秋津皇国興亡記

三笠 陣

第一章 皇都の次期当主編

1 シキガミの少女

表紙(作:SioN先生)

https://kakuyomu.jp/users/MikasaJin/news/16817330663442486322


 私は、自分の容姿が嫌いだった。

 白い髪、赤に近い琥珀色の瞳、秋津人にしては白すぎる肌、そして―――。

 どうして、自分は他の人たちと違うのか。物心ついた時からずっと疑問に思っていた。父様も母様も、城の人たちもみんな黒い髪で瞳の色も自分とは違う。屋敷の中で、自分だけが異質な存在だった。

 父様は私のこの容姿を、自分たち葛葉家の初代様と同じだから誇りを持てと言っているけれど、こんなあやかしみたいな容姿のどこを誇れというのか。その初代様だって、妖との混じり物だと蔑まれていたというじゃないか。

 城の人たちは、自分を好奇の視線で見るか、不気味なものを見るかのような目をする。家令や侍女が自分に聞こえるように悪口を言っていたこともある。

 だから、私は自分の容姿が嫌いだった。

 一度、そのことで母様を詰ったことがある。

 多分、四歳か五歳の時。弟が生まれて、両親がそちらにかかり切りになっていた時期だ。

 当然、私は女だから、男子である弟が葛葉家を継ぐ。その弟の容姿は、屋敷の人たちと同じ秋津人らしいものだった。きっと、葛葉家当主として恥じない人間に成長していくことだろう。

 なら、自分は?

 こんな不気味な容姿を持った自分の居場所は、どこにあるのだろう?


「どうして母様は、私をみんなと同じように生んでくれなかったの!?」


 それは、今から考えれば酷い言葉だったろう。でも、どうしても母様を恨まずにはいられなかったのだ。

 その日は、城に勤める侍女に酷い言葉を投げかけられた。

 だから恨んだ、自分をこんな容姿に生んだ母様を。


「そんなことを言っちゃだめだよ」


 母様が私に何も言わずに顔を伏せて、父様も困惑気味に黙っていて、私が一方的に母様を詰っているところに響いた声は、自分と同じくらい幼い男の子のものだった。

 その瞬間、父様と母様の間に、緊張感が走った。


「……若様、お見苦しいところをお見せいたしました」


 父様が慌てて畳の上で姿勢を正した。母様もそれに倣う中、私だけは涙で濡れた顔で襖を開けてきた男の子を見た。

 城の中の人間でも、しかも子供でありながら、特に上等な着物に身を包んだ男の子。

 葛葉家が仕える結城家当主・結城景忠かげただ様の嫡男である男の子。

 ここまで走ってきたらしく、少し息が上がっていた。


「これ、冬花とうか!」


 結城家の幼い次期当主の男の子を前にして、未だ泣いている私を、流石に父様が叱りつけた。


「いいよ、別に。僕は冬花が心配だっただけだから」


 そう言って男の子は部屋の中に入ってきて、そっと着物の袖で私の涙を拭ってくれた。


「泣かないで。せっかくの綺麗な顔が台無しだよ」


「……私は不吉の子だって」


「うん」


「私が若様の近くにいたら、若様に不幸が降りかかるって」


 それが、侍女から言われたことだった。

 不気味な子、不吉な子、主君である結城家に禍(わざわい)をもたらす子。

 若様と同じ年に生まれた私は、私の母様が若様の乳母となったことで、乳兄妹きょうだいのような立場にあった。だけれども、容姿の特異な私が若様と近い立場になることを快く思わない結城家の家臣たちも多くいた。

 その所為で遠慮がちな私を、この男の子はいつも手を引っ張ってくれた。遊ぶときも、いつも彼が私を誘ってくれた。

 だからこそ、自分の存在が若様にとって不吉なものだと言われたことに耐えられなかったのだ。弟も生まれて、若様のお傍にもいられなければ、私の居場所は本当になくなってしまう。


「僕は、不幸になっていないよ」


 若様は何でもないことのように言う。


「……でも、これから不幸にしてしまうかもしれません」


「だったら、冬花が僕を守ってくれればいいよ」


「えっ?」


 その言葉は、私の中でひどく意外なものとして響いた。禍をもたらすかもしれない私が、若様を禍から守る? そんなことが、出来るのだろうか?


「だって、君たち葛葉家の初代は、結城家当主を呪詛から救ったことで家臣として取り立てられたんでしょ? その初代と同じ容姿の冬花なら、きっと僕を守ってくれるでしょ?」


「……」


 未だ涙で視界がぼやけていたが、男の子が笑っていることが私には判った。きっと若様は、私がずっと傍にいてくれることを疑っていないのだろう。

 父様に葛葉家初代様のことを聞かされても心に響かなかった私だったが、いずれ主君となるだろう男の子の言葉ならば素直に受け入れられた。

 でも、本当にお傍にい続けてもいいのだろうか。

 自分は女だし、葛葉家の当主となれるわけでもない。成長した弟の方が、この方のお傍にいた方がいいのではないだろうか。

 そんな卑屈な思いが、私の中で渦巻いていた。


「ねえ、君たち陰陽師が使役する……何だっけ?」


「式、ないしは式神でございますか?」


 父様が私に代わって答えてくれた。


「そうそれ、シキガミ、シキガミ」


 うんうん、と若様がいいことを思いついたとばかりに頷いていた。


「僕は陰陽師じゃないけどさ、冬花が僕のシキガミになってくれると嬉しいな。だめかな?」


 シキガミ。

 若様の言葉は純粋な陰陽師にとっては奇妙なものだったろう。でも、陰陽師としてはまだまだ未熟な私は、それが何かとても魅力的なものに思えた。

 この人のシキガミになる。

 その役割が与えられれば、ずっと若様の傍にいられる。


「御意のままに」


 だから幼い私は、そう答えた。その時流れた涙は、先ほどまでとは違ったものだった。頬を流れた涙の熱さを、今でも覚えている。


「じゃあ、約束だよ」


 再び若様は私の涙を拭って、小指を差し出した。指切りをしようということだろう。

 私はそっと、その小指に自分の小指を差し出した。まだ小さな子供の指に、互いの体温が絡み合う。

 二人にとって約束となり、契約となる呪文を一緒に唱えた。父様のような陰陽師から見れば、呪文に何の効果もない子供同士の戯れかもしれない。

 それでも、この児戯に等しい指切りの呪文は葛葉冬花という幼い少女の心を確かに絡め取ったのだ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  あとがき


 第一話をお読みいただき、誠にありがとうございます。

 本作は、「日本が鎖国をしないで近代を迎えたら」という歴史のIFに着想を得て執筆を開始いたしました。

 執筆の切っ掛けとなったのは、筆者がリアルで府藩県三治制期の史料、それも藩の史料に接する機会があったことです。

 近世と近代が奇妙に入り混じる明治初期ならば、和風ファンタジーに組み立て上げる要素があるのではないかと思ったのです。

 また、満洲における日本の鉄道国策を研究した際の経験も、作中に反映させております。

 どこまで筆者の望み通りの物語を構築出来るかは判りませんが、お付き合いいただければ幸いに存じます。


 読者の皆様からのご意見・ご感想をお待ちしております。


  主要参考文献

淺川道夫『明治維新と陸軍創設』(錦正社、2013年)

麻田雅文『中東鉄道経営史』(名古屋大学出版会、2012年)

阿部恒久『近代日本地方政党論』(芙蓉書房出版、1996年)

荒邦啓介『明治憲法における「国務」と「統帥」』(成文堂、2017年)

有泉貞夫『明治政治史の基礎課程』(吉川弘文館、1980年)

飯塚一幸『明治期の地方制度と名望家』(吉川弘文館、2017年)

伊藤之雄『山県有朋 愚直な権力者の生涯』(文藝春秋、2009年)

伊藤之雄『元老 近代日本の真の指導者たち』(中央公論新社、2016年)

井上寿一『山県有朋と明治国家』(NHK出版、2010年)

井上勇一『東アジア鉄道国際関係史』(慶應通信、1989年)

井上勇一『鉄道ゲージが変えた現代史』(中央公論社、1990年)

丑木幸男『地方名望家の成長』(柏書房、2000年)

老川慶喜『日本鉄道史 幕末・明治編』(中央公論新社、2014年)

老川慶喜『日本鉄道史 大正・昭和戦前編』(中央公論新社、2016年)

大江洋代『明治期日本の陸軍 官僚制と国民軍の形成』(東京大学出版会、2018年)

岡本隆司『世界の中の日清韓関係史』(講談社、2009年)

岡本隆司『中国の誕生 東アジアの近代外交と国家形成』(名古屋大学出版会、2017年)

奥田晴樹『日本近代の歴史1 維新と開化』(吉川弘文館、2016年)

大日方純夫『日本近代の歴史2 「主権国家」成立の内と外』(吉川弘文館、2016年)

加藤聖文『満鉄全史』(講談社、2006年)

加藤陽子『戦争の日本近現代史』(講談社、2002年)

川島真ほか編『東アジア国際政治史』(名古屋大学出版会、2007年)

纐纈厚『近代日本政軍関係の研究』(岩波書店、2005年)

小林英夫編『近代日本と満鉄』(吉川弘文館、2000年)

小林英夫『〈満洲〉の歴史』(講談社、2008年)

小林道彦・黒沢文貴編著『日本政治史のなかの陸海軍』(ミネルヴァ書房、2013年)

酒井哲哉『大正デモクラシー体制の崩壊』(東京大学出版会、1992年)

佐々木隆『日本の歴史21 明治人の力量』(講談社、2010年)

佐藤元英『昭和初期対中国政策の研究』(原書房、1992年)

澁谷由里『馬賊の「満洲」』(講談社、2017年)

鈴木淳『日本の歴史20 維新の構想と展開』(講談社、2010年)

竹内正浩『鉄道と日本軍』(筑摩書房、2010年)

手嶋泰伸『日本海軍と政治』(講談社、2015年)

野村実『日本海軍の歴史』(吉川弘文館、2002年)

服部龍二『東アジア国際環境の変動と日本外交』(有斐閣、2001年)

坂野潤治『日本近代史』(筑摩書房、2012年)

平川新『戦国日本と大航海時代』(中央公論新社、2018年)

町田明広『攘夷の幕末史』(講談社、2010年)

松尾正人『廃藩置県の研究』(吉川弘文館、2001年)

吉澤誠一郎『シリーズ中国近現代史① 清朝と近代世界』(岩波書店、2010年)


  主要参考論文

青木康容「帝国議会議員の構成と変化」(1)~(6)(『評論・社会科学』第五十二巻~第五十七巻、同志社大学人文学会、1995年~1997年)

大島明子「廃藩置県後の兵制問題と鎮台兵」(黒沢文貴ほか編『国際環境のなかの近代日本』2001年)

西田敏宏「第一次幣原外交における満蒙政策の展開」(『日本史研究』514号、2005年)

前田結城「府藩県三治一致の特質と展開に関する一考察」(『ヒストリア』第259号、2016年)

芳井研一「第一次大戦後の『満蒙』鉄道問題」(『日本史研究』284号、1986年)

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