化け物バックパッカー、転がるスイカを受け止める。
オロボ46
人間には無数の天敵がいる。湿気を持った暑さもそのひとつだ。
闇に飲まれた廃虚の中、階段を1歩ずつ登る足音が響く。
複数の懐中電灯の光は、体の動きに合わせて上下に揺れている。
今は誰もいない廃虚の中を、
かつては誰もいない
ゆっくりと扉は開かれ、複数の人影は部屋の中に入った。
人の気配のないその部屋には、ところどころに物が散らかっている。
複数の人影はそれぞれ2人1組に分かれ、地面に落ちている物の回収作業を始めた。
「突然変異症によって化け物の姿になった元人間……変異体はこんなところに住んでいたんだな……」
部屋の中を見渡しながら、新人と思わしき男性がつぶやいた。
「普通の人間が彼らの体を見ると、恐怖の感情に襲われる。そのためにこの変異体の巣に身を寄せ合って、人間の目から隠れて暮らしているの」
男性と組んでいると思われる女性は、落ちている物を持っているビニール袋に詰め始めた。
「そんな変異体の巣のひとつが、こうして住民全員とっ捕まえられるとはなあ」
言葉から推測すると、男性よりも女性の方がこの仕事に慣れているように思われる。しかし、男性の言葉使いからそこまで歳の離れていない、親しい関係のようだ。
「変異体は時として、人を襲う。人を襲わないと言われた変異体が、あるとき気が狂ったように襲い始めた事例もあるわ。どんな変異体であってもその可能性が消えないことから、変異体は見つけ次第、専用の収容施設に隔離することと決まっている」
ふと、男性は近くの地面に懐中電灯を向けた。
「抵抗すれば……射殺、だけどな」
そこには、墨汁のように黒い液体が固まったものが、血痕のように固まっていた。
女性はあるものに懐中電灯の光を当てて、しばらく黙ったのちに口を開けた。
「……ねえ、これ見てよ」
そこにあったのは、スイカだ。
誰が見ても、スイカだ。はっきりとした、しま模様が新鮮さを主張している。
「こんなところにスイカ? 変異体は食事ができないはずなのに……」
首をかしげる男性に対して、女性は首を振る。
「変異があまり進んでいない変異体の場合なら、味覚は薄いものの食事は必要になるの。それよりも気になることは、こんなところに放置されていることね」
男性は「確かに……」とアゴに手を当てながらスイカを見つめた。
「この時期だと、冷蔵庫に入れないと腐るだろ?」
「そのはずなのよ。ここの変異体の一斉確保が行われたのは数日前だし……」
眉を潜めながらも、女性はスイカを持ち上げようとした。
「あ」
スイカは女性の手から離れ、床にたたきつけられた。
しかし、スイカは形が崩れることはなく、ボン、と高すぎず低すぎない音を出してはねた。
あっけに取られるふたりを差し置いて、スイカは転がって行き、
扉の向こう側にある階段を下りていった。
ボン、ボン、ボン、と、
階段の角にぶつかった、新鮮な音を出しながら。
それから数十年の年月が流れた。
太陽の照りつける住宅街の坂道を、
スイカは元気に転がっていた。
形が崩れることもなく、果物とは思えない強度で。
「
その坂道を上がっていたふたり組の人影の内、ローブを身にまとったひとりが前から転がってくるスイカを指さした。
もうひとりの老人はスイカを見て目を見開いたまま立ち尽くしている。
やがてスイカが近づいてくると、ふたりは慌てて左右の
スイカはふたりの横を通り抜け、
坂の麓にある擁壁に激突した。
それでもスイカは形を保っていた。
動きを止めたスイカに、ふたりは恐る恐る近づいていく。
ふたりの背中には、それぞれ黒いバックパックが背負われていた。
俗に言うバックパッカーである。
「……タビアゲハ、おまえはこいつをどう思う?」
老人はスイカを持ち上げて、ローブを身にまとった人物に見せる。
この老人、顔が怖い。
服装は派手なサイケデリック柄のシャツに黄色のデニムジャケット、青色のデニムズボン、頭にはショッキングピンクのヘアバンドを巻いている。
ローブを身にまとった人物からは先ほど、“坂春”と呼ばれていた。
「ソレッテ、スイカ、ダヨネ? デモ……コンナニ丈夫ナノ?」
ローブを身にまとった人物は、スイカの表面を爪でつついた。
その爪は鋭くとがっており、影のように黒い手の指先から生えていた。
声もどこか人とは思えない奇妙な声で、フードで顔を隠していることからも、どこか人ではない存在であることがうかがえる。
老人からは先ほど、“タビアゲハ”と呼ばれていた。
「一度落としただけでも割れるときがある、といったぐらいの強度のはずだが。転がるだけならまだしても、この擁壁に激突してもまだ形を保っているとはな」
坂春はスイカを手に取ると、ためしにその場に落としてみた。
……ボンといい音がして、バスケットボールのように弾んだ。
「コレッテ、ワッチャッテイイノカナ?」
「どうだろうな……ついなんとなく試してしまったが、やっぱり割ってしまうのは都合が悪いかもしれん。割れなかったほうが運がよかった」
タビアゲハがそのスイカを拾い上げた時だった。
「ああっ!! すみませーん、それ、私のです!!」
坂を駆け下りながら、スイカを指さす女性が住宅街に響き渡った。
白衣を着た女性はふたりの目の前までやって来ると、いきなり膝に手をついた。
息は荒く、頬からは大量の汗が地面のアスファルトに向かって落ちていた。
「……このスイカ、あんたのか?」
タビアゲハの持つスイカを指さして、坂春は女性にたずねた。
「ぜえ……ええ……ぜえ……それ……私のです……」
カクカクと頭を振る女性に、坂春は眉をひそめる。
「だいじょうぶか? 汗がすごいが……」
「……いえ……だいじょうぶ……です……」
女性はタビアゲハからスイカを受け取ろうと手を伸ばす。
タビアゲハは黙っていながらも素直に渡したものの、女性が震える手で受け取るとすぐに落としてしまった。
もちろん、スイカは無事だ。
「本当にだいじょ……」
「だいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶです!」
心配する坂春に対して早口で女性は答え、ゆっくりとスイカを抱えた。
坂春はしばらく言葉を探すように黙り、目線をスイカに向けた。
「しかし……このスイカはなぜ潰れないんだ? 明らかに壁にたたきつけられたのに、形を保っているが……」
「ああ……それはですね……」
答える前に、女性はその場に崩れ落ちた。
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