魔石鉱山問題1
王都公爵邸執務室にて、エリージェ・ソードルは執務机に座り、書類に目を通している。
その漆黒の瞳を覆うように、この女、眼鏡をかけていた。
公爵令嬢が使用するものである。
横に長いガラスを固定するのは金色の縁で、細やかな細工がされていた。
小粒ながらも魔石が取り付けられていて、重量軽減、強度上昇の魔術が込められていた。
当然、非常に高価なものである。
これ一つで、ブルクの中堅商人、その家を土地も含めて購入できる金額であった。
最近、目の疲労を覚えるようになったエリージェ・ソードルが眼科の権威である医療魔術師に診断を受け、進められたのがこの眼鏡であった。
初め、エリージェ・ソードルは拒絶した。
治水対策や食糧問題、紙の産業化と多くの出費が予定されている現状、そのようなものに金をかけたくなかった。
それに、別に目が見えない等があるわけでもなく、ただ、疲れるだけである。
我慢すればよいと思った。
だが、周りは熱心に勧めた。
医療魔術師が無理をしすぎると目を悪くすると指摘したこともあり、従者ザンドラ・フクリュウを初め、多くの者が購入するように声を揃えた。
最終的には、嫌々ながらも試しにかけている所に、何故か、侍女長シンディ・モリタに連れてこられたクリスティーナが興奮しながら『眼鏡をかけたエリーちゃんも素敵! 可愛いし、格好いい!』と褒めちぎり、『お仕事中はそれをかけるべき!』と熱心に言い始めた事で、購入が決定した。
金額的には不満であったエリージェ・ソードルだったが、クリスティーナの喜ぶ顔と実際疲労が軽減されたことで良しとすることにした。
(でも、”前”はこんな物必要としなかったのよね)
エリージェ・ソードルは書類を机の上に置くと、眼鏡を外した。
”前回”、この女は眼鏡など使わなかった。
使う必要などなかった。
それを、訝しげに思った。
だが、このいい加減な女は(まあ、良いでしょう)と流し、視線をあげた。
その先にいる従者ザンドラ・フクリュウが口を開く。
「そこに書いてある通り、隣国ガラゴでは丸芋が育たなくなる病が所々で確認されているようです。
オールマ王国に関して言えば、今年の収穫は問題ありませんでした。
ただ、来年はひょっとすると
「そう」
エリージェ・ソードルは頷く。
”前回”はおよそ一年後、その病によりオールマ王国を初めとする周辺国で大飢饉が起きている。
「何か対策を取った方が良いわね……。
病に強い丸芋の生産はどうなっているかしら?」
「味が良くないと不評らしいです」
エリージェ・ソードルが不満げに眉を寄せると、従者ザンドラ・フクリュウが苦笑気味に続ける。
「お嬢様、全てを切り替えるとなると不安になります。
ある程度の割合で作ることを義務化し、それらは公爵家で買い取って備蓄とするのはいかがでしょう?
義務とはいえお金が入るのであればある程度やる気がでますし、自分たちが食べる訳ではないなら、問題ないと思うのでは無いでしょうか?」
そこに、執事ラース・ベンダーが口を挟む。
「その義務はどの辺りまで範囲に入れるつもりだろう?」
「わたしは公爵領全てで行うのが良いと思います」
執事ラース・ベンダーが困惑する。
「全てって……。
そこまでする必要はあるのかな?
ガラゴなど隣国といっても、ソードル公爵領からすれば、東方の先にある国だ。
そこまで影響があるとは思えないのだが……」
従者ザンドラ・フクリュウは少し唇を噛む様子を見せた。
そして、エリージェ・ソードルに真剣な顔を向ける。
「調べてみると、元々はガラゴの最東方面が起こりのようです。
それが徐々にガラゴ全土に広がっている。
何もない――かもしれません。
しかしお嬢様、どうにも嫌なものを感じます」
エリージェ・ソードルは内心で驚いていた。
”前回”、誰一人、少なくともその危険性を声高に言った者がいなかった予測を立てている。
驚かずにはいられなかった。
だが、それを隠しつつ、エリージェ・ソードルは頷く。
「そうね……。
来年はそのように計画するように指示を出しましょう。
ザンドラ、概要だけで良いのでどのようにすればよいかまとめておいて。
公爵領に戻ったら、マサジと話し合いましょう」
「かしこまりました」
エリージェ・ソードルは積み木式予定表の積み木にその旨を書き込みながら、言う。
「ねえ、ザンドラ。
……甘芋についてはどうかしら」
女の問いに、従者ザンドラ・フクリュウは苦笑する。
「思わしくは無いようです。
そのようなものを植えると、土地が汚れると……」
エリージェ・ソードルは一つ、ため息をついた。
「どこかを開拓して作らせる――その辺りも考えた方が良いかしら?」
「人は如何しますか?」
従者ザンドラ・フクリュウの問いに、エリージェ・ソードルは顎に指を当て、考えつつ答える。
「……囚人を使うというのは、どう?」
「囚人、ですか?」
従者ザンドラ・フクリュウと執事ラース・ベンダーが顔を見合わせる。
突然、護衛騎士が腰に下げた剣に左手をかけた。
その次の瞬間、執務室の扉、その取っ手がガチャガチャと震えた。
それを追うように、軽くだが慌ただしく扉が叩かれた。
侍女ミーナ・ウォールが急ぎ足で近寄ると、少し開ける。
「コラ!」という声が聞こえ、赤毛の猫(?)がにゅっと顔を出す。
エリージェ・ソードルは顔をほころばせながら言う。
「良いのよ、入れて上げなさい」
「は、はい!」
愛猫エンカは侍女ミーナ・ウォールを押しのけるように部屋に入ってきた。
途中、従者ザンドラ・フクリュウの腰を『撫でろ』というように頬ずりをして困らせたりしたが、「エン、ザンドラの邪魔をしちゃ駄目よ」と愛称で呼びながら注意すると、エリージェ・ソードルの方に早足で近寄ってきた。
エリージェ・ソードルは椅子を下げて、自身の膝を開けると、愛猫エンカはその上に頭をのせた。
それを撫でてやると、気持ちよさげに目を細める。
「ふふふ、可愛いわね。
でも、今は仕事中だから、そこで大人しくしていてね」
エリージェ・ソードルが膝から下ろすと、理解したのか愛猫エンカは女の足下で丸くなった。
それに微笑みかけてから、エリージェ・ソードルは視線を従者ザンドラ・フクリュウに向ける。
「囚人なら多少、無理矢理やらせても問題ないでしょうし、刑期がいくらか短くなると焚きつければ頑張ってくれる――そうじゃない?」
それに対して、従者ザンドラ・フクリュウは苦い顔で首を横に振る。
「残念と言うべきかどうかは悩ましい所ではありますが、現在は”例”の魔石鉱山の件もあり、囚人不足です」
従者の
魔石鉱山の件とは、”前回”も起きた鉱夫らの暴動のことである。
”前回”の経験から、”今回”、それを警戒していた女は準備に余念が無かった。
そろそろだろうという時期に、騎士隊長ザーロモン・キミッヒが率いる第十六騎士隊を中心に五百もの兵を集めた。
決行当日、魔石鉱山付近に検問を張り、仮に取り逃しても捕まえられるよう準備をさせた。
関与していた貴族やら商会を吊し上げる用意も並行して行わせた。
”前回”の事から、証拠の在処も分かっていた。
なので、相手の出方をうかがう必要も無く、あとは自ら出張り、百人そこそこの実行犯を縛り上げた上に、ボコボコにすれば良い。
ついでに、新参故に実績の無い騎士隊長ザーロモン・キミッヒに手柄を立てさせよう。
そんな風に思っていた。
ただ、もくろみ通りには行かなかった。
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