8 婚儀の日
皇暦八三四年十一月月中旬の吉日、結城家と佐薙家の婚儀が執り行われることとなった。
将家同士の婚儀は、たとえ六家のものであったとしても華美にはならない。
皇都の佐薙家屋敷から結城家屋敷まで花嫁と婚礼の列が出来ることは出来るが、相手側の門を潜っても行列がまだ花嫁の実家の門を出切っていないということはない。
これは単純に、戦国時代の終結からしばらくして、六家が将家同士の婚礼に際して華美を禁じる命令を出したからである。
戦国時代には他家に経済力を誇示するために豪華な婚礼が将家の間で横行していたが、戦国時代末期にある種の総力戦体制がとられるようになってくると、どこの将家でも領内に倹約令を敷くようになった。六家による集団指導体制確立後も、海洋進出を進める皇国と東洋に進出してきた西洋諸国との軍事衝突がしばしば発生していたために、戦国時代の延長線としてそうした倹約令が出され続けることになったのである。
佐薙家屋敷を出た荷物は、結城家屋敷の玄関先に並べられ、結城家の家令長が目録と照らし合わせて奥へと入れさせる。そして、荷物の列の最後に、花嫁の乗った輿が到着する。
受け入れ側である結城家の門前では左右に門火が焚かれ、門内では家人たちが餅を付いていた。
婚礼の儀は三々九度の盃、饗宴、色直しまでが厳粛な儀式として行われ、それ以後は両家の者たちによる祝宴となる。
「そもそも、我が佐薙家の素志は非戦の主義にあり、専ら嶺州の内治に努めておったのだ。しかるに妙州の長尾家は着々その兵備と整え、その圧迫日に加わり、この際なおかつ自重退守のみを事とする能わざる情勢にある。故に、例え我らが本旨に反するといえども好機を捉え、積極的行動によってこの窮地を脱するの外策なき情況にあることは、誠に我が遺憾に堪えざる次第である」
祝宴となってしばらくすると、一人の男が景紀の目の前で格式張った口調で演説をぶち始めていた。
「故に、景紀殿におかれては、この機に際し速やかに我が兵備の欠陥を補填し得べき御援助を賜り、叙上の如き我が欲せざる攻撃的苦策に
佐薙家当主、成親伯である。
まさか婚礼の儀の席上で、こうもあからさまな軍事的支援を要求されるとは、景紀としても予想外であった。いや、あえて強硬意見を婚礼の場で述べることで、長尾家を牽制するとともに、結城家が長尾家に協力する状況を作らないようにしているのかもしれない。少なくとも、佐薙家からあからさまな軍事的支援を要請された結城家を、長尾家は警戒するだろう。
そして、多くの人間にとって、相手と妥協することよりも、相手を屈服させて自らの意思を押し通すことのほうが魅力的である。特に、対外的な妥協は外部に対してよりも、むしろ内部に対して信頼を失う結果をもたらすことが多い。
そした心理を利用して、成親伯はまだ年若い結城家当主代行を焚きつけようとしているのかもしれない。
「……」
ちらりと、景紀は隣に座る宵姫を見る。色直し後であるため、彼女は赤い服をまとっていた。
「……」
その彼女は父親であるはずの男の言葉も、景紀の視線もまったく遮断するかのように、人形のように座したままであった。
まあ、母方の実家批判を父親にされてはな……。
少しだけ同情的な気分になりながら、景紀は口を開いた。
「佐薙伯、貴殿の非戦主義には全面的に賛同する。領地問題を対話によって解決しようとする姿勢には、感服を覚えるものだ。しかし、長尾家の兵備増強に対して、こちらも兵備の増強で対抗しようとするのは、いささか貴殿の言う非戦主義と矛盾するのではないか?」
「もとより嶺州の武備は嶺州の民を安んずるためのものであり、戦乱を未然に防止せしめるにある。決して自ら進んで事を講ずる為に非ず。故に貴家より援助を受くるも断じてこれを利用し我より進んで挑戦するが如きことなきを言明する次第である」
武器の援助は頼むが、こちらから戦端を開くことはないと言われて、信じる人間はいないだろう。だが、成親伯はかなり強引で高圧的な口調で景紀に軍事的支援を迫っていた。
婚儀の場の祝宴にしては、実に物騒な話題であった。
とはいえ、いつかの段階で佐薙家側が景紀に要求を突きつけてくることは予想していた。婚儀の席上にも、成親伯は家臣の手前、何かしらの交渉をしてくると思ってはいたので、景紀の心中にそれほどの狼狽はない。
ただし、軍事的支援に関しては絶対に言質を与えないようにしなければならない。
佐薙家の側がどこまで本気で武力行使を考えているかは不明であるが、下手をすれば将家同士の戦闘に発展してしまう。
あるいは、そうした瀬戸際外交で佐薙家は六家に対峙しようとしているのか。
「しかし成親伯、まずは長尾家による軍事的挑発行為を列侯会議にて問題にすべきでは? 将家同士による私的な領地争いは、本来であれば六家であろうと厳罰に処される事案だ」
「長尾家が未だ軍事行動に
成親泊は、あくまで軍事的支援に拘っているようであった。あるいは、彼は強硬派の家臣から突き上げを喰らっているのかもしれない。だからといって、景紀がそれを慮ってやる必要もないのであるが。
「我が嶺州の民が如何に妙州の兵によって脅威せられているか、景紀殿は理解しているのか?」
一瞬、彼の視線が景紀の隣の宵に向かう。その視線には、娘に対する苛立ちがあった。
「……」
だが、宵姫はやはり人形然として、自ら口を開こうとはしない。
もしかしたら、父親からこの席上で嶺州領民の窮状を景紀に訴えるよう、言われていたのかもしれない。それで景紀の同情を引こうとでも考えたのだろう。
だが、宵は父親を援護するつもりはないようであった。
それが彼女と父親との確執によるものなのか、それともこの場で父の味方をすることで、逆に自身が結城家で孤立する可能性を考えての保身であるのか、景紀には判らない。
だが、どちらにしろ賢い選択である。少なくとも、これから過ごすことになる結城家家中の者たちから、佐薙の間者扱いされることはないだろう。
再び景紀は口を開いた。
「佐薙伯、民を安んずることを重んずるのであれば、まずは領内の産業の奨励が必要ではないだろうか? 特に鉄道敷設は中央政府においても切に希望している問題ですから。嶺州鉄道として、さし当たり千代―鷹前、鷹前―岩森、二路線の敷設決定を希望します。これに必要なる資金ならびに技術は我が結城家の好意に於いて援助いたします」
岩森は嶺州北部の良港であった。ここまで鉄道が通り、北溟道との間に連絡船を就航させられれば、人・モノの移動は以前にも増して活発になるだろう。
「故に、佐薙伯には詳細な路線決定を、領内において商議せられたい」
東北鎮台のある千代まで官営鉄道が開通しているとはいうが、その経営形態は皇国の政治制度を反映して煩雑なものであった。
各諸侯の領地を通過する鉄道であるため、官営とはいえ各領地での鉄道経営は各諸侯が行っているのだ。逓信省鉄道局は国内の鉄道行政を監督する立場にあるが、官営鉄道といえど、一括して管理・経営しているわけではないのである。現状の鉄道局は、全国の鉄道網に統一性を持たせるための、諸侯間での鉄道行政の調整役といった色が濃かった。
「ふむ、検討に値する意見である。千代―鷹前線は我が家も最有望とするところであり、民間また
佐薙成親としても、結城家から一定の譲歩を引き出せたと感じたのだろう。そして、景紀が自身の強硬論に乗ってこないことも悟ったに違いない。
「貴家の好意に佐薙家当主として謝意を示す。以後も末永く、両家の付き合いを続けたいものである」
ただし、最後までどこか高圧的な口調は直らなかった。祝宴の席にいる自らの家臣に、結城家に対して強気に出る自分の姿を見せたかったのか、あるいは単純に景紀を若輩者と侮っての態度であったのかは判らない。
彼は最後に、もう一度、自身の娘に鋭い視線を向けた。だが、やはり宵姫は人形のように固まったままだ。ここまで完璧な無視を決め込み、眉一つ動かさないというのも、中々太い神経の持ち主である。
これが親子の演技であり、宵姫が父親との確執を抱えていると結城家側に思わせたいのであれば、大したものであった。
と、その瞬間、硝子玉のような宵姫の瞳が初めて動いた。首は一切動かさず、視線だけが景紀を向く。
横目で宵姫を見ていた景紀は、思わずギクリとしてしまった。それくらい、一種、不気味さを感じさせる目の動きであった。
「……あなた、人間不信が過ぎますね」ぼそりと、彼だけに聞こえる声があった。「恐らく、私のことも疑ってかかっているのでしょうね」
景紀の内心を見透かすような言葉。最初に対面した際の自己紹介の時に、一度だけ聞いた宵姫の声であった。
内容に比して、口調は淡々としていた。景紀に疑いの目を向けられていることを、諦観と共に受入れているような、そんな口調である。
やはり、これも演技ならば大したものであろう。
そして、景紀は場違いにも面白くなってきた。初対面でありながら、自分の内心を見抜いたこの少女に、彼は興味を引かれたのである。
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あとがき
本稿における参考文献
江馬務『結婚の歴史』(雄山閣、1971年)
史実の将軍家や大名家における結婚式はもっと複雑なのですが、それを延々と描写していると物語の進行上、支障がありますので、だいぶ割愛させていただきました。
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