第13話 電撃少女を呼ぶ声

 黒に染まる世界の中を、七海が歩いていた。

 手を伸ばしても、どれだけ走っても。

 どうしても彼女の元へ辿り着けない。

 

 名前を呼ぶ。

 まるで声が聞こえていないかのように、七海はただただ進んでいく。どこへ向かおうとしているのか、その先に何があるのか分からない。


 足がもつれて思うように動かない。

 俺はもう一度だけ、力の限り叫んだ。



「――七海っ!」


 俺の目元に衝撃が走り、真っ暗な視界に火花が散る。遅れて、額のあたりにじんじんと鈍い痛みが広がった。


「っ……てぇ。な、何が起きて……。てか、ここは」

「いったぁ……」


 すぐそばで、声がした。

 痛みでぼやける視界の先に、しゃがみこんでおでこを押さえた椎名が映る。


「……椎名? なんで、ここに?」

「な、何言ってるのかな君は……。私をここに連れてきたのは君だろうに」


 椎名の言葉に辺りを見回す。段々と目が慣れてきて、見覚えのある景色だと気づく。

 すぐ真上には石造の鳥居。暗闇に包まれた本殿と、まっすぐに伸びる石畳の道。取り囲むようにしてごうごうと揺れる木々。


 そうだ。俺はこの神社で、七海の姿をした七海もどきに近づいて、何かヒントを得ようとして――。


「急に、君はふっと力が抜けたみたいに倒れ込んだんだ。死んだかと思った。私は君が息をしているのを確認して、そうして」


 椎名はおでこをおさえたまま、黙り込む。


「それで、どうなった? 七海は? もう一人のあいつは」

「私が彼女たちの方を見た時には、君の後輩だけがそこには立ってた」

「……でも、確かに二人」

「うん。居た。少なくとも私にはそう見えた。だから私は残っていた後輩に訊いたんだ。どういうことなのか説明して、って」


 けれど、今この場所にいるのは俺と椎名だけ。

 つまりは、そういうことなのだろう。


「あの子は何も答えずに、ただ走ってこの階段を降りて行ったよ」

「そうか……」


 俺は服に付いた砂を払いつつ立ち上がる。

 椎名も倣うようにして俺の隣に並んだ。

 ざわめく木々がやけに不気味に感じられる。


「今でも夢なんじゃないかと正直思ってるんだけどさ」

「私だって、そう願いたいな。でもおかげさまで夢うつつなのは君だけで、私はずっと意識もはっきりしてる。私も一緒に気絶してしまいたかったくらいだよ」


 俺は苦笑する。

 ここまで来ると、逆に笑えてくるな。


「七海の電撃の正体を掴むどころか、分かんないこと増えたんだけど」

「……意外と冷静だね。さっきまでうんうん唸りながら後輩の名前を何度も呼んでたくせに」


 …………見られてたと思うと、すげえ恥ずかしくなってくるな。

 俺は誤魔化すように痛む額を撫でる。そこで椎名もおでこを押さえていることに気づく。


「ん? てか、なんで椎名もおでこ? 待てよ。俺とおでこがぶつかったってことは、椎名は……」

「知らない」

「俺を普通に側で見てただけなら、そうはならな」

「違うから」

「…………」


 睨まれたので追求するのはやめておく。

 俺一人を置いて帰らないでいてくれただけでも感謝しなくては。


 スマホを取り出し画面を見る。

 かなり時間が経っているのではないかと思っていたけれど、気を失っていたのはわずかの間みたいだ。


「なあ椎名」

「違うって言ってるでしょ」

「その話じゃなくて」


 不満そうにこちらを見上げる椎名。

 なんでそんなに怒ってるんだよ。

 俺はさらに怒られそうだな、なんて思いながらも口を開く。


「――今から、七海捕まえにいかない?」


 言うと、椎名は目をぱちぱちとさせて首をこてりと傾げた。


「ごめん。ちょっと聞こえなかった」

「今から七海捕まえにいかない?」

「聞き間違いじゃなかった……」


 頭を抱える椎名に俺は続ける。


「今日じゃないとダメな気がするんだよ。多分明日になったら今見たことも全部無かったことみたいになりそうでさ。それに、七海が大人しく家に帰ってるとも思えない」

「嫌だよ。こんな時間に彷徨いてたら補導されるかもしれない」

「補導される時間まではまだ少し余裕がある」

「……どうやって探すのさ。この街を適当にぶらぶら歩いて見つかるとは思えないよ。それに、後輩はもう家に帰ってるかもしれない」


 椎名の言い分ももっともだ。

 最悪、無事に家に帰ってくれているのならそれでいい。問題は帰っていない場合だ。

 このままどこかへ消えていってしまいそうな不安感と危うさが今の七海にはある。


「帰っているかどうかを確認した上で、帰っていなかった場合にあいつを誘き寄せる冴えた方法がある、と言ったら?」


 俺はスマホを片手に椎名に言う。

 椎名は半目で俺をじと、と見つめると、期待なんてしていないと言わんばかりにため息をついて口を開く。


「そんなものがあるならお聞かせ願いたいな」

「七海のお母さんはめちゃくちゃ怖いらしい」

「私の中では死ぬほどどうでもいい情報だ」


 そうかもしれないが、そこが重要なんだ。


「今から七海にメッセージを送る。内容はこうだ。『今から二十分後に七海の家に向かう。家に居るのなら証拠を見せろ。居ないのなら、家のそばのコンビニに来い。連絡が無ければ家のチャイムを押す。お母さんに娘さんが非行に走りましたと話すからな』」

「小学生か君は」

「なんとでも言え」


 怖いお母さんの力を借りてでもやらなければ。七海のためでもあるし、これはきっと俺のためでもある。


「今日でよく分かった。七海に起きている現象は考えたって分からない。考えたって分からないものは、わかってそうなやつに聞くのが一番だ」

「さっきから当たり前のように言うけれど、それが出来るなら苦労はしてないと思うな」

「別に無理にとは言わない。ただ、椎名が居てくれたら俺が助かる。そして嬉しい」

「…………ふん。まあいいけど。私、パフェが食べたい」


 椎名はそっぽを向くと、ぽつりと漏らす。

 月明かりだけの中、彼女の白い肌がうっすらと桜色に染まっているのが見えた。


「そんな恥ずかしそうに言うなよ。遠慮せずに言えばいい。俺と椎名の中だろ? 超絶ビッグサイズのが食べたいならんんっ!!!」


 椎名に踏みつけられた足を押さえつつ、俺は声にならない声で悶絶する。


「余計なことは言わずさっさと送ったらどうかな? メッセージ」

「はい。すみません」


 俺は痛む足をさすりつつ、スマホを操作してメッセージを打ち込んでいく。


「まったく。女の子をこんな時間まで連れ回すなんて。夏休み初日からとんでもない男だよ」


 さっきも聞いた気がするな、なんて思いつつちらりと椎名の表情をうかがう。


「……なんで、ちょっと嬉しそうなんだ?」

「――あ?」


 ドスの効いた声のあまりの恐ろしさに、俺は彼女の顔を見上げることが出来なかった。

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