竜の女王

 目が、見えなくなった。

 何か前兆があったのではなくて、目が覚めたら見えなくなっていた。


 医師に診せても何もおかしなところはないという。

 何か恐ろしい目に遭ったり、過剰に心に負担になることはなかったかと質問されたが、さすがに罠にかけられて吊るされたと告白するわけにはいかない。

 それに、正直、あれが原因だとは思いたくない。オリバーとの事件はもちろん大変だったが、今でも恐怖を引き摺っているとは考えられない。

 

 そんなことを考えながら鏡台の前に座る。椅子の場所を間違えることもない。

 くしのある場所に手を伸ばせば、問題なく櫛に手が届く。

 目が見えないことに最初こそ驚きおののいたが、見えない代わりに勘が働くのか、あまり困ることがない。

 感覚が研ぎ澄まされて、物の場所も何となくわかるし、人の気配もする。

 一つ困ることといえば、御者ぎょしゃが階段をあがる時に差し出した手を、気持ちが悪くなって長く握っていられなかったことだろうか。

 こうなってみて、最近感じていた違和感が何だったのかわかってきた。

 

「姫様、何かお持ちしましょうか?」


 心配したレトは四六時中私の側にいてくれる。

 レトは久しく家に帰っていない。もう二ヶ月以上も城内にある騎士用の宿舎から出勤している。

 子どもの頃は当たり前だと思っていたことが、レトの献身によるものだったと分かってきたのは、二年前に私が愚かな事件を起こしてからだ。

 休みなく私の世話をさせてしまって、レトには申し訳なく思う。


「レト、一つお願いがあるの」

「なんでしょうか?」


 今はレトの気配が城の中で一番よくわかる。

 時々様子を見にやってくるジェームズも黙っていてもすぐに分かる。

 きっと、竜に関係する者の気配は大きいのだ。


「女性の竜がいると言っていたじゃない? その方と話をする機会は得られるかしら」

「女性の竜と申しますと、ベリル家のアビゲイル様の事でしょうか?」


 私は昔からベリル家と聞くと悪寒がする。

 竜から王位を掠め取ったカヤロナ家の負い目がそうさせているのかもしれない。


「……そう、アビゲイルという方なのね。それで、レトはその方に会ったことがあるの?」

「時々、陛下がお忍びでベリル家にいらっしゃることがございまして。ほかの騎士を連れて行くわけにはいかないからと、私がお供を致します」


 一度や二度という言い方ではない。

 父が頻繁にベリル家を訪ねているとは驚きだったが、国王ともなると竜の力を借りねばならない局面もあるのだろう。

 政治からは遠い私は、父の友好関係に関しても疎い。カヤロナ家はベリル家と関係してはならないというのは私の思い込みだったのかもしれない。


「レトはバロッキーの分家の出だものね、ベリル家への案内にふさわしいわ」


 レトは、あいまいな表情で口元を笑みの形に整える。

 レトは騎士の家系であるラッセル家の姓を名乗っているが、生まれはバロッキーの分家だ。

 高い身体能力を見出され、ラッセル家に引き取られたのだ。

 そういうバロッキーを都合よく使おうとする国のやり方は気に入らないな、と思う。

 

「分家の者など、さほど珍しいくはありません。実際、バロッキーの分家などはいろいろな所におりますよ」

「そのようね。前に靴を作った店があったじゃない? あの店もバロッキーの分家だったのですってね。ミスティが教えてくれたわ。私ってバロッキーについて本当に無知ね。自分の身にだっていくらかは竜の血が混じっているはずなのに」

「姫様は竜らしいところが多分におありですよ」

「まさにそのことなのよ。ここの所いろいろなことがあって、少し神経が過敏気味なの。でも、これが竜の血によるものなのかどうか決めかねていて。その方と話したら、いくらか対処法が分かるんじゃないかと思って」

「そうだったのでございますか。細かいことに気がつかずに申し訳ありませんでした。なるべく早く、訪問が可能かどうか聞いてまいります」

「それでね……できればミスティには知られたくないの。バロッキーと縁が深まるのは仕方ないとしても、あまり他の竜の家系と関係が深くなるのは良くないと思わない?」


 あまりにも稚拙な言い訳だったかもしれない。

 オリバーに吊るされたのはショックだったが、それが原因かもしれないだなんてミスティにはあまり知られたくない。

 サンドライン家に降嫁する話をおもいつきでしたら、怒っているようだったし、出来ることならミスティが帰って来る前に目を治してしまいたい。


 それに、人に触れられるのに違和感があるのは、どう考えても、普通の人らしいことではない。

 私の身には分家の中で最も濃い竜の血が流れているはずだ。しかし、硝子がらす瓶にとってどれだけと量れるわけでもなし、実際どれほど竜の血が流れていて、どれほどの影響しているのかわからない。

 そういったことを相談する先はきっと亡き母だったはずだが、それ以外には相談する相手が思いつかない。

 イヴやサリは親身になってくれるはずだが、二人とも竜ではない。竜の血が関係ないのだとすれば、最終的には頼ることになるだろうが、今はまだわずらわせたくない。


「畏まりました。そのように手配してまいりいます」

「ありがとう、レト」


 部屋を出て行く前に、レトは足を止めて、私を振り返ったようだ。


「いいですか、姫様。ベリル家に行くのでしたら覚悟なさいませ。アビゲイル様は真の『女王』であらせられますゆえ」

「え――どういうこと?」



 *



われが本来のバロッキーの王じゃ、平伏へいふくせよ、カヤロナの娘よ」

 

 りんとした声が部屋に響く。

 声だけでも身が縮むようだ。

 私の知っている竜の中で一番大きな気配がする。

 顔や仕草は分からないが、私の中の何かが怯えている。


「お初にお目にかかります。クララベル・カヤロナでございます」

 

 王族であるという矜持きょうじを投げ捨てて、知らずに身をかがめて最敬礼の姿勢をとる。


「ほう、ルイとはちがってわきまえておるの」


 国王である父ルイズワルドをルイなどと縮めて呼ぶのを初めて聞いた。

 虚勢を張ることも出来ずに、身を固くする私にレトが寄り添う。


「レトや、この娘はカヤロナの者なのに竜じゃな。赤子のような気配がする」

「クララベル様、頭をお上げください。平伏せよとおっしゃったのはたちの悪い冗談でございますから。アビゲイル様は恐ろしいお顔ですが、その実、ちっとも恐ろしくは御座いませんよ。刺繍ししゅうがお上手で、必要のないところにまで縫い取りをなさいますし、犬がお好きで、ことあるごとに拾ってきては家人を困らせておいでです。それから辛いものが好物の味音痴で、夫のルノー様が大好きな、竜にありがちな了見の狭いお方です」


 レトが「女王」だと言ったくせに、アビゲイルを下げるような紹介ばかりをしてくる。

 つねとは違うレトの様子に私はどうしていいのかわからず、おろおろした。


「レト、我の顔は恐ろしくなどない! ルイにはへりくだるくせに、なぜ我にばかりそうやっていけずなことを申すのじゃ! レトのくせに! レトのくせに!」


(何が起こってるの……?)


 レトを振り返れば、困ったように笑う。

 

「アビゲイル様は尊大でいらっしゃいますが、面白い方だということを姫様にお伝えしていただけです。口を挟まないでいただきたい。それと、私の職業は騎士ですので、陛下にへりくだるのは当然のことです。どこだかの女王殿下は名ばかりで、権力は御座いませんのでこのように気楽に接しております。ところで、アビゲイル様、また犬を拾ってきたそうですね。ルノー様がお困りになるからおやめなさいと申したではありませんか」

「ルノーがいいと言ったのじゃ! 犬がいたのだから仕方が無かろう」


 レトはこんなに朗々と話をしただろうか。なんだか活き活きしている。

 私は、レトとアビゲイルがきゃんきゃんと楽しそうにしているのを聞いて、最初の圧迫感が薄れたような気がした。


「クララベル、そなたも楽にせい。我とレトとは旧知の仲じゃ。今は覇権を争った仇敵きゅうてきではなく、そなたは親戚を訪ねた分家の娘にすぎぬ。我もそのように扱おう。堅苦しいのは好まぬのでな。飴菓子は好きじゃ。そこにあるから摘まむがよい」


 さぁ、さぁ、と勧められるものだから、別に空腹なわけでもないが菓子皿に手を伸ばす。

 皿の上に硬く丸い感触がある。毒見もなく、初めて訪問した家で物を食べることになるとは――不用心だが、レトも何も言わないので一粒摘まんで口に入れる。


 (――あ、飴菓子?)


 飴菓子の類だと思うが、食べたことのない味だ。

 少し塩辛いような、決して甘くはない……不気味に具体的な味が表現できない。


「ほう、竜の力が使えておるな」


 見えていなくても菓子を手に取ったのを見て、アビゲイルが頷いたようだ。

 アビゲイルを訪ねて正解だったようだ。アビゲイルは私のこの知覚を「竜の力」と言った。


「はい、アビゲイル様、そのことでご相談に。クララベル様の目が見えなくなったのは三日前からです。体のどこにも異常はないようなのですが――」


 レトが私の代わりに状況を述べる。

 ぼりぼりと飴菓子を噛み砕きながらアビゲイルはこれまでの様子を聞いている。


「――なるほどな。しかし、そうなる前に何か兆候があったであろう? 人の気配が強く感じられたり、五感が敏感になったり。そういうことがなかったかえ? どうにもそなたは普通の分家の者より竜の血が濃いと見える。ああ、そういえば直接お会いしたことはなかったが、お母上もだいぶ竜に近い気配の方だったな」


 母の話題が出て、胸のどこかが詰まったようになる。

 頭を振ってそれを振り切り、それらしい兆候がなかったかを思い出してみる。


「そういえば……暗闇で、人の気配がくっきりとわかったことがあったわ。真っ暗なのにどこにいるのかはっきりとわかったの」

「そうじゃ、まさにそれじゃな。それだけか? まだあるであろう?」


「……レトには言っていなかったけど、人に触れられる時に、違和感があるの」

「どのように?」

「この間は御者に手を取られるのが嫌だったし、ダグラス――幼馴染にエスコートされた時もなんだかおかしかった。でもこれは目には関係ないのかも。目が見えなくなる前からそうだったから。そういえば、オリバーに触れられた時もそうだったわね」

「ほう。それは、めでたいな!」

 

 アビゲイルはお茶を飲み込んでから甲高い声を上げた。

 こちらは不安で相談に来たというのに、アビゲイルはもったいぶって笑うばかりで、その先をなかなか言わない。


「なにがめでたいのかしら? 今のところ、何もおめでたいことなんかないわ」


 アビゲイルは喉の奥で笑い、重みのある声で余韻を残して驚くことを告げる。


「姫様は、つがいがおるのだのぅ」

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