第二夜 再会

プリンスの決意(1)





小鳥たちが賑やかにさえずる木立。

まばゆい朝日がロスフォール城の窓という窓から神々しく差し込み、今日もまた慌ただしい一日が始まろうとしていた。


途方もない気だるさと息苦しさ。

心地よく暖かな日差しですら、それを和らげることが出来ないでいた。


……浅い眠りの中で、カリスは夢を見ていた。


澄んだオルゴールの音色に混じって、父と母の声が聞こえる。

両親の声に別の男の声が混ざる、皆が笑っている。


(私は一体、どこで聞いているのだ?)


真っ暗で何も見えない。

お前も早く身を固めろと、くぐもった父の声。


オルゴールが懐かしい子守唄を奏でて……カリスの心を穏やかにする。

あたたかく、幸福な時間。


まぶたに光を感じて、カリスは目を覚ました。


(——妙な夢を見たな)


まだ夢の中にいるかのごとく、頭の中がぼうっと霞んでいる。

起きあがろうとしてギョッとした。


(アーナス!?)


驚いたことに下着姿のアーナスが、隣ですやすやと寝息を立てている。

広い寝台の上で、カリスにそっと寄り添うようにして。


まだ醒めやらぬ意識のなかで、カリスは状況を把握しようと目を閉じた。記憶をたぐり寄せ、昨夜の出来事を思い起こそうとする。


「………」


夢と現実の記憶が頭の中に混在するような、奇妙な感覚。

こんな事は初めてだ。


(夜会を抜け出し、城に戻ったのは夜中の十一時頃。部屋の前で鎮座していたアーナスに、ひどく責められ泣かれたのだ。それから——)


眠っているアーナスの横顔をまじまじと眺める。


(大声で泣きわめくアーナスを、とりあえずこの部屋に入れた)


——何故だろう、そのあとの記憶が飛んでいる。


薄い絹の夜着から、アーナスの滑らかな白い肩と胸元がのぞいていた。


(まさか……)


カリスはややこしい事になった、と言わんばかりに項垂うなだれた。


——……ズキリ。


後頭部に凄まじい痛みが走った。「ウッ……」激痛に眉根を寄せ、額に手を遣る。


「殿下……カリス様……?」


見ればアーナスが枕に頬を付けたまま、大きな目をパチクリさせている。そして身を起こして「ああっ」と短く叫ぶと、カリスの首根っこに勢い良く抱きついた。

アーナスの豊満な胸が、薄い夜着を通してカリスの胸板に押し付けられる。


「夢じゃなかったのですね……!」


まるで事情が飲み込めない。


「私は、昨日……」


そんなカリスの言葉を遮るように、アーナスは嬉々としてカリスの胸板を両手でぎゅっと抱きしめた。


「わたくしはもう、身も心もすべて、あなたのものです!」


カリスは絶句した。


「——アーナス、とにかく落ち着いて、話をしよう」


痛みの余韻が続く後頭部。

堅く目を閉じて浅い呼吸を繰り返し、両手を広げてひらひらと上下させた……落ち着いていないのは明らかにカリスの方だ。


そんな彼の動揺を、アーナスは見逃さない。


「まさか……覚えてらっしゃらないの?昨日の、夜のこと……」


幸せの絶頂とも言える笑顔がぱっと消え、いつもの怒った子猫の表情に変わる。記憶に無い、と言ったら、彼女はまた癇癪を起こすのだろうか。


「……」カリスは言葉を失った。


アーナスは悪戯いたずらに小さく笑い、胸板に顔を埋めてくる。

ズキリ——と、再び額の血管が脈打ち、痛みに顔を顰めた。相変わらず頭のなかが朦朧とする。


「——お願いがあるの」


カリスの胸に収まったまま、呟くようにアーナスが言った。


「ウン……?」軽く頭を振って言葉に意識を集中させる。


アーナスがグッと胸に頬を押し付けて来るので、諦めに似た吐息をつき、彼女の肩を両腕で包んだ。


「……何だ?」


「今朝はどうしてもっ、あなたと二人だけで朝食を摂りたいの。お部屋に食事を運ばせますから、わたくしが支度をして戻るまで、待っていて欲しいの。どこへも行かないで欲しいの……!」


カリスから離れて寝台から足を下ろし、アーナスはレースの夜着を揺らして寝室の扉に向かった。

扉の前で振り返ると満面の笑顔を向け、しなやかにお辞儀する。


「——約束よ!」


天井まである巨大な硝子窓から、清々しい光が寝室一杯に差し込んでいた。呑気な小鳥たちの囀りが耳に届く……。


アーナスが退室してからも、しばらく立ち上がれないでいた。後頭部の脈打つような痛みはおさまらず、一定の周期でやって来る。

ふと目を遣ると、寝台脇に置かれたサイドテーブルに、ボトルに半分ほど残った赤ワインとクリスタルのグラスがひと組置かれているのが見えた。


(私とした事が、酒の勢いに呑まれたか——)


まさか、と居直る。

どれほど飲んでも滅多に後には引かないカリスだ。たかがワインを半分空けたくらいで。


——壁際の壮麗なロココ様式の置き時計が、唐突に九時の時報を打った。


「……まずいッ」


ゲオルクと議会の打ち合わせをする約束だ。

アーナスを抱いたのか……などという事を、とやかく考えている暇はなかった。


重い身体を無理からに持ち上げて、寝台を降りる。

先ほど交わしたアーナスとの会話も、酷い頭痛と朦朧とする意識の中に消えていった——。


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