#08 スタディルーム

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ライアンの指示により病院付属の施設で働くことになったアデル。真面目なアデルはさっそく仕事に取りかかる。


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 その施設は、ロンドンから30分ほど離れた郊外にあった。

 エヴァンス家に長年勤めているという初老の優しい執事が、朝8時に黒塗りの車で迎えに来て、そこまで送り届けてくれた。昨夜、秘書のフレッドから説明を受け、住み込みということで、働ける服と日用品をカバンに詰めてきた。恋人役のつもりが施設で働けと言われて意外だったが、昨夜のうちに化粧もしっかり落とし、真っ赤なつけ爪もはずしたから、どんな仕事を指示されても、しっかりこなせるだろう。自分としても、着飾って恋人役を務めるよりずっといい。

 緑豊かな地域の一角にこじんまりした子ども病院があり、その隣に、白い壁の比較的新しそうな平屋建ての建物が併設されていた。病院付属のスタディルームだという。昨夜の秘書の話と、けさ、送迎の車のなかで執事から聞いた話を総合すると、このスタディルームはライアンが最近寄付したものらしい。幼い頃、病気で1年近く入院することになり、豪華な個室で孤独な1年を過ごした経験から、入院中の子どもたちが寂しい思いをしなくていいように、おもちゃや絵本、学習機材とスタッフを揃えたスタディルームを寄付したという。

 あの傲慢なCEOにそんな優しい面があるのだろうか。ただ頼まれてお金を出しただけなのを、彼の意志でやっているかのように、身内びいきの執事が大げさに言っているのかもしれない。

 執事はアデルを責任者に紹介すると、元気づけるようにアデルにほほえみかけ、別れを告げて帰っていった。

「責任者のベス・ホワイトです。よろしくお願いしますね。さあ、案内しましょう」

 ベスはがっしりした体型の、気のよさそうな中年女性だった。

「よろしくお願いします」

 アデルはひと目でベスに好感を抱いた。

 廊下の左側は広くひと部屋になっていて、何人かの子どもたちが過ごしていた。車椅子の子どももいれば、病院からベッドのまま運ばれた子や点滴の管をつけたままの子どももいる。一方で元気があって、じっと座っていられずに走りまわっている子どももいた。

「子どもたちが楽しく過ごせるような、居心地がいいスペースというコンセプトですが、なかなか理想どおりにはいきません」ベスが言い訳がましく説明する。「いろいろな病状の子どもがいますからね。スタッフはがんばっていますが、みんな介護の専門職で、子どもたちの世話が優先ですから」

 たしかに、ありきたりでおもしろみに欠けるレイアウトだし、廊下の右側に並ぶ事務室や小さめの部屋には、開けていない段ボール箱が積まれている。せっかくのおもちゃや教材が活用されていないし、掃除も行き届いてはいない。数人いる職員も介護と日常業務に追われているらしく、子どもたちが楽しめるスタディルームとはとても言えない。

 こうした施設はお金さえ出せばいいというものではない。

「できれば、そのあたりをあなたに改善してもらえるとありがたいのだけど、アデル」

 ベスが申しわけなさそうに言う。

「わかりました」

 アデルはうなずいた。

 なんでも一生懸命やるたちのアデルは、さっそく仕事に取りかかった。まずは掃除だ。頭にほこりよけの布をかけ、腕まくりをして端から片づけ始めた。

 昼食に呼ばれるまでにかなり片づき、見違えるようにきれいになった。午後から部屋の改造に取りかかろうと思い、レイアウトを考えながら職員用の食事スペースに座った。

 職員たちは手が空いた時に、順番で昼食を取ることになっているらしい。子どもたちを見ながらでは仕方のないこととはいえ、職員同士が話している姿もあまり見られず、全体に殺伐とした雰囲気は否めない。それでは、子どもたちの気分も晴れないだろう。アデルはみんなと仲良くなろうと決心した。食卓の向かいには、30歳くらいの男性が先に座って食事をしていた。

「はじめまして。きょうからここで働くことになったアデルです。よろしく」

「よろしく、アレックです」

 男性のそっけない口調にめげず、アデルは、会話に引きこもうと試みた。

「皆さん、お忙しそう。こちらのお仕事はいかが、アレック?」

「なかなか思うようにはいきませんよ。理想と現実は違う」

 アレックが苦虫を噛みつぶしたような表情でぼそっと言う。

「わたしは、使いやすいように設備を整える仕事をするので、希望があったら、なんでもいってくださいね」

 アデルは気軽に話せる雰囲気を出そうとした。

「そうだな、おもちゃや教材が活用できたらありがたいかな。あとは、病状によって、それぞれ落ち着いて過ごせるスペースがあればいいな」

 アレックがようやく笑顔になり、話に乗ってきた。

「わかった。考えてみるわね。こちらのボスは? 時々はいらっしゃるでしょう?」

「ああ、1週間に1度、定期訪問がある。だが、とくになにか指示するわけじゃない。単なる義務的な訪問だ」

 その時、ベスが部屋に入ってきて、椅子に腰をおろした。

「ああ、疲れた。ようやく、食事ができるわ。あなたがた、自己紹介したのね、よかった」

 アレックとアデルの顔を交互に眺めてにっこりした。

 アデルはうなずいた。

「ええ、いまアレックに聞いたんですが、ミスター・エヴァンスは週1回定期訪問をされるとか」

「ええ、まあ、さっと見ただけでお帰りになっちゃうけど」

「あまりご指示もないとか」

「そうなのよ。そのせいで、大々的に改善できないというのもあるわね」

「そうですか。ご指示がないってことは、勝手にやっちゃってかまわないってことですよね」

「どうかしら。なにか文句を言うかもしれないけれど」

「大丈夫、わたしが責任持ちますわ」

「それだったら、ぜひ頼みたいわ。せっかくいろいろあるのに、活用できていないから」

「わかりました」

 アデルはまた部屋のレイアウトを考え始めた。職員たちも改善を願っているようだから、みんなの意見を聞いて、思い切りやってみよう。きっとすばらしい施設に生まれ変わるに違いない。

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