依頼者

 私たちが向かった先はよく歩く通りの半ばにあるまた別の通りです。そのような通りがあったことは今まで知ってはいましたが、特に気にしたこともありませんでした。街灯も十分設置されていた通りの広さも車が二台すれ違ったとしても全く問題ないほど。そのような曰く付きの場所のようにも思えない普通の通りと言ったところです。

「……ここだよ」

 マンションの前に着くとBが目線だけを向けてそう呟くように言いました。目を向けると敷地が広く中に公園のような広場もあり、二十階近くあるあるかなり綺麗な高級そうなマンションです。ただそれほどの高層マンションであれば遠くからでも発見できるはずですが、私はここにそのような建物があったことすら知りませんでした。

「入ってみるか」

 Aがずかずかと敷地内に一人で入って行きました。思えば私はこの時点でAを止めるべきだったと思っていますが、止めても無駄だったのかとも思っています。

 入っていったAに私たちは付いて行かざるを得ませんでした。敷地内を歩いて、マンションの入口に到着しましたが、私は少しの違和感を覚えます。その入口は小綺麗にはされていましたが、自動ドアなるものはなく、当然ロックなどもありません。高級そうな外観からはかけ離れた──まるで通常のマンション、それも少し古さも兼ね備えています。

「ちょっと、どこにいくの」

「ゴーマルヨンゴー室だよ」

 Bの問い掛けに振り返ることもなく、Aは階段を登って行きます。Aはなぜか内部構造を知っていたようで、すぐに階段も見つけています。その夜は特に曇っていたわけでもないのですが、月明かりがなく、ところどころに設置された灯だけが頼りで、それがなければ真っ暗だったでしょう。

 Aは五階に到着した後、左右に分かれている通路を迷うこともなく左に進んでいきますゴーマルヨンゴー室がどちらにあるかの表示もあったわけでもないのですが。

「特に変なところはないね」

 Aはゴーマルヨンゴー室の前に立ってドアノブを握っています。それから私たちが止める間もなく、Aはドアノブを捻ってしましました。

「……開いてる」

「なんか……臭いね」

 どう考えても不法侵入です。通報されれば間違いなく逮捕でしょう。でも私もその時はそんなことより、この目の前から漂う臭いが気になりました。鼻孔を刺激する、というより全身を包むかのような不快な臭い。柑橘類が腐ったような臭いでした。

 ここでもAは躊躇うこともなく、土足のまま入っていきます。玄関には綺麗に並べられた六人分の靴。それぞれデザインも大きさも違って、使い分けているといったことは想像できません。それはつまりこの部屋に六人いるかもしれないということだと私は思いました。ここから見える室内は真っ暗で誰かいるのかも判別つきませんでした。だとすれば就寝している、といった選択肢が大きくなりますが、玄関の鍵も掛けず、チェーンも掛かっていないことは何を意味するのでしょうか。マンション内がいくら仲良しだといえど、不用心であるという印象を拭い切れません。

「先に行く」

 Aはまた振り返るもなく、電気を点けることもなく通路を進んでいきます。それほど長くない通路なので突き当りにある扉はすぐでした。

「なんだ、なにもないじゃん」

 部屋を開けるとそこにはなにもありませんでした。

 空室、といったところでしょうか。私たちが話していた話を証明する痕跡どころか家具や電子機器など一つもありませんでした。埃一つ無い綺麗な部屋です。

「……こっちもなにもないよ」

 どうやらBは通路の途中にあった扉を確かめて戻ってきたようでした。

「あれ、Aは?」

 突き当たりの部屋に焦点を戻すと確かにAの姿はそこにありませんでした。

「また、一人で先に行っちゃったの?」

 Bの言葉に返す言葉はありませんでした。突き当たりの部屋はどう見ても行き止まりです。押し入れなどもなく、隠れるスペースもありません。

「その窓は?」

 Bはそう言って、部屋に一歩踏み入れましたがそこに窓などはありませんでした。そこから起こったことは私にもよく分かりません。

 Bは窓を開けて外に出て行きました。外は真っ暗闇でした。明かりは一つもなく、暗い世界でした。


 まだ少し続きがあるんです。もう少し話させてください。


 それから私は無我夢中で駆け抜けました。階段を駆け降り、そのマンションからできるだけ遠くへ走りました。二人のことはとても心配でしたが、私は確かに暗い世界の中になにかがいることを見ました。二人はきっと向こう側に連れて行かれたんです。私がどう足掻いても連れ戻せない世界に。

 それからこの数年の内に二つの奇妙な噂を二つ耳にしました。一つはそのマンションで一人の女性が奇妙な染みだけを残して失踪したこと。二つ目は同じマンションで不倫関係による事件。

 私は、一体どうなってしまうのでしょうか。











◼️











「……どうして私のところに?」

 がやがやとした昼間の喫茶店で、私は困っていた。

「あなた……『斎藤一』さんしかいないとお聞きしました」

「なるほど。私なら解決できると。お門違いだと思うんですがね」

 私の名前は斎藤一で間違いはない。しかし、さすがに超常現象に太刀打ちできる力を持っているわけではない。

「いえ、警察を始め、霊能力者、祓い屋、科学者、それこそカルトのような団体にも協力を依頼しました」

「全員失敗か……それとも金だけ巻き上げられました?」

「後者だけならまだ良いことでしたが、結果、失敗。全員、存在が消えます」

「存在を消える……?」

「ええ、もう、誰も彼らのことを覚えている方はいません。私を除いて」

 そうやって差し出された写真が数十枚。指差されたのは写真に映った奇妙な隙間。隣同士に映った人間同士が仲が悪いのではないかと勘繰られるほど人同士の間が空いている。その隣合った人通しがこちらに笑顔を向けているのは不自然さを引き立たせていた。

「……これは」

 写真を捲る私の手は止まった。人の上に渦が出来上がっている。渦の下の人間はぐにゃぐにゃに歪んで、人としての原型を留めてはいない。それは過程が並べられるように、写真を進めれば少しずつ範囲を広げていき、次第には身体全体に広がる。

 この程度の、いわゆる心霊写真ならば現代の写真加工技術でなんとでもなるだろう。しかしこの目の前の人物がそれほどまでして俺を騙そうとするだろうか。メディアに露出して有名欲に溺れたいというならまだしも──

「すみません」

 顔を上げるとそこには渦があった。歪んだ目でそれはじっと私を見つめていた。

「私もここまでのようです」

 怒鳴ることなど無意味。このような白昼堂々と、こんな現象が巻き起こるとは思いもしない。

 頭の中が沸騰するように熱くなって、すぐにでもこの場所から逃げ去りたい。

「それでは私はこれで」

 それは立ち上がった。きっと出口に向かうのだろう。

 視界の中で、起こったことはそれだけではない。今この場にいる人間、家族連れから恋人同士に給仕。女男子ども若者老人関係なく、全員が立ち上がって一点を睨みつけている。

 きっとそれはこの目の前の奇妙な現象に見舞われている人物に向けられているのだろうと思いたかった。

 でも違った。その視線は俺に向けられていた。目の奥に渦が見える。真っ暗でなにもない渦。目の前にある渦と同じ渦。





「あとはたのみました。つぎはあなたのばんです」





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