【茶会 5】

 凄い勢いで走ってきたレトは、クララベルの脇を通り過ぎる。あっという間に女官の格好をした女に走り寄り、普段の優し気な雰囲気からは想像がつかないほど凶悪な動きを見せた。

 素手で女の武器を叩き落とすと、そのまま乗り上げるようにして女の首の後ろに膝で体重をかける。瞬時に地面に押しつぶして動けなくした。膝当てが金属製で痛そうだ。

 近くにいたミスティだけが、レトが関節をひねり上げる嫌な音を聞いた。


 レトの強さを知っているからか、少し遅れて他の兵たちが、やれやれといった表情でやってくる。衛兵たちに女を捕縛させているうちに、レトは生垣に突き飛ばされたミスティを引き抜いた。

 肘のあたりに切り傷があるが、生垣の枝に裂かれた傷だろう。失神しているが、命には別状はなさそうだ。


「姫様、私はこの者を引き渡して参りますから、少しの間、ミスティさんについていられますか? 怪我をしているので、寝かしておいてください。揺さぶったりなさらないでくださいね。ミスティさんを運ぶのにジェームズさんを呼んできますから」


 簡単にミスティの止血をして、クララベルに任せる。

 主人にミスティの世話を頼むのは不敬に当たるとは思ったが、竜を事情のわからない者に任せるわけにはいかない。


 それにしても、とっさに頭を守ったのは良い判断だった。

 筆しか持ったことの無いモヤシのくせに、そんなことができたのかと、レトは少しだけミスティを見直した。

 武芸のたしなみもない子どもは、何もできずに顔から生垣に突っ込むのが普通だ。

 それが単にミスティの美意識によるものだと、レトは考えつきもしない。



 クララベルがヒースではなくミスティを婚約者にすると決めた時に、レトは珍しく一切意見しなかった。

 ミスティがジェームズの息子であるという事が一因であったが、それよりもクララベルのワードローブの奥に大事に掛けてある絵の作者がミスティであったことの方が大きい。

 二人は顔を合わせれば憎まれ口の応酬を繰り広げてはいるが、決して仲が悪い訳ではない。それどころかクララベルは、末はさて置き、しばらくはミスティが自分の物だと無意識に認識しているようで、彼を身近に置くことをいとわない。

 ――護衛としては、その近すぎる距離にいらぬ心配をしたりするのだが。

 ジェームズの手前、そうそう下手は打つまいと楽観視することにしていた。



(ど、どうしよう……)


 クララベルは不安を必死に耐えていた。

 レトに去られて、ミスティを膝の上に乗せたはいいが、ミスティが目を開ける様子はない。ミスティの腕からはまだ血が流れ出ている。

 血が流れ出てしまうのが恐ろしくて、自分の手が血塗れになることも気にせず、祈りながら傷口を圧迫する。


 今までだって、クララベルが狙われることは度々あった。しかし、レトもジェームズもクララベルを守って傷を負う事は一度も無かった。

 心細さで震えていると、騒ぎを聞きつけてオリバーが取り巻きを引き連れてやって来る。

 ダグラスはどうやら他の参加者を室内に誘導する衛兵の手伝いをしているようだ。


「クララベル様、ご無事ですか? オリバーが参りました」

 

 クララベルは、よりによってオリバーかと舌打ちをしたい気分だった。


「大事ありません。オリバーも室内にお入りなさい。賊が入り込んでいたようですがレトが捕縛したわ。残念ね、楽しい茶会となるはずが」

 

 クララベルは王女の顔に戻り、毅然きぜんとした態度で告げる。


「ミッシー嬢は?」

「失神しているだけよ。私が見ているから大丈夫」


 クララベルは何事もなかったように微笑む。


「私が代わりますので、クララベル様こそ室内にお戻りください」

「いいえ、いいの。頭を打ったかもしれなくて、まだミッシーを動かせないの。今はそっとしておいて」

「ですが、ミッシー嬢はケガをされているようだ。ご心配なお気持ちは分かりますが、私にお任せください」


 オリバーは恩を売る絶好の機会だと、護衛の者たちがレトの指示でじっと待っているのも無視して、親切ごかしてクララベルに近づいた。

 オリバーは許しもなくクララベルに手を伸ばし、肩に触れようとする。


「触んないでくれる?」


 急速に覚醒したミスティは、クララベルに向けられていたオリバーの手を振り払うと、苛立って言い捨てる。


「ミスティ!!」

「クララベル、そこで叫ぶなよ。あー、頭痛い」

 

 頭を振り起き上がると、少し眩暈めまいがする。

 視界が暗い違和感で目を擦ると、目の色を誤魔化すためにかぶせてあった薄い膜がほろりと落ちた。誰の目にも明らかに、淡い水色の目に竜の血が見える。


「あ、そうか、これつけてたんだ……えっと、ホホホ、オリバー様、どうしました?」


 途中で女装していたのを思いだしたが、後の祭りだ。止血の為に肘先が露出して少女のものではない腕も剥き出しだ。


「ミッシー嬢? これは一体……その目は……」

「あら、目がどうかしましたか? まぁ、クララベル様、ご無事で何よりですわ」


 ホホホ、と甲高い声を出して演技を続けようと思ったが、苦い顔をしたクララベルに制される。


「ミスティ、もう手遅れよ。片目の膜が剥がれ落ちているわ」

「膜……? げっ、バレた」

「それより、具合はどうなの? どこか痛いところは?」

 

 ミスティは左右の視界の色が違う違和感に耐えられず、どうせバレたのならと、もう片方の膜も取り去った。どちらにしても乾かしたら二度は使えない物だ。


「あー、具合? こいつらの視線がイタい」


 視界が明るくなり、オリバーを見れば、顔色を失いカタカタと震えている。


「はっ、クララベル、こいつが今から何を言うか、当ててみせようか?」

「ミスティ、そんなの無視していいわ。今は自分の怪我の事だけ考えて」


 ミスティの予想通り、オリバー達はバロッキーだ、竜だと、傷を負ったミスティを取り囲んで騒ぎ始めた。


「クララベル様、早くこちらへ! 竜の血は毒なのです!」


 中でもオリバーは特に錯乱して、金切り声を上げている。取り巻きの中でも群を抜いて様子がおかしい。腰が引けて、ミスティとクララベルに近づいてこない。

 どうやらオリバーは、本気で竜の血が毒だと信じているらしい。


まわしい竜め、お前がクララベル様を害そうとしたに違いない」

 

 クララベルはおかしな結論にたどり着いたオリバーを睨みつける。


「私を害そうとしていた者は既にレトが捕らえました。オリバー、口をつつしみなさい」


 クララベルは王女然とした口調で場を制する。


「今、愚かな態度をとった者たちを、覚えておくわ。バロッキーが忌まわしいものだなんて、いつの時代の話かしら? この国で爵位を持つ家の者が、大昔の馬鹿馬鹿しい事を未だに信じているなんてね。そんな事で民を正しく導く伯爵を名乗るつもりなら、私から陛下に進言しなければならないわね」


 ミスティの血は未だ止まる様子はない。

 

「――これが毒なわけないでしょう」

 

 クララベルは、おののくオリバー達を尻目に、竜の血で濡れた指をペロリと舐めてみせる。

 ざわりとオリバー達がどよめいた。


「それで、オリバー? ミスティ以外に、この中の誰が私を守れたというの? この中の誰が、私の命を狙う者がいると気が付けたのかしら?」

 

 クララベルは王女だ。

 その美貌と権力がどのように人の目に映るのかわきまえている。

 ミスティの血でさらに赤くなった唇を歪ませて、クララベルは、オリバーをなじった。

 オリバーはクララベルの圧力に平伏するように身を縮める。


「それはそうと、紹介するわ。こちらはミスティ・バロッキー。私の婚約者なの」

「クララベル様……?」

「わかったら立ち去りなさい」

「ですがっ!」

 

 ミスティはようやく立ち上がり、生垣に引っかかったかつらの毛を取ろうとオリバー達の間をすり抜けようとした。

 すっかり女装を忘れて歩いたら、長いドレスの裾に足がもつれ、目の前にいたオリバーを巻き込んで押し倒す格好になってしまった。

 オリバーの頭を囲うように地面に両手をついて身を起こすと、地面に釘付けられたオリバーとがっちりと目が合う。


「ひぁ、あぁ! りゅ、竜が……うわぁっ! さっ、触るなっ! 死ぬ! 死んでしまうっ……」

「あ~、悪い悪い」


 オリバーはミスティの女神像ほどに整った美貌と、竜の証明である虹彩に散る赤を見て、取り乱した後、ぶるぶると震えた。


「り、竜が殺しに……」


 オリバーは真っ青になって気を失った。


「いや、おおげさだろ?」


 オリバーを押しのけてミスティが起き上がると、オリバーの取り巻きが慌ててオリバーに駆け寄り助け起こそうとする。

 気を失ったオリバーが失禁したのに気がついたが、それは見なかった振りをしてやろうと、黙って取り巻きにオリバーを連れて行かせた。


「久しぶりの反応だけど、貴族があんなに驚くって、ないよな?」

 

 カヤロナ家は王権を執った後に、竜の血を持つ者に対して差別的な扱いを強いた。国を挙げて竜の血を迫害したのだ。

 政策として行った竜に対する迫害は未だ市井に残るが、それが政策だと知っている貴族の間では状況が違う。オリバーの反応は極めて過剰だった。


 ミスティはクララベルにかばわれるのは不服であったが、クララベルが挑発的に血を舐めてみせた辺りから、色々なことがどうでも良くなっていた。

 

「クララベル、俺、血が足りない」

 

 ミスティは意図してクララベルのまろく張り出た胸元に倒れ込む。

 ――ああ、そうだった、今日のドレスはいつもより胸元が広く開いているんだった……。

 慌てたクララベルにぎゅっと抱き留められ、ミスティはその柔らかさを貪る。


「レト! 早く来て! ミスティが大変なの!」

 

 だいぶ我慢していたのだろう。

 クララベルは大声でレトを呼びながら泣き始めた。

 ミスティは騒がしく泣くクララベルをそのままに、ぱふぱふと谷間にはさまりレトが来るのを待つ。

 レトはジェームズを呼びに行ったが、ジェームズの歩調に合わせていられずに、凄い速さで走ってクララベルの所に戻ってくる。

 レトの仕える姫は、遠くからでもわかるほど、わんわんと子どものように泣きじゃくっている。


「レト、ミスティが……ミスティが!」


 レトは正しく状況を把握した。

 大して乱れてもいない息を大きく吐いて、酷く低い声を出す。

 

「……ミスティさん、ええと、鼻血はでてないですか?」

 

 眉間に皴を寄せたレトに冷たく尋ねられて、ミスティは「やべっ」と身を凍らせた。


 レトはミスティの怪我の具合を確かめてから現場を離れていた。

 貧血を起こすような怪我は負っていなかったはずだ。

 レトの呼びかけに、ミスティは少しだけクララベルの胸から顔をあげる。


「……レトさん、すごいよ、コレ。どさくさに紛れて揉んだら怒るかな?」


 取り乱して泣き叫んでいるクララベルとは対照的に、恍惚の表情だ。


「だめですよ、不謹慎な」

 

 クララベルはまだ恐怖で泣いている。

 これほどの血の量を見た事がなかったのだろう。


「レト! 早くお医者様に! ミスティが死んじゃうわ!」

「姫様、落ち着いてください。これは、木の枝で皮膚が裂けただけです」

「でも、血がこんなに!」

「あー、クララベル、死ぬ。俺、死ぬかも」

「だめよっ!」


 ぎゅっと再びミスティを胸に抱く。

 目にも鮮やかに、クララベルがミスティに施した口紅が、白い肌にべったりと移っている。

 

「姫様、もうミスティさんをお離しなさい。ミスティさんも悪ふざけが過ぎますよ。これ以上続けるならジェームズさんに報告しますよ――イヴさんにも」

 

 ミスティは母親のイヴの名前が出た所でぴたりと動きを止め、パッと立ち上がり、クララベルを引き起こす。

 周りには騎士やら兵やらが集まり始めていた。


 ミスティは少し考えて、レトが差し出した手拭いで紅をふき取り、うやうやしくクララベルの手を取った。

 残った鬘もむしり取って、裏声をやめて背筋を正す。


「姫様、ご無事で何よりです。この様な姿をしてまでお側にいた甲斐がありました」

「ミスティ……?」

「私の怪我など、姫様を煩わせるものではありません。姫様の盾になり刺されたのなら本望です」

 

 無様に庭木に突っ込んで負った怪我も、賊から身をていして負った怪我も、見ていない者には同じ怪我だ。

 ミスティは、割と不名誉な傷も、この場を有利に進める為ならなんでも使おうと割り切った。

 友人であるサリの計算高さに多分に影響を受けつつあるのを感じて苦笑する。


「姫様のドレスが汚れてしまいますよ」


 懐からハンカチを取り出して、ホコリを払う振りをして、クララベルの胸元にべったりと付いた口紅をこっそり拭きとる。父親に詰られても聞き流せるが、母親に長い説教を聞かされるのは避けたい。



 *

 

 クララベル・カヤロナの近衛騎士、レト・ラッセルは賊の尋問が終わって今後のことを考えていた。

 クララベルに剣を向けた物乞いの少女は、自分が誰に雇われたのかも知らなかった。犯人を捕まえようにも手掛かりがない。

 

 なりたてほやほやのクララベルの婚約者は、嫌いだ嫌いだと言いながら、どうもクララベルに執心のようだ。

 やたらと二人の間の距離が近すぎて、レトは気を揉むことが多い。 

 レトはこの先自分が仕える姫の貞操を一体どこまで守れるやらと、頭を抱えた。

 そして、このモヤシをクララベルの為に鍛えなおそうと、固く決意した。



 こうして、ミスティ・バロッキーは身を挺して姫を暴漢から救った美談に後押しされ、クララベル・カヤロナの婚約者として城内での自由を手に入れたのだ。

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