第15話 無能なる聖女

 クラウスが危機を退けた後直ぐ、争いの音を聞きつけたアリスが二人の下にやって来た。その頃にはエステルも起き上がれる程に回復していたが、裂けたボールと角が潰れたパステルの箱を胸に抱いてぽろぽろと涙を零している。

 そんな彼女を前にして動けずにいるクラウスに坂道を降りて来たアリスは移動する旨を伝えると、続けてエステルを気遣いながら声を掛けた。だけど彼女は返答をせず放心している。

 アリスはグッと口を閉ざした後、重々しく口を開いた。


「それが貴方にとってとても大切な物だったと言うのは分かるけど、此処に居続けるのは危ないわ。何が起きているのか教えてあげるから、早く家に帰りましょう」

 

 本当はこんな事を言うつもりはなかったのだろう。

 それでも此処を動かなくてはならない。どの言葉でもいいから反応して数秒でも言いから立ち上がって欲しいと、そう言葉にしたのだ。

 エステルは小さく頷いてくれた。

 アリスの想いが伝わった訳ではないと思う。彼女は単に拠り所である家という単語に反応して頷いただけだと俺は思っている。

 それからはアリスに背負われて移動を始めた。

 俺はその後ろをクラウスに背負われながら付いて行く。


「…………何から話をすればいいのかしら」


 階段を上り終えたところでアリスが少し呼吸を整えながら呟いた。

 あのように言ってしまったため、話さない訳にはいかなくなってしまったのだろう。それとも別の意図もあるのかもしれない。

 とにかくアリスは話してくれる様だ。


「巻き込まれてしまった以上、初めから話をしてやるべきだ」


「やっぱり、そう、よね……」


 大きな溜息を吐いたアリスは、大通りの方に頭を向けて下にいる治安兵に無事だと伝えると、エステルを背負い直して歩きながらポツリポツリと話を始めた。


「始まりは今から八年前」



 ――星輝歴1062年、魔導大国テルシア王国の裏側で衝撃が走った。

 ヴィネストリア聖教第七十七代聖女ニコル=ヴィクトリア。歴代最年少の十一歳という若さで就任し、勇者一行の一人として傲慢なる魔王を打倒し、更にその後目覚めた古の暗黒竜ジャドゥ・アラカムを打ち倒した女神の使途。それが、歴代の聖人の中でも最も多くの魔力を保有していると謳われている、今も尚生存している最強の聖女である。

 そんな彼女と肩を並べられる程の膨大過ぎる魔力を秘めた八歳の少女が、テルシア王国の高等教育機関ローゼン・ブルーメル女学院の中で見つかった。

 それがクレアという平民の女の子だ。


 始めこそ誰もが疑い、信じなかった。

 彼女は特別な家系の出ではない。父は小さな村から上京してきた平民の軍人で、母は漁師の家系に生まれた、その界隈では名の知れた踊り子。

 そんな二人の間に生まれた女の子が、由緒正しき血統を継いできたニコルの様に、検査に使用されていた、触れた者の魔力を吸い上げて発光する水晶を破壊してしまったのである。

 それはを継いできた魔法使いの名家でさえ果たせぬこと。その形式が取られるようになってからの数百年の間にニコルしか成しえる事の無かった偉業である。

 だから最初は、水晶に傷が付いていたのだろうと保管体制が指摘され、新たに用意される事となった。だが再検査の結果は同じ、大人達は信じざるを得なくなった。

 そこからは経過観察が行われるようになり、ニコルの魔力を測定していた時に使用された特注の測定器を使って何度も調べられる事となったのである。


 半年後、驚くべき結果が出た。

 魔力を溜め込む器の成長というのは本来、身体の第二次成長期が始まる頃に衰えの前兆を見せるはずなのだが、彼女にはその傾向が一切見られなかったのである。それは即ち、未だに器が成長し続けている事を示していた。

 検査結果が出るな否や多くの大人達が彼女に期待を寄せ、何れ聖女ニコルとを越える聖女となるであろうと囁くようになったのである。


 事件が起きたのはその数日後の事だ。

 聖女の教育者という、最上級にも等しい名誉を欲した大人達が暴走を始めたのだ。

 彼女の意思だけではない。彼女の両親の意思も確認しないまま、失敗をすれば精神が壊れてしまう神降ろしの儀式を、魔法や宗教の知識も乏しい、何の訓練も積んでいない普通の暮らしをしてきた女の子に行わせたのである。

 秘密裏に行われた儀式は無事に成功した。彼等はさぞ喜んだ事であろう。

 だけど彼女には重大な欠陥があったのである。


 彼女は一切の魔法を使う事が出来なかった。

 正確には身に着ける事が出来なかったのだ。

 魔法の知識を授ける代わりに魔力を奪う魔法の本。通称、魔導書。

 魔力さえあれば誰もが魔法の知識を得られるはずなのに、彼女は知識を得る事が出来なかった。それどころか、自らの魔力を感知する事も出来ない程に鈍感だったのである。

 それが事前に判明されていなかったのは、危険が伴う魔法の勉強が中等部に入ってからの科目であったためだ。だから大人達は大いに慌て、思い付く限りの方法を試した。

 寮の部屋を移動させ、特別授業の時間を設け、食事制限が課せ。その待遇はまるでお姫様のようだったという話だ。

 だけど、何をしようと彼女の症状が改善する事はなかった。次第に大人達は彼女を影で無能と罵る様になり、失望を隠さなくなっていった。それと同時期に、平民の彼女が誰よりも良い待遇を受けている事に反感を持った貴族の御息女達の嫌がらせが過激化し、彼女に対する虐めを表立ってやるようになったのである。


 その中で彼女に価値を見出した者。それがあの女、マリアンヌ=カトリアーナだ。表の顔は学生達に法学とユグルス聖教の教えを問うユグルス聖教の司祭。裏の顔は教会組織の暗部、執行エクソシスト機関に属する怪物殺しの専門家。

 マリアンヌは、大人達の勝手な都合で学習環境を環境を壊されて友人を失い、学園中の嫉妬と陰口を聞きながら陰湿な嫌がらせに耐え続け、それでも期待に応えようと頑張っていた彼女の心の隙間に入り込んで、洗脳的な教育を始めた。時には薬が投与される事もあったそうだが、それを知った教師達もそれを許した。

 全ては、理想となる都合のいい聖人を作り上げるという大義のために――。



「そんな状態の彼女が、あの学園からどうやって逃げ出したのかは分からない。でもその小さな綻びから、学園で行われている不穏な教育が王家の耳に届いたのよ。その頃はまだ彼女が聖女となって居たなんて事は知らなかったけど、学園の中にはフレデリック殿下の婚約者がいた。閉鎖的な学園だったから、その安否を心配された殿下が立ち上がったわ。当時の私が事件を知ったのはその時よ。突然呼び出されて父と共に王城に向かったら、何故か女装した殿下とシャリーがいて、どちらかが俺の妹に成れと言われてびっくりしたの。その数日後に私達は変装して、異母姉妹として殿下を姉と慕いながら学園に潜入したわ」


「あのお方のおかしな噂はそこから来ていたのか。だが、何故そのような奇行を?」


「知らないわよ。当人が思いつくとは思えないから誰かの入れ知恵なのはわかるのだけど、殿下に女装を進める不敬な家臣が全然思い至らないのよ。でも、元々線の細いお方だから凄くお綺麗で驚いたわ。って、話がズレているわね。とにかく、この潜入調査のおかげで殿下は、自らの婚約者とその一家がマリアンヌという女と数人の教師と繋がっていて、聖女となった女の子を操り、国の転覆を謀ろうとしていた事を知ってしまったの。後はもう、一斉逮捕劇の始まりね。一流の名が地に落ちた事件だから、気になったら学園の図書館で調べてみなさい。当時の号外が残っているはずよ」


『酷い話だな』


 それ以外に言葉が見当たらない。

 勝手に期待して、勝手に巻き込んで、勝手に失望して手の平を返した奴等も相当だが、彼女を精神的に追い詰めるために学園の裏で手を回していた王子の元婚約者とマリアンヌは特にくそったれだ。

 だけど納得も出来た。

 あの体捌き、間違いなくクレアは訓練を積まれている。

 あの女が魔物や魔獣を含めた怪物殺しの専門家であり、エステルを化物呼ばわりしていた事を考えるなら、彼女はエドルフを殺すための教育も受けていたと考えるのが妥当であろう。

 学園でエステルにも優しい先輩達が、アリスも教師も変だと言っていた理由がやっとわかった。彼女達は二人が来週も笑っていられる様に、クレアの秘密がエステルに知られる前に解決しようとしていたのだ。

 それが間に合わず、最悪の形で目の前にやってきてしまったのが今の現状だ。


 ◇◇◇


 日が陰り始め、辺りも薄暗くなり始めた頃。

 教会に続く並木道の入り口に入ったところでニコルと遭遇した。

 彼女は始めからアリスの背中にエステルがいると知っていたかのように駆け寄って来くる。そこでアリスがエステルに優しく声を掛けながら降ろすと、彼女は汚れたパステルの箱と裂けたボールを手にしたままニコルにしがみ付いた。

 それはニコルにとって、かなり衝撃を受ける事だったらしい。

 腰にしがみ付くエステルの姿を見下ろして数秒ほど固まってしまっている。

 

「……何があったのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


 絞り出されるように呟かれた一言は、空気を震わせる程の重圧を纏っていた。

 体感の温度が急激に下がるような錯覚を二人は受けている事だろう。

 見た目よりずっと重たいであろうエステルと俺という重荷を背負って歩き続けた二人は、非がある訳ではないというのに乱れた呼吸を止めてビシッと背筋を伸ばしてしまう。

 その気持ちはよく分かる。

 今の俺には殆ど感覚何て物はないから気温の変化など分からないが、その代わりにニコルの背後に金剛力士と不動明王を融合させたかのような魔神がメラメラと燃え上がっているのが見えているのだ。

 その怒りは、以前大きな馬車で教会にやって来た男達に向けられていた怒りよりも遥かに大きな物だ。

 二人はエステルの治療を行うニコルの視線が自分達に向けられる前に視線で会話をして、現場に駆け付けたクラウスが、彼が知る限りの出来事を話し始める。


 夕時に大通りを歩いていたら堤防の上で何かが爆発したこと。

 近場に駆け付けたら少年が一人倒れた状態で呻いていて、友人だと思わしき二人の少年が泣いていたこと。

 近くで見ていた大人の証言から彼等が魔導銃を使ったこと。それを拾って階段を上がって行った女がいたこと。

 河川敷側でエステルにダガーを振り上げていたクレアがいたこと。

 そして、マリアンヌという女が二人の背後から攻撃を仕掛けたこと。

 クレアを回収して逃げたこと。


 それらをなるべく簡潔に報告すると、ニコルは「そうですか」とだけ告げて彼等を教会に招くような素振りを見せた。これを断れるがいたら、余程の馬鹿か、彼女の威圧に耐えられる程の強い意志を持った強者なのだろうなと思う。

 勿論二人は、エステルの頭を撫でてゆっくり歩き出したニコルに続いた。

 教会の大きな扉を開けて二人が招き入れられると、礼拝堂の長椅子に座っていたティリスが立ち上がって彼女達を出迎える。

 だが、エステルの状態を見て何が起こったのかを悟ったのだろう。

 キュッと唇を噛み締めて視線を落とした。


「ティリス教授、何故ここに?」


 クラウスが驚くのも無理はない。

 今の彼女の衣装は端々には焦げ目やささくれが見られる。それはこの場に来る前に何者かと争った跡だと容易に分かるものであった。


「学園長が不在の今、非常事態下に置いての最高指揮権限はニコル様にありますので、クレアちゃんのご両親の安全を確保した事を伝えに来たのよ」


「私も、此処に居りますわ。どうやら私が向かった道が正解でしたわね」


 ティリスの背後の座席からシャルロッテが頭を出した。


「それで返り討ちにあってどうするのよ」


「言い訳になるだろうけど、相性が悪かったのよ。手も足も出ないとはこの事ですわね」


「そんなに強い相手と戦ってよく生きていたわね」


「強い。ええ、確かにあれは強敵ですわ。だから貴方も、クレアさんと戦う時は気を付けなさい」


「……その冗談は笑えないわよ」


「むしろ笑えますわよ。私の魔法が、彼女に一切通じませんでしたの。魔力で作り出した物は全部、攻撃した側が壊れていく。近接戦闘を試みれば道具を使用して自爆はするし、魔力を爆発させて魔力酔いを引き起こして来るわ。打撃と投擲以外の何が起きてもダメージが通らない。距離を取れば逃げられて、追えば流れを持って行かれる。それで気が付いたら此処に居て、その話をする前に貴方がエステルさんを運んでいる事を知って、安否の確認する事が優先になりましたの」


 夕方の空を飛んでいた鳥の中にティリスの使い魔シルフバードが混じっていたのだろう。だからニコルが慌てて走って来ていたのだ。


「クレアちゃんには、殆どの魔法は効果がありません」


 ニコルが長椅子に腰を下ろしてエステルの背中を叩き始めたのを確認して、ティリスが口を開いた。


「彼女の体質により変化した魔力が強固なマジックガードとなって、ありとあらゆる魔法を弾いてしまうからです」


「だが、魔導銃の魔法は届いていた」


「クラウス君、その時の状況を教えて頂けますか?」


「エステルを押さえ付けている時に背後から撃たれただけの様に見えたのですが」


「それでしたら理由は二つ。一つは不意打ちだったこと。二つはその魔弾が二重構造の特殊弾だった事です。少しでも身構えてしまうような意識下であれば効果はありません。ですが意識がない時や意識外からの攻撃の時には、マジックガードの薄い部分を通過して彼女に通る事があります」


「体質によって変化?私達も無意識に身体の表面に極薄の魔力を流しているという論文は読んだことがありますが、それは肉眼で捉えられない程に微々たるものであるはずです。それが強固なものに変化する体質というのは、どう言うものなのですか?」


「これからするお話は、聖人や勇者と呼ばれる者達が、何故高い能力を秘めているのかと言うお話に繋がります」


「そのお話を私達が聞いてもよろしいのですか?」


 クラウスが眼鏡を弄りながら視線を彷徨わせると、エステルを見下ろしていたニコルが口を開いた。


「構いませんよ。元々秘密にしていた訳ではないのです。それと関わる人が少ないために、一部の機関に属する人しか知り得ていないだけ。知っているからと言ってどうにか出来る事でもありません」


「そういう事でしたら、お願いします」


 頭を上げたニコルがティリスに視線を向けると、彼女は軽く一礼してから再び三人の顔を見渡して口を開いた。


「これからお話する物には正確な名称がありません。なので此処では、魂のレベルという表現をいたします」


「「「魂のレベル?」」」


「はい。人には能力を示すレベルの他に、魂のレベル。つまり、器としてのランクがあるのです。それは魔力の器と同じように個々の努力でどうにか出来る物ではありません。ですが、生まれ持っての素質や、特殊な方法で力を得た場合などに、常人を越える事があるのです」


「その内の一つが神降ろしの儀式ですね」


「そうです。あの儀式は人の魂のレベルを引き上げます。ですがそれに見合わぬ場合、授かった膨大な力を抑える事が出来ず、精神にまで影響を及ぼしてしまうのです」


「その結果、精神が壊れてしまうという事か」


「はい。ですがその力を受け止めきれた場合。その人物の魂のレベルは一つ上がります。それによる能力の変動は人それぞれかと思われますが、決まって変化を起こすものがあります。一つは、裏の適性と呼ばれる第二適性属性の開花。そしてもう一つは、その者が持つ潜在能力。所謂、固有スキルの開花です」


「裏の適性と言うものは、得意属性が二つになると考えればよいのでしょうか?」


「その認識で構いません。第二適性属性が開花すると、聖痕の魔力光に変化が現れます。ニコル様を例として出すのであれば、このお方は元々光の適性があり、第二の適性として土属性が芽生えました。その結果、神々しい黄金色の魔力を帯びるようになったのです」


『それってもしかして』

「待ってください!それではエステルは!」


 ティリスの説明を聞いて、俺と同じように察したクラウスが声を荒げた。


「お察しの通りです。エドルフは、生まれた時から魂のレベルが我々よりも高いのです。だから一般の方々と比べても彼女達は強い」


「エステルの運動能力の高さにはそんな秘密があったのね」


 これにはクラウスだけでなく、アリスとシャルロッテも驚いている様だった。


「話を戻しましょう。ユグルス神の加護を授かった聖人クレア。彼女は歴代の聖人の中でも異質な存在です。歴代最高峰の魔力の器を持つニコル様よりも大きな器を持ちながら、魔力を扱う才能が著しく欠けているだけでなく、第一第適性二適性共に光の適性を備えている前代未聞の聖人なのです。そんな彼女が身に着けた固有スキルは《穢れ無きの天女の加護》。彼女の魔力は、どの色にも染まる事がありません」


「染まる事がないという事は、一つの精霊以外を呼び込む事が出来ないという事ですわね」


「同時にその固有スキル。いえ、体質が、無意識に魔法を退ける壁となっている。魔導書に目を通しても知識が得られないのは、魔導書が持つ魔力を吸って知識を授ける魔法が、彼女の持つ特殊な魔力の壁に遮られて機能しないからだったのね」


「その通りです。彼女が魔法を扱うためには、魔導書に記された膨大な知恵を全て暗記し、自身の中に一から術式を作り直さなくてはなりません。ですがそれは賢者の所業。魔力を操る事は愚か、満足に精霊を呼び込む事の出来ない彼女には、とても行える事ではありません」


「それでも、彼女のような人が出てきたら魔法使いは真っ青だわ」


「現に私が彼女を止める事も出来ずに返り討ちにあっておりますからね」


「それでも、クレアちゃんの弱点は運動能力がさほど高くない事です。護身術程度に軍事格闘術を学んでおりますが、素手の状態では並の男性に敵いません。当然、しっかりとした訓練を受けているシャルロッテさんなら組み伏せてしまえるレベルのはずです」


「魔力の爆発は彼女の最大の抵抗だった」


「はい。あの方法は私が教えました。臆病な子ですから、襲われた時にパニックを起こして何も出来なくなる事を危惧したのです。同時にこの学園に通うに当たって、魔物に対しても身を護る術を与えてあげなくてはならなかった。でも、あの子に剣を握って戦えと言うのは」


「無理ね。時には人の方が怖いとはいえ、日常生活の中でも人を避けてしまう子に、魔物相手に剣を手を持って前に出ろなどと言うのは酷だわ」


「弓を扱うには、その、あの子は立派な物を持っておりますし、クロスボウを持つには筋力が足りない。扱い方は教えましたが、矢の装填時間を考えてこれでは難しいと判断しました。だから私は、彼女の可能性と、憧れを現実の物とするために魔導銃を与えたのです」


「質問です」


「クラウス君、何ですか?」


「先ほどティリス教授は、彼女の魔力は魔法を弾くと言いましたが、魔導書の力を弾くのに、魔導銃は扱えるというのはどういう事なのですか?やはり魔力はティリス先生が補充した物を使っていると?それでは意味がないのでは?」


「彼女の体質と魔力の研究を進めた結果、マナカートリッジを通した魔力なら魔法に変換出来る事が分かりました。これは、マナカートリッジが特別な力を持っている訳ではありません。彼女の身体から離れた魔力が、その特性を失う事が判明したからです」


「つまり、魔力が魔法を弾く程の精霊を呼び込んでいるのではなく、彼女自身の体質が魔法を弾く原因となって居るという事なのね」


「その通りです」


『だから天眼の儀式も出来ると判断したわけだ』


 少しでも皆と同じ事が出来るようになって、自信を付けてもらいたいという願いもあったのだろう。


「此処までがクレアちゃんの体質に関わるお話ですが、ご質問はありますか?」


「ではもう一つ。彼女の精神汚染はどの様に?彼女は一度洗脳から逃げております。それは即ち、以前の洗脳も完全な物ではないと言うこと。更には、件の学園を脱出してから四年は経過しているはず。そんな人物に、古典的な洗脳方で暗示が掛けられるのでしょうか?」


「無理と言い切る事は出来ませんが、限りなく難しいでしょう」


「ではどのように?」


「……貴方達は、ハスリーレポートと言う物をご存じですか?」


「百八十年ほど前に、北ミッドランド王国で行われた人体実験の記録ですわね」


「確か、ミッドランド統一の戦争時の物だったか?」


「そうよ。実際は、捕虜や奴隷を扱った非人道的な人体実験をやめない北ミッドランド王国に、ユグルス聖教が聖戦を仕掛けたのが始まりと言われているわ。そのきっかけとなった物がハスリーレポート。最近の考察では、南ミッドランドの密偵がユグルス聖教を焚きつけた何て話もあるわね」


「三人ともよくお勉強をされておりますね。そのハスリーレポートの中に、人の意識を操るための強制催眠法という物がありまして、その方法の一つに魔導書にも使用されている投影の魔法式を用意た物が存在します」


「魔導書の様に精神に記録するをするという事?」


「記録をするという点は同じだけど、全くの別物。肉体を通して精神に痕を残す方法が使用されております。そうやって内部に残した痕跡から、術を発動させる鍵となる物を通す事によって、人体の脳に直接命令を送れるようにしているんです。クレアちゃんの瞳の奥にはその痕跡がありました。もちろん解呪も考えました。ですが彼女の体質と、何が鍵となって発動するのか分からないという二点から、非常に困難であるため下手に手を出すべきではないという結論に至ったのです。もし失敗してしまったら、彼女の精神を著しく傷つける事になる可能性はもちろん、失明の危険もあります。二度と元の日常生活を送れなくなる可能性の方が高い」


「でもそういう事なら、成す術がないという事ではない」


「はい。魔法式を発動させている何かを奪う事が出来れば、彼女を洗脳状態から解除して取り戻す事が出来ます」


 一通りの話しが終わると、場の空気が少しだけ和らいだのが分かった。

 エステルは未だに落ち込んでいるが、話し合いをしていた彼等の中では方針が決まった事に光を見出しているように見える。


「やっぱりマリアンヌ本人を追うしかなさそうね。問題はクレアさんよ。なるべく傷付けずに救出する方法はないかしら?」


「難しいですわね。やはり人手を使うのが一番ではないかと」


「でもそれだと彼女の抵抗で死者が出た場合。正気に戻った後が怖いわ」


「直ぐに答えが出せる物ではあるまい。今夜のところは大人に任せて、各自で案を考えるべきだと思う。俺達にどれだけの事が出来るか分からないが、少なくとも捜索は明日からの方がいい。二人共今日は休むべきだ」


「それが良いでしょう。今回の事件は国の一大事に関わる事ではありますが、貴方達はまだ学生です。まだ先の長い未来のために出来る範囲内で行動して下さい」


 無茶をしたアリスとシャルロッテに向けてティリスが少し強く言葉を吐くと、二人は視線を合わせた後に観念したとばかりに返事をした。

 その態度にやや呆れながら肩を落としたクラウスは、腕を組みながら二人に追い打ちを仕掛ける。


「こうなった以上はあの二人にも協力を要請する。それと、寮が同じ場所とはいえ流石に今日は送って行く。異論は聞かん。良いな?」


「ぐちぐちと煩く言われそうですわね」


「仕方がないわよ。競技館の備品整備をすっぽかしただけじゃなく、こんな失態まで冒してるんだから。そこは甘んじて受けましょう」


 こうして今日という一日が終わっていく。

 こんな時、俺に出来る事は何だろう。

 泣き疲れて眠ってしまったエステルを見下ろしながら俺は考えていた。


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 おまけ○○紹介


 ・傲慢なる魔王

 現物語から十五年前、突如として現れて周辺国に多大な被害を及ぼした。自分の力に絶対の自信を持つ傲慢な魔王。


 ・暗黒竜ジャドゥ・アラカム

 この世界では有名な不死の暗黒竜。

 現物語から十三年前、当時十四歳だったニコルが再び封印を掛けた。


 ・ローゼン・ブルーメル女学院

 賢者ローゼン・ブルーメルの膨大な遺産によって築かれた、清く華々しい淑女を磨く、テルシア王国の歴史ある高等教育機関。

 七歳から十六歳までの女学生が通う小中高の一貫の全寮制の学園。それなりに裕福な平民や箔を付けたいお金持ちの貴族の子女が多くが通っていた。だが、とある少女が逃げ出した事をきっかけに、内部の洗脳的教育及び、権威主義体制や汚職問題が次々と発覚した事で、今は門を閉ざしている。


 ・マジックガード

 自らの魔力で身体を覆う事で魔法耐性を上げる技法。人によっては無意識に使っている場合もある。


 ・魔導書

 魔力を奪う事を代償に魔法の知恵を読み手に記録する事が出来る書物。

 これが誕生する前の魔法は、賢者や魔女と呼ばれた破格の記憶量と魔力を感じ取る事の出来る天才達のみが扱える、神々の御業であった。


 ・投影の魔法式

 魔導書に組み込まれている投影の魔法によって、コピー&ペーストされる魔法の術式のこと。この方法を使用する事により膨大な知恵と記憶力を要する魔法式を魔導書に一括し、魔力によって覆われた精神(魂)の外側に記録する事が出来るようになった事で、感覚とイメージによって誰でも魔法が使えるようになった。

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