですよ。まあ、そういうのがいいという見方もありますがね。

 だからそこでは気兼ねなくふるまうことができたんです。時折立ち止まっては木々をじっくりと観察したり、道の端に腰を下ろして葉のこすれる音に耳を澄ましながら木漏れ日を浴びたり。とてもすがすがしくて、気持ちのいい時間を過ごしました。

 なので今回はできるだけ時間いっぱい回ってみようと思ったんです。


 駐車場に車を止めて、入り口で入園料を払って、地図をもらいました。

 基本的に公園の外周を回りつつ、他の道に入ったりしていろんなルートをつまみ食いするような形で進むことにしました。


 木々の間をのんびりと進んで、湖を眺めて、かれこれ半分くらいを回った頃でしょうか。少し雲が増えてきました。

 頭上はほとんど葉っぱで覆われていているのですが、隙間から見える空が青色よりも白が多くなっていたのです。しかも所々、重い色をした雨雲も見かけられました。

 時計を見ると午後三時。閉園時間は午後五時ですから余裕はあります。しかし、ただでさえ日光の通りにくい森林です。木々が頭上を厚く覆っているような場所では、太陽に雲がかかってしまうだけで日暮れ時のように暗くなってしまいます。

 私はこのまま外周を回ることを諦めて、地図上では少し先にあるはずの道を入り最短距離で戻ることにしました。


 しかし少しも進まないうちに、空は真っ黒な雲でいっぱいになってしまいました。

 太陽があっという間に引きずり込まれてしまったんじゃないかと思うほどに急でした。

 辺りは真っ暗で、地図も顔を引っ付けるほど近づけてようやく読める程度です。


 仕方なくケータイで道を照らしつつ進んでいきます。

 ライトで視界が狭くなっているせいだとは思うんですけどね、何だか両側の木がググッと体を折り曲げて私を見下ろしているような気がして落ち着きません。

 風で枝がこすれたり落ち葉がガサガサと音を立てるたびに、何かが暗がりから飛び出てくるんじゃないかと慌ててライトを向けました。

 足元は足元で根っこなんかが妙に気になってしまいまして。暗くなった途端に、木の根が地面にぼこぼこと出てきたような気がしたんです。

 もちろん臆病風に吹かれた私の気のせいだとは思ってるんですけどね。それでもその時は、足を引っかけないように神経質なほど慎重に歩きました。


 今まで気持ちの良かったハイキングコースが一転、手入れのされていない墓場でも歩いているようでしたよ。


 おっかなびっくり進んでいくと、ようやく木々の間に灯りが見えました。

 出入口の門につけられた明かりです。

 直線距離で言えば五〇〇メートルもないのですが、道が曲がりくねっているのであと十分程度は歩かなければなりません。

 しかし、明かりが見えたことで私の気持ちはいくらか軽くなっていました。

 

 ホッとして道の先にライトを向けると――道端に男の子が座り込んでいました。

 こっちに背中を向けているので顔はわかりません。

 もしかして迷子かなーと思ったんですけど、ちょっとおかしいんですよね……その子、ボロボロの着物を着てるんです。

 袖の先なんか破れてドロドロで。

 正直そのまま無視したかったんですけど、子供だから放っておくわけにもいかないじゃないですか。

「ぼくー、ぼくー?」って声をかけたんです。「ぼくー、ねえ、ぼくー」

 まったく反応がないので、近づいて肩をたたこうとしたとき――

 ぷるるるるる、ぷるるるるる――

 ケータイが鳴ったんです。

 驚きのあまり、放り投げるところでした。


 着信相手を見ると妻からのようです。

 出てみると、妻の方の予定が早めに終わってしまったから、夕飯をどうするかという内容でした。

 慣れ親しんだ声と日常的な話題に、すっかり私は安心してしまいました。

 六時くらいには帰るから一緒に食べよう、と返します。

 しかし妻は電話の向こうで首をかしげたようでした。どころか、わざわざ無理に帰ってくる必要はないと言ってくる始末。どういうわけか妻は私が友人と一緒にいて盛り上がっていると思っているようなのです。

 私は友人との予定は流れたこと、以前に行ったことのある自然公園に来ていることを説明しました。

 それなのに妻は信じてくれません。

 わけがわからなくなった私は、妻にどうしてそう思うのかと問いただしました。

 すると――


「だって、たくさん人の声がするじゃない。居酒屋にでもいるんでしょう?」


 愕然としました。

 たくさん人の声――妻は何を言っているのでしょう。

 ここには私しかいないというのに。

 そこで私はもう一人、いたことを思い出しました。

 電話を切り、男の子がいたところへライトを向けます。

 誰もいません。

 私が電話をしている間にどこかへ行ってしまったのでしょうか。

 辺りを見渡そうとして、気配を感じました。

 気配はすぐそば。私の前からします。

 ゆっくりと視線を下ろします。

 足元に、男の子がしゃがんでいました。

 私が気づいたことを察したのでしょうか。男の子が立ち上がります。

 そして、ゆっくりと男の子の顔があがって――

 私は悲鳴をあげました。

 男の子には両目がありませんでした。ぽっかりと空いた眼窩は乾いてひび割れており、その奥は底のない穴のように真っ暗です。


 私は少年を置いて逃げ出しました。

 みっともなく甲高い叫び声をあげて。

 道を外れて木々の間を縫って、出口の明かりを目指してまっすぐ走りました。

 枝葉をかき分けて、落ち葉を巻き上げて遮二無二駆け抜けます。

 途中で蔦にでも引っかかったのか、がくんと足が重くなりました。

 しかし気にせず足を前に前に動かします。

 足に絡まったままの蔦が葉っぱや枝をからめとって、どんどん足の動きを邪魔します。

 ようやく門を潜り抜けた時、たまらず私はその場に倒れ込みました。


 係員さんが駆け寄ってきます。

 しかし、係員さんは私を見て悲鳴をあげました。

 いえ、正確には私の足を見ていたのです。

 私の足には蔦がびっしりと絡まっています。落ち葉や枝を巻き込んで、巨大な鳥の巣のようでした。

 その巣の中には、いくつも白いものが巻き込まれていました。

 その正体に気がついた時、私は係員さんのように悲鳴をあげました。


 それは何人もの人間の骨だったのです。



     * * *



 いかがでしたか?

 ああ、それはよかった。

 いえ、その後のことは全く。一度大掛かりな調査が入ったらしいとは耳にしましたけれど、結果がどうだったのかは知りません。

 ああ、ちょうど到着しましたね。

 お代は…………え、情報料? あ、こりゃどうも。

 お客さん、サービスです。

 あの話ね、“ここ”であったことなんです。


 それじゃあ、私はしばらくこの駐車場にいます。

 もしかしたら帰りのアシに使ってくれる人がいるかもしれませんからね。

 もし、お客さんが帰るまでに残ってたら、どうぞごひいきに。

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