十一歳の誕生日会
公爵邸庭園の東屋にて、国王夫妻を前に熱弁を振るう女がいた。
エリージェ・ソードルである。
この女、ここ数日、方々で話して回っていた寝台の件を、昼過ぎ頃に到着したばかりの夫妻に対して、早速とばかりに語り始めたのである。
「わたくし、今回の件で平民達の心意気を少々侮っていたと反省しましたの。
彼らも彼らなりに公爵領を良くしようと考えているなんて、思いもよらなかったのです」
などと、さわやかな秋風が流れる中、妙な熱と共に飛躍し始めるこの女の話を、国王夫妻は感心しながら頷いている。
すると、マルガレータ王妃の膝の上から、「グガォォ~」という甘えた鳴き声が聞こえてきた。
エリージェ・ソードルが視線を向けると、赤い毛並みの
その口には、不敬にも噛みつかないように
マルガレータ王妃が目元を緩めながら言う。
「”エンカ”はずいぶんと人懐っこい子ね。
初めは魔獣と聞いて不安に思っていたけど、これだけ可愛らしければ、あなたが飼いたいと思う気持ちも分かるわ」
”エンカ”とはこの女の
クリスティーナが持ってきた本に登場した猫の名の”ファイアー”とは魔術用語で、火という意味がある。
なので、クリスティーナに火を使った名前を挙げていき、選んで貰うこととなった。
その中の一つ、古代語で炎の華を意味する”エンカ”の響きが気に入ったようで、これに決まったのである。
魔獣で有り、その付けられた名前もやや剣呑なものであったが、それとは逆に、この
マルガレータ王妃もその一人で、背後でハラハラしている護衛騎士の様子など気にもとめず、嬉しそうにその柔らかな毛並みをなで続けていた。
エリージェ・ソードルは少し目を柔らかくしながら言う。
「王妃陛下に対しては、より一層懐いているように見えます。
ふふふ、気持ちよさそう」
「本当だね、どれ――」
と国王オリバーが愛猫エンカに手を伸ばす。
それにエリージェ・ソードルは慌てて言う。
「陛下、その子は令嬢です!
むやみに触られるのは……」
まるで本当の愛娘を庇うような発現に、国王オリバーは悪戯っぽく笑う。
「エリー、わたしは君のことを実の娘のように思っているんだよ!
だったら、その娘は孫娘だ。
孫を可愛がる祖父の特権を奪わないでくれ!」
「え、それは……まあ……」
この女らしからぬ事に、あたふたしていると、その隙を突くように国王オリバーが愛猫エンカの背を優しく撫でる。
「柔らかくて、温かいな。
孫娘は初めてだが、中々どうして良い物だね」
そんな手をマルガレータ王妃がペチンと叩く。
「孫とはいえ、娘に構い過ぎると嫌われますよ」
「おいおい、そんなことは――」
マルガレータ王妃の言葉が正しかったのか、それともそのやり取りが煩わしかったのか――愛猫エンカはマルガレータ王妃の膝の上からひょいと下りると、エリージェ・ソードルのとこまで駆けてきた。
そして、軽く飛び上がると、その膝の上で丸くなる。
エリージェ・ソードルはその愛らしさに、頬を緩め、その背を撫でた。
すると、マルガレータ王妃が柔らかな声色で言う。
「エリー、あなたの表情も豊かになったわね」
「え?
そうでしょうか?」
「エンカの事もそうだけど、良い出会いをしているみたいね。
ルイーサさん、あなたとの交流もその一つでしょうね」
エリージェ・ソードルが視線を隣に向けると、見るからに体中が強ばってるルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢が、それでも必死に笑みを浮かべながら「わ、わたしなどは~」などと答えている。
『エタと書庫に引きこもっておこうかしら』などと言っていたルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢だったが、到着したばかりの国王夫妻にお茶会に同席するよう誘われてしまった。
さらに言うならば、そんな身分だからこそ、国王夫妻の”誘い”に否やとは言えなかった。
底の見えぬ崖の上に立たされた死刑囚のような蒼白な顔で、了承をしたのである。
この女をして流石に可愛そうになり、代わりに断りを入れようとしたが、マルガレータ王妃に是非ともと言われてしまってはどうしようも無かった。
恐らく頭の中が真っ白になりかけだろう友人を横目に
(後でエンカを貸してあげましょう)
などと考えるのであった。
――
ソードル公爵領、公爵邸の中で、最も広い部屋は”英雄の間”と呼ばれる場所である。
その室内には、長い歴史を誇るソードル家、その節目節目に描いた絵画が四面を取り囲むように飾られている。
最奥に描かれているのは、オールマ王国初代国王ヴィンツェ・ハイセルと肩を並べて立つ甲冑姿の男、初代ソードル公爵だ。
その右には、要塞都市になる前のブルクにて、当時から列強国と呼ばれていたセヌ、フレコの二国同時侵略をその知謀と武勇とで撃破した二代目ソードル公爵、その右側には派手な逸話こそ無い者の”不落都市ブルク”の礎を築いたとされる三代目公爵が描かれていた。
他にも、貿易都市として発展させた七代目や以前は南西に広く領土を持っていたオスル帝国との決戦にて鬼神のごとき働きを見せた八代目、第二次デンキキの役にて押し寄せるガラゴ軍を少ない手勢で防ぎ、反撃の時間を作ったエリージェ・ソードルの祖父に当たるカーン・ソードルなど、ソードル領だけでなくオールマ王国全土に知られた英雄達の姿が描かれていた。
水晶硝子がふんだんに使われた照明が吊された天井にも、一つの物語が描かれている。
二千年ほど昔、天空を被うほどの邪が人々を襲う。
野蛮なる邪、ただただ人々を殺し、ただただ文明を破壊した。
絶望と狂気に彩られた世界に、たった一人の英雄が一振りの太刀を手に立ち上がった。
世界終焉の危機――そして、”破壊の刻”と呼ばれる文明崩壊の中、戦い抜いた大英雄だ。
その傍らには男女十名ほどの付き人が並んでいる。
その中の一人、黄金色の髪を短く切りそろえ、大英雄に寄り添うように立つ女性がソードル家の開祖を産んだとされている。
そんな、公爵家の重厚な歴史を空気に絡ませる場所にて、来客者に向かい何やら熱弁を振るう女がいた。
エリージェ・ソードルである。
この女、”英雄の間”にて自身の誕生会が開かれているのだが、本来、『良くいらしてくださいました』程度で終わらせるはずの挨拶にて、何やら例の寝台について語り出したのである。
「わたくしはね、あなた達に寝台を送ったブルクの平民”程度”の信頼や感謝を持たれるぐらいにはなって欲しいの。
実際に、物を貰えと言っている訳では無いのよ!
そういう事が起きるぐらいの働きをせよ、と言っているのよ!」
誕生会に来ている多くが、自領の陪臣だったこともあり妙に熱が入っていた。
千名ほどにはなる多くの参加者に『長いなぁ~』『早く終わらないかなぁ~』などと思われているとも知らず、身振り手振りを加えて続けるエリージェ・ソードルを見かねてか、側に控えていた
「エリー、今はそれぐらいにしておけ」
「え?
……まあ、良いでしょう」
エリージェ・ソードルは少々物足りなそうにするも、視線を侍女ミーナ・ウォールに向ける。
女の専属侍女は心得ているとばかりに近寄り、女に硝子の杯を渡した。
中には赤い果実酒が少し入っている。
十一になったばかりの女なので、口を少し湿らす程度の量だ。
エリージェ・ソードルが視線を向けると、同じく硝子の杯を手にした国王オリバーとマルガレータ王妃が立ち上がる所だった。
二人の王族は、一段高い舞台に立つエリージェ・ソードル、そんな女よりもさらに一段高い位置に作られている席にいたのだが、何故かニコニコしながら女の方に下りてきた。
「陛下?」
少し訝しげにすると、夫妻は女を挟むように立つ。
国王オリバーがエリージェ・ソードルの肩に手を回しながら微笑んできた。
「エリー、改めて誕生日おめでとう。
王妃とも話していたけど、君はますます美しくなったね
将来になってようやく君の美しさを賞賛する男達に対して、『わたしはもっと前から知っていた』と自慢する時を今から楽しみだよ」
国王オリバーの柔らかな視線と言葉に、この女をして「陛下、そのような……」と恥ずかしそうに顔を赤らめた。
そんな反応に、一瞬、笑みを濃くしていた国王オリバーだったが、少し表情を引き締めながら言う。
「エリー、まだ若い君が公爵家や公爵領を背負う現状を、大人として、国をお治める者として心苦しく思っている。
もしも困ったことがあったら直ぐにでも話して欲しい。
国王として、君を娘のように思っているオリバー・ハイセルとして、出来うる限り力になることを誓おう」
国王オリバーの言葉はエリージェ・ソードルに対しても勿論あるが、壇上美会に参席する者達に聞かせる為でもあるようだった。
マルガレータ王妃も優しく微笑みながらそれを引き継ぐ。
「もちろん、わたくしも力になるわ、エリー。
あなたは少し、自分だけで何事も解決しようとしてしまう所があるわ。
エリー、あなたの重荷を分けて欲しいの。
そうしてくれると、わたくし、嬉しく思うわ」
「ありがとうございます、王妃陛下」
マルガレータ王妃の言葉に、この女にしては珍しく、素直に嬉しそうな顔をする。
国王オリバーが顔を祖父マテウス・ルマに向けると、老齢な侯爵は頷いてみせる。
そして、硝子の杯を持ち上げると、部屋の隅々まで響くだろう大きな声を上げる。
「それでは、杯を手に取ってくだされ。
我が孫エリージェに健やかなる一年が訪れることを願い――乾杯!」
「乾杯!」という一同の声が重なる。
そして、皆が口々に言葉を発する。
「公爵代行、おめでとうございます!」
「お嬢様、おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
エリージェ・ソードルはそんな様子を眺めていると、目の奥から熱がジンジンと沸いてきた。
”前回”、公爵代行になってから、このような会が開かれることは無かった。
十一歳も十二歳も十三歳も……。
十四歳も十五歳も十六歳も……。
そして、十七歳も……。
そのようなことをやっている余裕が、女にも、公爵家にもなかった。
日々に忙殺されて、思いつくことも無かった。
仮に話題に上がっても、そんなどうでも良い事に時間とお金を浪費するなど馬鹿げている。
そう思ったに違いない。
だが、それが今、目の前に突きつけられて、たまらなく嬉しかった。
皆が、笑顔で祝ってくれる。
楽しそうに、杯を掲げて自身の誕生日を祝福してくれる。
マヌエル・ソードルもクリスティーナも。
ジン・モリタもブルーヌ・モリタもマサジ・モリタも。
ルードリッヒ・ハイセルもオーメスト・リーヴスリーも。
ウルフ・クリンスマンもジェシー・レーマーもレネ・マガドも。
皆が、皆が……。
それがとても、幸せに思えた。
その幸せにずっと浸っていたいと思った。
だが、この女、唇を引き締めてそれを堪える。
まだ、その時では無い事を、よく知っていたからだ。
視線を祖父マテウス・ルマの方に移す。
何故か愛猫エンカを腕に抱くエミーリア・ルマ侯爵夫人が、温かな表情でこちらを見ていた。
視線を招待客の方に戻す。
ハネローレ・シュナイダー大司祭が本を絡んだ時には想像が出来ないほどの穏やかな笑みを浮かべながら、視線が合った女に会釈をして見せた。
視線を中央に移す。
ルマ家騎士団長ウルフ・クリンスマンが杯を傾けながら、レネ・マガド男爵と談笑していた。
これから進む道も、けして平坦な道では無い。
エリージェ・ソードルは気持ちを強く引き締めた。
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