第16話 その天使は全裸だった

 覚醒の間。


 あの日手に入れた不思議な錠前によって転移できるこの空間は、現実と時間の流れがリンクしている。

 この空間で1時間過ごせば現実でも1時間が経過している。それは身に着けていた腕時計の示す時間から明白だ。


「へ、へへっ、さすがにこの空間に攻めてくることはできねえだろ。この勝負、俺の勝ち――」


 にゅるっ。


「――うわああぁぁぁぁっ!?」


 情けない効果音が似合う感じで、何も無いところから天使が生えてきた。虚空から生首が降ってきたみたいな感じで気持ち悪い!


覚醒の宝門アウェイクン・ゲートの錠前を確認。当機にオブジェクト灰咲はいざき一真かずまのデータを追加します』

「ん? あ、あれ? 襲って、来ないのか?」

『続けて保留要求『全権移譲』にシークエンスを移行。オブジェクト「灰咲一真」の権限確認、了承。該当オブジェクトを当機のマスターとして登録。再起動します』


 少女は宣言すると、寝落ちするかのように首から上をかくんとまげて、脱力状態に陥った。次いで彼女の頭上にあった光の輪が霧散する。


 糸切れた人形。


 傍目に見て、それ以上に的確な言葉は存在しなかった。どくんどくんと、心臓が脈を打つ。


 端的に言って、そこに生の面影はなかった。


 彼女は再起動すると言っていたけど、もしかしてこのまま目覚めないんじゃないだろうか。そんな予感が胸中に積もる。


『再起動! うー、私復活!』

「は?」

『あ、おはようマスター。ご機嫌いかがかな?』


 もう、わけわからん……!



 要するに、こういう話らしい。


『過去にも一度、地球はファンタジー世界に侵食されかけたことがある。その際、相手の技術を使って生み出されたのがお前たち天使』

『うんうん』

『ファンタジー世界の侵食を食い止めた後は地底深くで眠りにつき、本来は二度と目覚めるはずはなかった』

『そうだね』

『今回目覚めることになったのは、再び地球がファンタジー世界に侵食されているからである』


 少女はこくりと頷いた。

 なるほど、話の大筋は理解した。

 理解したけど、受け入れられるかどうかは別の話だ。


『ほら、多分だけど、この塔にも魔物がいたんじゃないかな?』

『あー、いたな。ゴブリンとか、大蛇とか、クリスタルで覆われたサソリとか、その他もろもろ』

『実はこの塔をはじめとする「ダンジョン」には、異世界から侵略に来た魔物を強制召喚する仕掛けがあってね』


 少女は手をかざすと、何もない空間に映像を投射して図解を始めた。あの塔にいた魔物たちは塔を守っていたのではなく、地球上のどこかに現れた後に引き寄せられたのだと言う。


 あの時塔の外に出ようとしていたゴブリンがいたが、仮に塔の外に出ても再び呼び戻されるらしい。


『一種の防衛システムになってるのか』

『そういうこと』


 少女はすいっと手を動かすと、提示されていた図式は映像からクリアされた。

 そういえば、この投影法式、見覚えがあるぞ。


『この錠前はなんだ?』

『コード:覚醒アウェイクン。ファンタジー化する世界に対抗すべく、人類を進化させる目的で生み出された鍵だよ』

『待て待て、コード云々ってことは、これと同じような鍵がいくつも存在してるってことか?』

『答えはイエスであり、ノーでもあるね』


 目的が違うんだよ。

 少女は微笑みながら、今度は別の図式を映し出した。


『本来人類は魔物と戦うには脆弱すぎるんだよ。異世界では対抗するために「スキル」があるんだけど、これだって地球人が扱うには過ぎた力なんだ』


 それはわかる。

 例えばゾーン。

 あれは基本スキルを取り終えてから獲得したスキルだけど、あれをもしレベル1の状態で習得して、あまつさえ行使しようとしていたらどうなっていただろう。


 本来、一流のスポーツ選手や棋士なんかが万全の状態でようやくたどり着ける境地だ。

 無理やり踏み入れば、脳の回路が焼き切れたって不思議じゃない。


『そうか。負荷に耐えられる体に作り替える仕組みがレベルとステータス』

『そういうこと』

『待ってくれ。じゃあ、この錠前でレベリングするのって相当危険なんじゃ……』


 本来徐々に体を慣らしていくのがレベルシステムなんだとしたら、一気に20も30も引き上げるのは相当体に負担がかかっているんじゃ?


『うん。当時も危惧されていたよ。だけど、ファンタジー世界の侵食は想像以上の速度で、人類は新たなステージへの適応を余儀なくされた。その初期段階で試験的に作られた代物が、コード:覚醒アウェイクン


 当時はダンジョンなんて防衛施設は無く、ステータスやスキルの仕組みを解析するだけでも時間がかかった。後手に回った分、取り返す必要があったのだと少女は言う。


『被験体には3人が選ばれた。適合者は一人だけ。残り二人は、覚醒の間から戻ってこなかった。多分、レベルアップに、耐えきれなかったんだってさ』

『だってさ?』

『ああ、時系列がごっちゃになるよね』


 新たに空中に図式が追加される。


 まず、ステータスとスキルが解析された。

 次にコード:覚醒アウェイクンが作られた。

 この時点では彼女らはまだ生まれてすらいなかったらしい。


『それから生み出されたのがコード:拡張エクステンドシリーズ。一時的に潜在能力を解放するタイプの、身体への負荷を大幅に減らした錠前よ』


 こんな風にね。

 そういって少女は一つの錠前をこちらに渡した。


――――――――――――――――――――

コード:セラフィム

――――――――――――――――――――

・【回復癒術】のLvを1上昇

・【攻撃癒術】のLvを1上昇

――――――――――――――――――――

使用可能時間:1分

再使用可能時間:1時間

――――――――――――――――――――


 察するに、1時間に1分だけ癒術が使えるようになるトリガーってところか。


『反撃の足掛かりを確立した人類は防衛施設である「ダンジョン」を建造し、その管理者として私たち天使が作られた』


 ここにきてようやく天使が出てきた。


『そして、眠りについた。長きにわたる戦争に、幕を引いて、ね。他に質問はあるかな?』

『なるほどな。だいたいわかった。だが一つだけ、肝心なことを忘れている』

『ん? なんのこと?』


 本気で何のことかわからない、とでも言いたげな彼女に対し、俺は頭を抱えた。

 本質を理解していないのか、問題を問題だと捕えられていないのか。あるいは、俺の口から発せられるのを待っているのか。


『服着ろ』

『はみゃ? あああぁぁぁぁぁっ!?』


 彼女はずーっと全裸のままだった。

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