39.絶望の淵に立つ
ユタカはゆっくりした動作で剣を鞘に収めた。大きく深呼吸すると、アスカに抱きしめられてうずくまって泣いているサザを見つめた。
(どうしておれはサザを泣かせているんだろう)
サザはあんなにも小さかっただろうか。アスカの胸で泣きじゃくるサザは、まるで年端のいかない少女の様に見えた。
この世で一番泣いていて欲しくない人が泣いている。その原因の一つが自分だったとして、ユタカはこうするしか無かったのだ。ユタカは心から無理矢理後悔を締め出すと、胸に手を当てた。アスカはサザの背を諭すように優しくさすりながらユタカの方を見て頷いた。ユタカはそれに応えるように目を細めて会釈した。
「っつ……」
ユタカの後方で、カズラが脇腹を抑えてよろめきながら何とか立ち上がった。カズラはまだ倒れているアンゼリカの元に向かう。しばらくサザを見つめてぼんやりと立ち尽くしていたユタカははっとして二人の元へと駆け寄った。
「二人とも大丈夫か?」
「私は大丈夫です。……アンゼリカはどうだ?」
「……何とか。完全にキマッてはないです。サザはちゃんと外してます」
「良かった。無理しないでくれ」
カズラとアンゼリカが無事なことを確かめたユタカはサヤカの方へと向き直った。
サヤカは相変わらずぶるぶると震えながら藤色の目を見開き、玉座の下にうずくまりこちらを凝視していた。以前は丁寧に切り揃えられ整えられていた紫色の髪は乱れてぼさぼさと跳ねていた。ともすれば相手を斬り殺しそうな位の怒りを心の内に収めながら、ユタカは、この状況を生み出したであろうサヤカに向かって静かに歩みを進めた。
ユタカは長剣をもう一度素早く抜刀すると、サヤカの喉元に突きつけた。
「おい」
ユタカが先ほどとは全く違う、低い声で強く言い放ったので、サヤカがびくりと身体を震わせ、座り込んだままユタカの顔を見上げた。
「ひっ……はい……」
「勘違いするな。おれが守ったのはお前じゃなくて、戦争で亡くなるかもしれなかったイスパハルの国民だ」
ユタカは足元にひざまづくサヤカを見下ろす。サヤカの顔が引き攣っているのを見て、自分の顔に少なくない怒りが現れているのだろうとユタカは察した。怒りの感情が頂点に達している自覚とは裏腹に、至極冷静な自分がいた。ユタカは静かな口調で言葉を続けた。
「結局お前は、おれの大切なサザを何に利用しようとしたんだ」
言わねば殺されるとでも感じたらしいサヤカは座り込んだままユタカを見上げ、震える声で言った。
「……サザ王子妃はあなたの最大の弱点です。手に入れればイスパハルに優位に立てます」
ユタカはサヤカの答えに思わず笑いを禁じ得なかった。
「サザがおれの『最大の弱点』だと? 笑わせるな。毎回おれがどういう気持ちで、暗殺者として出かけていくサザを見送ってると思う?」
サヤカはごくりと息を飲み絶句した。笑顔のせいで恐怖が深まったのかもしれない。ユタカの背後でアンゼリカとカズラが息を漏らした声が聞こえた。普段のユタカをよく知っているカズラとアンゼリカは、今の笑顔のユタカの瞳に宿る光の鋭さを感じ取ったのだろう。
「悪い、そんな野暮な質問はするべきじゃ無いな。お前には絶対に理解出来ないだろうから」
ユタカは笑顔を深めると、剣の切先をサヤカの首元に触れさせた。サヤカが恐怖から小さな声を漏らしたが、ユタカは反応せず話を続ける。アスカに抱き止められたサザの嗚咽が響く王の間で、ユタカはもう一度口を開いた。
「サヤカ。おれはここではお前を殺さない。戦争が起きれば何の罪もない沢山のイスパハルの人々が苦しむからだ。ウスヴァが言った様におれは『分別のあるイスパハルの王子』だから。でも、いつか、もし本当に戦争になったら。真っ先にお前の所に行っておれがこの手で殺してやる。絶対にだ。おれのサザを傷つけるというのは、そういうことだ」
「っ……」
恐怖が限界に達したらしいサヤカの瞳から涙がこぼれ落ちた。ユタカはサヤカの首元から長剣を離すと鞘に収め、サヤカを一瞥して振り向いた。
振り向くとカズラとアンゼリカはユタカの後ろから、戸惑った表情でユタカを凝視していた。おそらく、この数日のユタカと今のユタカが余りに違うことに戸惑っているのだ。
こんなに自分の中の怒りを止めていられなかったのは生まれて初めてだったのかもしれない。ユタカは少し気まずくなってため息をついて目線を下げた。そのことが二人を安堵させたらしい。二人はほっとした表情を見せて立ち上がった。
ユタカはもう一度サヤカの方を振り向くと、先ほどと同じ様に淡々とした口調で言った。
「ウスヴァの身体を整えた後でいい。悪いが馬車を用意してもらえないか」
「……は、はい…………」
ユタカの言葉に、サヤカは震える足で何とか立ち上がるとふらふらと王の間の扉を開ける。すぐ前で待機を命ぜられていたらしい兵士はウスヴァの亡骸を見て驚愕している。
王の間には、まだサザがしゃくり上げる声が響いている。アスカはサザの身体をより一層強く抱きしめた。ユタカも本当は戦うのではなく、サザを抱きしめたかった。この世の誰よりも会いたかった人だ。でも、今それをすべきなのが自分ではない事だけは分かる。自分はこの国の王子としてやらねばいけなかったことをやったのだ。
「……サザを取り戻すおれ達の目的は達成した。イスパハルに帰ろう」
「……はい」
カズラとアンゼリカが小さく返事をして頷く。血の匂いに包まれたカーモス城の王の間には、信じられないほど美しい秋晴れの夕陽が差し込み始めていた。
―
※補足
ユタカのセリフ「毎回おれがどういう気持ちで、暗殺者として出かけていくサザを見送ってると思う?」の内容…「12.後悔」
https://kakuyomu.jp/works/16816700426501889362/episodes/16816700426502648469
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