宣長

初春


見わたせば 霞へだてて いとどしく 故郷とほき 春は来にけり


春の来て かすむ朝日の かげも良し 氷とけゆく 飛鳥井の水


ふりつもる 雪にはいとど 神さびて 神代おぼゆる 天の香具山


春雨


軒くらき 春の雨夜の あまそそぎ あまたも落ちぬ 音のさびしさ


風絶えて 露にもなびく 青柳の いとどのどけき 春雨の庭



飛鳥川 ふちせも知らで 渡りなば 世にもうきたる 名をや流さむ


ひたすらに 消えも果てなで うき雲の うき中空に 何かかるらむ


我が恋は 深山隠れの 岩根松 いはねばこそあれ 年も経にけり


武蔵野


果てしなく 行く末遠き 武蔵野も 道のかぎりは なほ分けて見む


春としも またしら雪の 消えやらで 冬もはてなき 武蔵野の原


山家雪


人待ちし 心も消えて 山里は 道もなきほど つもるしら雪


都にも けふは積もらむ 山里は 軒端をかけて 埋む白雪


問はるべき 道絶えはてし 白雪に 春のみをまつ 山の下庵


寄塵述懐


思ひたつ ことはたゆまじ ちりひぢも 積もれば山の かひもある世に


漁火連浪


海人の住む 里近しとは しらなみの 夜さへ見ゆる 漁り火のかげ


思うことを


我がよはひ 今いくばくも あらなくに 成さまく欲しき 事はここだく


狂歌


絵の上に 腰折れ歌を 書き添へて また恥をさへ 書き添へやせむ



思ひ出も なき身なれども 老いぬれば ただ昔のみ 忍ばれぞする


世の中に かなはぬほどの あらましも 頼み短き 老いの身ぞ憂き


哀傷


ともに見し 人はこの世に なき跡を 今日の雪にも さぞ忍ぶらむ


閑居


しづかなる 柴のいほりの 住み良さを 語らむと思ふ 人だにも来ず


歳暮


かくばかり 住み良き山の 奥にだに 年は止まらで 暮れてゆくらむ


隠れ家は いつも心の 静かにて 年の暮れとも 思はれぬかな


世のわざに 心騒がぬ 隠れ家は 年の暮れとて いとなみもなし


ふりまさる 老いのしるしか こぞよりも 今年は惜しき 年の暮れかな


いたづらに 月よ花よと 明け暮れて 暮れ行く年の ほどもはかなし


よそに聞く 年のおはりの いとなみに 人もとひ来ぬ 宿のさびしさ


いたづらに 雪をもめでし 年の暮れ これぞ積もらば 老いとなるべき

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