おしまい
「ナツバ、ねぇ、起きないと……」
柔らかい声と、優しい振動が僕の意識を現実へと引き戻す。
「ん――――っ!」
目をギュッと瞑ったまま、ゆっくりと伸びをする。
ブランケットを剥がし、身体を起こした。
そこは間違いなく僕の部屋だった。
アイデアノートと、付箋まみれの本が床に散らばっている。
「――――あやせか」
ベットの隣には、学生服の幼馴染がちょこんと正座していた。
僕を揺り動かしたのは、彼女みたいだ。
「が、学校だから、昔みたいに、迎えにきたのっ!」
「大丈夫だ、別に不法侵入を疑ったわけじゃないから。それで、ひとつ聞いてもいいか?」
「な、なにかなっ!」
「あやせ、何時間前からここにいた?」
問い詰める僕から逃げるように、あやせは視線をずらす。
鎌をかけたつもりだったけど、どうやら図星だったらしい。
大方、小学生の頃のように、僕を起こしにきたはいい物の、変なところで躊躇ってしまったんだろう。枕元であたふたする様子が目に浮かぶ。
「別に噛みついたりしねえから……普通に起こしてくれ」
「う、うん」
シュンとあやせは顔を伏せてしまった。
それから数秒間。
僕らの間を気まずい沈黙が支配する。
「あのなぁ、あやせ。お前がいると、着替えられねぇんだ」
僕の訴えに、あやせは小首をかしげる。
「私はべつに、気にしないよ」
「僕が気にするんだ」
かなり強めに言ったつもりだけど、あやせはキョトンとしていた。
それでも数秒、無言が続くと、仕方ないといった調子で立ち上がる。
「ねぇ、ナツバ」
「なんだ?」
「なんで――――」
あやせは何かを言いかけて、やめた。
「ううん、やっぱり、なんでもないや。先に下いってるね」
そう言って、あやせは部屋を出ていった。
彼女が聞きたかったことは、なんとなくわかっていた。
かしおぺあ。
つまるところ僕は、門山大賞の大賞を辞退した。
まあ、当然の如くツイッターは大炎上。
『茶化し目的で、投稿するな!』
から始まり、世界各国、様々な言語で罵詈雑言が押し寄せた。
まさか、世界に拡散した弊害がこんなかたちで出るとは思わなかったけど……。
まあ、僕だってふざけてそんなことをしたわけじゃない。
作画の彼女はもういない。
だから、『かしおぺあ』という漫画家は永久に消失した。
だから、アニメ化や連載が決まったところで意味なんてない。
朝の食卓を三人で囲む。
「きょうの朝ごはんはねぇ、あやせちゃんが手伝ってくれたのよ」
上機嫌な母さんが言った通り、いつもよりおかずか二つほど多かった。
「ど、どうかなっ!」
そう言って、あやせは赤くなった顔をうつむけた。
いま口に運んだ煮物は彼女の手作りだったらしい。
「ふつうに美味しいぞ。味、染みてるし」
「そ、そっか……よかった!」
溢れる嬉しさが、パッと笑顔になって咲く。
こんな普通の少女が、あれだけの漫画を描いていた。だから創作ってわからない。
「ほんと、あやせちゃんが来てくれて、お母さん大助かりよっ!」
「母さんはこう言ってるけど、早起きするのも大変だろ。別に無理に頼んだりしないぞ」
「だ、大丈夫だよっ! 好きでやってるから!」
「お、おう……」
じゃっかん食い入るように言われ、後ずさってしまった。
朝からテンションマックスの母さんは、あやせの肩を抱く。
「実はね、あやせちゃんに前から相談うけてたのよ」
「お、お母さまっ、その話はしない約束じゃ……」
「いいのいいのっ! 我が息子ながら、コイツはヘタレな草食系なの。自分からアプローチしていかなきゃ、横からかっさらわれて、後で後悔しちゃうわよっ!」
何やらコソコソと喋る二人。というか、実の息子をコイツ呼ばわりって、どういうつもりだ。
「あやせちゃんはねぇ、アンタが昔の約束憶えてて、嬉しかったんだって」
「そ、そうなの」
約束。
世界一の小説家になって、世界一の漫画家の原作をする。
半年前には心のどこかで諦めかけてた夢だ。
彼女に出会って、向き合えるようになった。
「いやぁ、甘酸っぱいなぁ。お母さん、青春を思い出しちゃうなぁ」
「茶化すな。あやせを見ろ、顔が林檎みたいに赤くなってるぞ」
「それが羨ましいっていってんじゃない。今日のお礼もかねて、お母さん焼肉にでも連れてってあげようかしら」
どう? そう尋ねるように、目配せしてくる母さん。
少し考えてから、答えた。
「わかった、行くよ」
「ええええっ!」
「何だよ、その大袈裟な反応」
「だって、アンタが外食の誘いに乗るなんて……。ずっと小説で忙しい、そればっかり言ってたあんだが……」
そう言われれば、そうかもしれない。
「いいだろ、別に。なんとなくだよ」
本当に、大した理由なんてなかった。
ただ、『チャンスが巡ってきたらとりあえず飛び込むことにしてるんだ!』彼女がそう言っていたのを思い出した。
「ねぇ、アンタ変わったわよね。恋でもした?」
肩肘を机につき、何か勘づいたように目を細める母さん。
隣でピタリと停止した、あやせが妙に怖い。
「別にしてねぇよ、恋なんか」
そう言い捨てた。
実のところ、彼女と僕の関係は、なんて名前だったんだろう。
惚れちゃった? やたらと尋ねられたけど、恋は違う気がする。
友達も、なんだか似合わない。
ただ、ひとつ言えることは、彼女に死んで欲しくないと思ったこと。
そして、夢に命を賭ける様を、たまらず格好いいと思った。
そんなことを、数秒考えて、やめた。
別に無理して当てはめる必要なんてない。
僕らは一緒に漫画を描いた。その事実があれば、十分だ。
いってきますのかけ声と一緒に家をでる。
すると、ポストにおかしな包みが突き刺さっているのに気付いた。
中身は、フラメンコを踊る女性の、奇妙なプラモデル。そして、雑な字で記されたメッセージカードだ。
『今月から職場の方に復活します。これ、ハワイのみやげです。私はあなたになんて二度と会いたくないので、交通事故にはせいぜい気を付けることです』
あの毒舌ナースだ。
上遠野さんは、彼女に叶えられなかった夢を託されたらしい。
世界一周の長旅。
三ヶ月の休暇をとり、無事に戻ってきたようだった。
彼女を取り巻く人の中で、その死に一番のダメージを受けたのは、上遠野さんだった。
でも、この毒舌ポストカードから見るに、調子は戻ってきたみたいだ。
また会いたいと思った。
病院での再会でなくともいい。
例えばあの、うさん臭い喫茶店とかで。
彼女の話をしたい。そう言えば、きっと来てくれるはずだ。あの悪態をつきながら。
二人で並んで登校する。グダグダと、他愛もない話をしながら。
別に難しいことじゃないのかもしれない。でも、ここに戻ってくるまで、何年も時間をかけた。
陽気な暖かさが、僕らの間をやさしく包む。
「ねえ、ナツバ」
「なんだよ」
「あの漫画、おもしろかった」
「そうか……」
「想いがギュッとつまってて、泣きそうになった」
「そっか……」
実のところ、僕はあやせに漫画の原作をしたことを説明していない。
でも、なんとなく勘づくだろうな、そんな予感はしていた。
『かしおぺあ』の辞退で、大賞はあやせの『最後のイチニチ』になった。順当な繰上り形式。いいね数が圧倒的だったもんだから、異議の声もほとんど上がらなかったらしい。
そんなこんなで、あやせは今、夏の連載開始にむけて準備中だ。
「前にも言ったけどさ、もう少し、待っててくれないか?」
少しだけ立ち止まって、そんなことを口にした。
「わかってるよ、ふたりで世界一の漫画を描くんだもんね!」
嬉し気に笑うあやせ。
引き離されていた天才の背中。
今回の件でわかった。あの時、あやせの漫画を超えることができたのは、ブタ野シンジュの作画があったからだ。
僕のストーリーだけじゃ、とてもおよばなかった。
でも、それでも。
ほんの一歩分くらい、近づけたんじゃないかと思う。
『かしおぺあ』の活動の中で、ひとつだけ僕の手元に残ったものがある。
ポケットに入れた名刺。取り出して、空に掲げてみる。
『門山出版 週刊少年ストリート編集部 仁藤 新樹』
大賞の受賞を辞退する際に、対応に当たってくれた人だ。
編集者の前例が酷かったから、びくびくしながらの対面だったけど、優し気な好青年で安心した。
受賞出来ない旨を話すと、快く受け入れ、次の作品ができたら見せて欲しいと名刺を渡してくれた。
担当編集がついたってことで良いと思う。
いずれにせよ万年作家志望だった僕には、大きな前進だ。
歩いている途中、どこからか飛んできた桜の花びらが、肩についた。
「サクラノ……」
意味もなく、彼女の名前を呟く。
季節は巡る。
この春もすぐに通り過ぎ、彼女と出会った鮮やかな夏が訪れる。
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