とある尊き伯爵令嬢のお話2

 そんなヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢だったが、運命の人と会うこととなる。


 王家主催の園遊会にて、兄が仕える主である第一王子ルードリッヒ・ハイセルに拝謁――ではなく、”出会った”のである。


 本来であれば王族は年齢問わず大人達の園遊会に参加しているので、成人前であっても子供達の集まりには参加しない。

 なので、同い年とはいえ第一王子ルードリッヒ・ハイセルに会う機会は無かった。


 だが、第一王子ルードリッヒ・ハイセルはヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢に会う為、わざわざ別室を用意して会うことを望んだのである。


 ――二番目の兄は『イーゼがどうしてもと言うから、少しの時間とはいえ特別拝謁してくださるのだから、失礼の無いようにね!』などとフニャフニャ言っていたが聞き流し、これまで会う機会が無かった”親族”との顔合わせに胸を高鳴らせた。


 優雅な所作で入ってきた”王子様”にヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は息を飲んだ。


 黄金色の髪が肩口にサラサラと揺れ、黄金の瞳がこちらを優しげに見つめていた。

 すらりとした体躯に、白くて美しい手を胸に当て「初めまして、ラーム伯爵令嬢」と穏やかに話しかけてきた。

「ひゃ、ひゃい……」

「……大丈夫?」

 ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢の返答に第一王子ルードリッヒ・ハイセルが心配そうに見つめてきた。


 王子様の美しさに見とれてしまい、失礼をしたことに気づいたヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は「申し訳ございません。大変失礼をしました」と優雅に謝罪をした。


 実際の所は、顔を真っ赤にしながら「もももひわへ、ごひゃいまへん」などとヘナヘナと頭を下げたのだが……。

 母の祖父の祖母の姉の旦那の姉の旦那に王族を持つ自分に絶対の自信を持っていたヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は、「う、うん、気にしないで……」という困った顔の第一王子ルードリッヒ・ハイセルや恥ずかしそうに顔を掌で覆う二番目の兄の様子など気づかず、乗り切ったと胸をなで下ろすのだった。


 素晴らしき出会いを経て、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢にある思いが沸いてきた。


 あの素敵な王子様はどのような伴侶が必要なのか、である。


 かたは第一王子である。

 現在はまだ、正式に王太子とはなっていないものの、基本的には男性の長子が継ぐものである。

 まして、あれほど美しく優しいお方――将来、王位を継がれるのは間違いないことだと、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は確信した。


 必然、王子様の妻は次期王妃ということになる。


 王妃に必要なのは確かな血筋に美しい容姿、頭脳明晰にして優雅な所作が求められる。

 淑女の中の淑女――(つまり、わたしだ!)とまるで天命を知った聖人のように、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は目を見開き悟った。


 だとすると、簡単だった。


 あの素敵な王子様はヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢と出会った。

 出会ったのだ。


 自然、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢に恋をしたことだろう。


(恐らくは今頃、どのようにわたしを迎えに行くか――そればかりを考えていらっしゃるんだわ)

 大人びた王子様のそんな愛らしい一面を”想像”し、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は頬を赤くした。

(白馬でお見えになるのかしら?

 ああ、こんな呪われたラーム伯爵家から姫を救い出す王子様――なんて、素敵なんでしょう!)

 いつ、お見えになっても良いようにと、父や兄だけで無く、使用人らにも奇異な目で見られるのも気にせず――普段から夜会に行く為の華やかな装いをし続けたりもした。


 ところがである。


 ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢と第一王子ルードリッヒ・ハイセルとの仲に割り込む者がいた。


 エリージェ・ソードル公爵令嬢である。


 この令嬢はまるで物語に出てくる悪役の令嬢のごとく、公爵という身分を笠に着て、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢”に”恋をする王子様と無理矢理婚約したのである。


 その事を二番目の兄に訊かされた時は余りにも非道な行いに、怒りと悲しみに胸が引き裂かれる思いがした。


 そして、挨拶もろくに交わした事の無い公爵令嬢――いや悪役令嬢への怒りを爆発させた。


「何て、何て酷い女なんでしょう!

 わたしと殿下の恋を邪魔するためにそこまでするの!?

 そんなことが許されるの!?」

 近くにいた兄達が「いや、婚約はもっと前に……」とか「そもそも、殿下はイーゼの事なんか」とか「放っておけ、いつもの病気だ」とかボソボソ言っていたが、床の上にひざまずき、吠え続けるヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢の耳には入っていない。


 ただただ、悪役令嬢への怒りを拳に乗せ、床を何度も叩くのであった。


 わめき散らしたその夜、専属侍女に散々当たり散らした後に眠りについたヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢だったが、朝、目覚めた時には思いのほかすっきりしていた。

 起こしに来た専属侍女に枕を投げつけたりはしたものの、朝食を食べた後にはすっかり冷静になっていた。

 例えば相手がどことなく恐ろしいトレー伯爵令嬢やいつも大勢の取り巻きを引き連れて闊歩するシエルフォース侯爵令嬢だったら、どうしようも無かっただろう。


 だが、相手は”あの”ソードル公爵令嬢なのだ。


 父親が健在にも関わらず執務を行っているとか”訳の分からない”理由で、令嬢、子息の集まりがあってもろくに参加しない女である。

 たまにやって来ても、ずいぶんと遅くにやって来るし、それでいてイェニファー・シエルフォース侯爵令嬢辺りに絡まれると逃げ回る。


 そんな、情けない令嬢なのである。


 取り巻きの数も少なく、みすぼらしいラーム伯爵家よりさらに劣るヘルメス伯爵家の令嬢が申し訳程度についているぐらいで、母の祖父の祖母の姉の旦那の姉の旦那に王族を持つヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢とは令嬢としての”格”が違う。


 そう確信できた。


 ……背が無駄に高かったり胸とかは”大きかあれであ”ったり……。


 あと、目つきがそれはもう、悪役令嬢って感じでキツかったが……。


 社交が怖くて領に引きこもっている令嬢など、ハンナ・ミュラー伯爵令嬢以上に臆病な牛だろうと確信していた。



 ソードル公爵令嬢に茶話会の招待状を送ったと知った父は激怒した。


 そして、母の祖父の祖母の姉の旦那の姉の旦那に王族を持つ自分を、あろうことか執務室に呼びつけ、糾弾し始めたのである。

 しかも、愚鈍な三人の兄もそれに加わり、「お前、何てことをするんだ!」とか「イーゼにあの方の相手は無理だ!」とか「何を要求されるか、分かったものじゃ無い!」とかわめき散らしている。


 頭を抱える父など「わたしが……それは無理でも兄達お前達が王都にいられる時期だったなら……」などと言っている。


 そんな様子をヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は冷めた目で見ていた。


 馬鹿馬鹿しい、あんな悪の牛女相手に……。


 などと考えていると「ソードル家が何ですか! しかも、あんな”女”にそっくりな娘がなんですか!?」とわめき散らしながら母が乱入してきた。


 なんでも、母は今は亡き公爵夫人とオールマ学院で同級生だったとのことだった。


 病弱とちょっと容姿が良いだけで、チヤホヤされる下らない令嬢だったと吐き捨てるように言った。

 そして、顔も立ち姿もそっくりなソードル公爵令嬢も、きっと同じ様なもんだときっぱりと言った。


 ごちゃごちゃと言いつのろうとする父や兄らに対する母の断言に、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は俄然自信を持った。


(やっぱりわたしの考えは正しかったんだわ。

 いいえ、わたしが違ってたなんてあったこと無いもの!

 全部、分かっているんだから!)


 そんな、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢だったが、母が小さく漏らした「”あんなこと”までしたのに、わたしを選ばなかったルーベ様だって同罪よ」の言葉の意味はよく分からなかった。



 王都伯爵邸から伯爵領に向かう父は「良いか、公爵代行様には挨拶だけしてそっと離れろ。近寄ってきたら、適当に相づちを打ち、難しい話になったら『父でないと分かりません』とだけ言えば良いからな!」とか「いいか、あの方を人と思うな! 令嬢の殻を被った凶暴な黒竜だと思え!」などとしつこいほど言ってきた。

 そして、執事や使用人らに「少しでも危険と感じたら多少失礼になっても公爵代行様から引き離せ。責任はわたしが取る!」などと念を押していた。

 兄達も邸宅を離れる時「絶対に失礼なことを言うな、するな!」とか「変に張り切る必要はないからね!」とか「これはイーゼ、お前の為でもあるんだからな!」などとくどくどと言ってきた。

 ハンケ伯爵家実家に呼ばれているとかで出かける母だけは「ソードル家なんて気にせず、あなたはあなたらしくすれば良いのよ」と言ってくれた。


 そんな母に対してだけ、特別な笑顔で送り出した。


(それにしても、お父様やお兄様は本当にどうしようもないわね)

 そう、苦笑した。

 的外れも良い所だった。


 聡明なヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は公爵家大貴族の危険性ぐらい熟知していた。


 なので、予防策はきちんと巡らせているのである。


 第一、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は公爵令嬢悪役牛令嬢などに近づく気など毛頭ない。

 そのためにいるのが下位貴族であり、前記の通り、万が一にもソードル公爵令嬢が反撃に出ても自分までには害は及ばないようにしていた。


 さらに、念には念を入れる様に、もう一人用意していた。


 リリー・ペルリンガー伯爵令嬢である。


『オールマのまん丸な花』などという”可愛らしい”異名は表向きの事で、裏では食べ物と美少年に対する並外れて貪欲な所から『豚顔鬼オーク』と呼ばれている令嬢である。

 また、背もそれなりに高い上に、ふくよかなどという生やさしい表現では表しきれないような肉塊を様々な所にため込んでいた。

 それでいて、食べ物と美少年を発見した時の動きはやたらと機敏で、なおかつ、周りを注意する気がまるで無かったこともあり、ここ数年は年に五、六人の令嬢が骨折などの怪我を負っていた。


 ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢とて、嫌いであり、少々怖くもあったのだが……。


 いざとなったら、公爵令嬢悪役牛令嬢にぶつかるように誘導してやれば良い。


 そう思っていた。


(それにしても、令嬢相手に凶暴な黒竜はいくらなんでも言い過ぎでしょう?

 本当に、あの人はどうしようもない人ね)

 凡庸な父親を脳裏に思い描き、ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢は嘆息する。

 大貴族を恐れる余り、頭がおかしくなったのでは?


 そんな事まで思った。


(あぁ~ヤダヤダ。

 王子様、早くわたしをこんな家から連れ出して!)


 無論、公爵令嬢悪役牛令嬢に婚約破棄をさせる必要があるのだが……。

 ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢はすっかり終わらせた気になっていた。


(でも、身の程をわきまえずに、わたしと王子様の間に割り込もうとしたんですもの……。

 散々泣かせてやるわ。

 散々痛めつけて、二度と社交界に出られないようにしてやるわ!)


 ヘーロイーゼ・ラーム伯爵令嬢はニンマリと笑うのであった。

 

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