第32話 能面

桃代は席を立ち上がると、俺のうしろの方でゴソゴソしている。

何をしているのか? だいたい想像がつく。

俺は受け取り拒否をしたかった。


「はい、これが桃香様の面だよ。箱は開けてもいいけど、箱から出さないでね。あと逆鱗もあるから、ちょっと待っててね。ふたつとも大切に保管するのよ。当主の義務として、年に一度は桃香様の着替えがあるからね」


桃代が何か言っている。それは分かっているが、いま俺はそれどころではなかった。

無意識に箱を開けると、桃香の面がジッと俺を見ている。

墨で書かれた黒目が、妙に生々しい。

口元が微妙に動き、言葉を発しているような気がする。


「あ~それと注意をひとつ、桃香様の面にはれないように、さわる時は手袋をするように、顔にかぶるとはずれなくなるから注意してね」


桃代が何か言っている。それは分かっているが、いま俺はそれどころではない。

箱の中にある、桃香の能面が俺を見て喜んでいる。

墨で書かれた黒目に、光沢がある。

口元が微妙に笑い、早く手にしろと言っている。


「あのね紋ちゃん。この面は本当に危険なモノなの。今までこれにれた男の人は、必ず亡くなってるの。顔にかぶった人は呼吸が出来なくなって死ぬの。だから、絶対にかぶらないでね」


桃代が何か言っている。それは分かっていたが、俺はそれを聞いてない。

桃香の能面を俺は手にしている。

墨で書かれた黒目が、左右にキョロキョロ動いている。

口が大きくひらいて、早くかぶれと喋っている。


「あっ、あった、あった。紋ちゃんは逆鱗の入ったこの箱を見た事があ・・!! 何してるのッ! かぶったら外れなくなるって、言ったじゃない!!」

「モモヨ・・・モ・・モ・」


「ダメ! 死なないで紋ちゃん! 桃香様お願いです! 紋ちゃんを連れて行かないで!」

「・・・ ふふふ、あはは、バカめ! 散々俺をおちょっくた罰だ。ほら、面ははずれるぞ」


「えッ! うそ! そんな、そんな人は今まで一人もいなかったのに、どうして紋ちゃんは平気なの! それよりも、どうして顔につけたの!」

「いや、なんか面に呼ばれた気がしたから? あと、どんな匂いがするのかと思って」


「バカッ! この面は本当に危険なモノなのよ! これをかぶって人が死ぬところを、わたしは実際に見たんだからねッ」

「そうなの? それは少し興味があるな。どういう状況だったのか教えて?」


「え~っ、あれは思い出したくない。あの時、わたしは本当に怖かったんだから、言いたくない」

「そうか、無理に聞き出すのは良くないな。モモに怖い思いをさせるのは、俺も本意じゃない。自分で調べてみる」


「ごめんね紋ちゃん・・・あれは収穫祭の時だったわ。分家の連中を含めて大勢の人が神社の前に集まっていたの」


結局話すんかいッ! つい、俺はそう言いそうになった。

そもそもコイツが怖いって、本当かなぁ? 俺はコイツの存在が一番怖いぜ。


「おかしくなったマミーだけど、収穫祭の時におこなう御神体の着替えの時だけは、正常だった。わたしは手順を覚える為に隣にいたの。ガラスケースの中に保管されている御神体を取り出して、慎重に着替えをさせてる最中・・・そう言えば、ケースの中に虫よけのナフタリンが入っていたけど、アレってトリップしそうな匂いだよね」

「えっ、うん、そう言えばそんな気がするな。それで、その続きを話せ」


「だからね、一度試してみたの。押し入れにナフタリンを入れて、わたしもそこに入るの、そしたらどうなるかって」

「ももよ~ ナフタリンの続きを聞きたい訳じゃない。それに高濃度のナフタリンは健康被害がある。そういう危険な真似はやめろ!」


「は~い、えへへ、紋ちゃんはわたしが心配なのね。それでは続きを話します」


俺は桃代が心配だった。コイツの頭の中身が。


「御神体の着替えが終り、面をかぶせようとした時にそれは起こったの。酔った分家の一人が面白半分で面をかぶり、そのまま呼吸困難で亡くなったのよ」

「んっ、それだけ? そいつは酔ってたんだろう、もしかすると、嘔吐物おうとぶつのどに詰まり、窒息しただけかも知れないだろう」


「まだ続きがあるんだよ。苦しんでる男を見て、その分家の爺様や婆様が面を外そうとしたけど外れなかったの。婆様は無事だったけど、面にさわった爺様はその場に倒れて亡くなったのよ」

「えっと、爺さんは高齢で、心臓発作を起こしたとかじゃないの?」


「そうね、爺様の死因は心臓マヒ、男の方は窒息死、警察はそう判断したわよ。でもね、面にさわった爺様の両手は、包帯を外したミイラの手のようになってたの。面をかぶった男の顔は、原型をとどめて無くて、チュパカブラに血を吸われたようになっていたのよ」

「そう、それが本当なら凄く怖いんだけど、桃代さんのたとえの所為せいで台無しですよ。あと桃代はその死の顔を見たの? 怖くなかったの?」


「そりゃあ怖かったわよ。だって、目の前で人が死んだんだよ。しかも、さっきまでパンパンだった男の顔が、一瞬で骨と皮になってミイラのような顔で死んだんだよ、怖いに決まっているでしょう」

「あのですね桃代さん。あなた、その骨と皮だけのミイラになりたいって、俺に希望してますけど、その辺はわかってます?」


「それは違うわ。その男は凄い形相だったけど、わたしはおだやかな顔で【ぷりっぷりっ】なミイラになるの。そして黄金のマスクをかぶり、発見された時にフォフォフォて笑って、発見者を驚かせやるの」

「その笑い方、バルタン星人だよね。モモちゃんはミイラじゃなくて怪人になるの?」


「紋ちゃんさッ、人の夢を馬鹿にしたり否定するのはよくない。その癖は改めないと、わたしは幻滅しちゃうな」


俺ってそんなに酷い事を言ったかな?

聞いた人がどう思うか、素直に言っただけなのに、俺の人格否定をされている。


「でも、なんで婆さんは無事だったんだ? なんで男だけ死んだんだ? なんで俺は無事なんだ? モモちゃんならわかる?」

「わかんない。でも、こういう事は過去にもあったらしくて、男の人には絶対にれさせないようにしてたの。酔ってた分家の人は自業自得だけど、助けようとした爺様は災難だよ」


「まあ、桃香も女だからな、男にさわられるのは嫌なのかもな」

「そんな事を言ったら紋ちゃんはどうなの? 自分で言ってて矛盾に気付かないの?」


「そんな事を言われても、面が俺を見てる気がしたから、面が俺に話し掛けた気がするから、ほれ見てみろ、桃香の面が笑ってる気がしない?」

「えッ!・・・」


桃代は見た事のないけわしい顔になった。


俺自身、自分の話した内容に驚いている。

ただの木彫りの面が、目を動かしたり、話し掛けたりはしない。

それは理解している。


だけど、あの時は本当にそう感じたし、そういうふうにしか理解が出来なかったのだから。


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