第20話 聖天坂太郎の誤算
翌日、午後3時頃に聖天坂太郎は苦々しい仏頂面でやって来た。
ほう、たいそうご機嫌ナナメなご様子だな。
応接セットに座る坂太郎が封筒をテーブルに置いた。なぜか今日もいるアヤがゴミを見る目を向けながら冷たいお茶を出す。
「たしかに、100万円受領いたしました」
中を確認して、笑顔で告げる。坂太郎の顔は怒りまでもを帯びてくる。
「ホテル代かかったし喫茶店でいろいろ食べたし、経費も請求したいところですけどね。経費込みで100万で手を打って差し上げましょう」
すべて支払いはアヤに任せてたけどな。
「何を偉そうに!誰が俺の浮気を調査しろなんて言った!」
「奥さんもちゃんと調査しましたよ。真っ白潔白無罪放免。それではあなたからの依頼内容である浮気の証拠をご用意できないので、調査対象を不倫の事実のある人物に変えただけです」
「くそっ……詭弁だ、しょうもない」
「まあ、いいじゃないですか。予定通り週刊誌の記事が出る前に離婚することになったんでしょ? ちゃんと慰謝料を払うんですよ。奥さんの人がいいからってあなたこそ詭弁を弄して踏み倒したりしないでくださいよ」
だまされたことによほど腹を立てているんだろう。表の思考がこれほど弁が立つとは意外だ。
坂太郎がうっ……ともらしたきりただテーブルを見つめるのみである。
その様子に、汚物でも見るような目でアヤが尋ねる。
「踏み倒すつもりでしたね?」
「いっ……いや、そんなつもりは……ちゃんと、誠心誠意謝罪を……」
「今謝罪の話なんてしてませんよ。金なら持ってんでしょ、この札束で俺の頬をはたいてくれ、くらい言えないものですか。お、俺もやってみたい。この100万でその顔ひっぱたいていいですか」
「やめてくれ!」
とんだゲス野郎を生んでしまったものだな、この聖天坂は。
名刺を置いてきといて良かった。そろそろ来るだろう。
ピーンポーンとロビーへの来客を告げる音が響く。
自分の部屋なのに動かない俺に代わり、アヤが対応してくれる。
「あ、来客のようですね。では、私はこれで。金なら払いましたからね」
これ幸いと坂太郎が立ち上がる。
「ああ、お気遣いなく。俺の客じゃありませんよ」
「え?」
アヤに案内されて入って来たのは、聖天坂太郎の妻、野口真由美である。
間もなくその関係を終える夫婦が、驚いて互いの顔を見合わせる。
「どうして、お前がここに……」
「昨日喫茶店で、気付いたらこの名刺があったから何かと思って……」
「この度はご愁傷様でございます、奥さん。さぞショックを受けられたことでしょう」
ハッと坂太郎の妻が俺の顔を見る。
「……あなたは?」
「天外淀臣、探偵です」
いい決め顔で言う。その質問を待っていたとでも言わんばかりだ。
「我々は不貞の証拠を握っています。何を言われても強気でOKです。裁判になれば確実に有利なのは奥さんですから、預貯金の8割を慰謝料にと交渉することをお勧めします」
「8割?! 冗談じゃない! 誰が稼いだ金だと思っている!」
「誰が不倫したから慰謝料を払うんでしょう」
「だっ……だからと言って、非常識だ!」
「証拠肉声聞きます? 奥さん」
「やっ……やめ、やめろ! この暗黒探偵!」
「俺が暗黒探偵なら、あなたは差し詰め絵の具の三原色のような人ですね。華やかな色で着飾りながら、その内側は混ぜ合わされたかのように真っ黒だ」
俺と坂太郎がにらみ合うと、静寂が訪れた。そこへ、すすり泣く声が静かに響く。
――あ! またあの水だ!
アヤがなぐさめるようにそっと坂太郎の妻の肩を抱く。
俺はうつむく妻の目から流れる涙をまたも手の甲に受ける。
完全にアウェイな空気に、
「わ……分かった! 慰謝料は預金の8割だ! その代わり、その証拠とやらをこちらに寄越せ!」
と坂太郎が弱腰の交渉を仕掛けてくる。
「渡さない! あなたの言うことを俺が信用すると思いますか」
相手の言い分なぞ飲む気はないな、俺よ。
まあ、証拠っつっても俺の頭の中だから俺しか扱えないしな。
「ならば、弁護士の元で書類を作成する! 弁護士から呼び出しがあるだろうから応じてくれ!」
涙に濡れた顔を上げ、妻がうなずいた。
やっと、坂太郎の顔に自責の念を見たように感じる。そのまま玄関へと向かい、出て行ったようだ。
すでに、弁護士に相談済みだったんだろうな。どこまでも自己保身しか考えていない男だ。
――さてと、話はここからだ。ふっかけてみるか。
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