閑話休題 植物の不思議~花が先か、蝶が先か?!

植物は種を作って子孫を残します。その昔、菌類が登場し、キノコを作り、胞子を飛ばして、繁殖エリアを広げていきました。松は、松ぼっくり内に種を作り、種についている片羽根で、ゆっくりと回転、落下しながら周囲へ種をばら撒きました。タンポポは、種に綿毛をつけることで、風に乗って、より遠くへ運ばれるようになりました。


でも、まてよ?脳や目がない植物が、なぜ、風に乗ると重力に逆らってゆっくりと落ち、また、遠くへ運ばれる、ということを知っていて進化したのか?ということを。


客観的に俯瞰している第三者の存在、意識を感じませんか?


花を咲かせ、蜜を貯め、それを目当てに蝶がやってきて、花粉を足につけて飛び回ることで受粉が満遍なく行われ種の反映に貢献する、ということも、蝶は、口がストロー状になっているため、成虫になってからは、エネルギー源が蜜に限られています。蜜がないと生きられないのです。一方、花は、「ここに蜜があるよ」ということを視覚的に外部へ伝える目印ですが、そもそも蝶がいないときに花を咲かせ、蜜を貯めても意味がありません。蝶も蜜がない状態で誕生しても生きていけません。


つまり、花や蝶は、いずれかが先ではなく、同時に誕生したと考えるのが妥当ではないでしょうか。ここでも、やはり、第三者の存在、意思を感じます。いきなり無から誕生するというより、存在していたある種から突然変異的に誕生したのでしょう。


別の例えをします。目の前に電卓があります。なんの変哲もない普通の電卓です。この電卓が20年経過したらノートパソコンに進化するのでしょうか?


答えは、視点により2つあります。


ミクロの視点では、目の前の電卓そのものは、完成されたものであり、これがウニョウニュ変形してノートパソコンへ変身することはありえません。

しかし、マクロの視点では、電卓を開発した事実を元に、もっともっと失敗や経験して、ついにノートパソコンという新種を開発するということです。


Windows10を搭載しようとすると、ハードウェアにもそれなりのスペックが要求されます。電卓にWindows10は、、、、とても無理ですね。ラズパイあたりで、ようやくコア部分が搭載できるかどうか、というところです。


つまり、人間の「魂」を搭載するたには、生体側にもそれなりのスペックが必要となります。


たとえば、生まれ変わったら、猫だった...というのは、「なし」だと考えています。


言いたいことが伝わりましたでしょうか。背景に大きな意図、および、その意図を行使するナニカの存在。昨今、徒然思うことです。



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