前回のルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢1

 結局、ソードル家が押さえた控室の場所を明かしてしまったエリージェ・ソードルは、一人ぽつんと立っていた。


 その口元の左端は引き攣っている。


 因みに、イェンス・レノ伯爵子息と幼なじみオーメスト・リーヴスリーは意気揚々と、侍女ミーナ・ウォールを見に行っている。

 イェンス・レノ伯爵子息はともかく、関係ない幼なじみオーメスト・リーヴスリーが楽しそうに向かっていく様子に、エリージェ・ソードルは非常にモヤモヤするのであった。

(女に付き添わなかったら、野暮ったいんじゃなかったの!?

 殿方ってホント、そういう所が!

 ホント、そういう所が!)

などと、先ほど『”こういうの”は嫌い』とか言っていたのも忘れて、心の中で愚痴る。

 ただ、そんな事をやっている場合じゃ無いと思いだし、改めて当初の目的のために歩き始めた。

 そして、エリージェ・ソードルは視線を壁際に向ける。


 和やかに微笑む幾人もの令嬢が、ぽつんぽつんと立っているのが見えた。


 いわゆる、”壁の花”である。


 彼女らは伝手も後ろ楯も無い、木っ端貴族の令嬢である。

 前記の通り、子供達の集まりでは別段、令嬢が自主的に動いても構わない。

 だが、彼女らは家で言い含められているのか、その場から動かないでいる。

 その理由は明白だ。


 エリージェ・ソードルを引き合いに出すまでも無く、この場にはオールマ王国屈指の名家、その子息、令嬢、がウロウロしている。


 それこそ戯れに、皿を投げつけられても、飲み物をかけられても、黙って受け入れるしか無い貴き人物が歩き回っているのだ。

 巨大な肉食獣の集まりに迷い込んでしまった子リスの様に、草の陰に隠れ、時間が過ぎるのを待つしか無い。


 その時、脅えた姿を見せては駄目だ。


 残酷な彼らは弱っている姿を見ると、加虐心が沸き立ち、狙われる事となる。

 だから、”壁の花”となる彼女らは、堂々と余裕の姿を、必死に取り繕うのであった。


 エリージェ・ソードルはそんな彼女らを眺めていると、近くでクスクス笑う令嬢達の声が聞こえてきた。

「あら、あそこに”壁のシミ”があるわよ」

「まあ、誰かに”消して”貰いましょうか?

 フフフ」

 エリージェ・ソードルが令嬢達の視線を追えば、黒髪の令嬢が一人、壁を背に立っていた。

 彼女は令嬢、子息肉食獣らが目の前をうろうろする圧力が堪えられなくなったのか、涙目になりながら俯いていた。


 その体は少し震えていた。


 特に、子供達の集まりでは彼女のような存在も、さして珍しくも無い。

 そんな彼女らは”壁のシミ”と呼ばれて、嘲笑され、下手をすると令嬢達に囲まれて追い出される事となる。


 それが、心の傷となり社交の場に出られなくなる令嬢も少なくは無い。


 だが、そんな哀れな彼女に対して、エリージェ・ソードルは当然、不憫に思うことは無い。

 単純に、(こんな所にいた)と思うだけだった。


 エリージェ・ソードルは黒髪の令嬢の前までずかずかと行くと、傲然と見下ろした。


 その黒髪の令嬢は突然目の前に現れた美しい、しかも高貴そうな女にギョッと目を見開いた。

 そして、あわあわ言いながら、震えを更に大きくする。

 しかし、エリージェ・ソードルは頓着せず、さっさと名乗った。

「初めまして、わたくし、ソードル公爵代行、エリージェ・ソードルよ。

 名乗りなさい」

 その黒髪の少女はその家名と身分に「ひぃひゃ!?」などと奇っ怪な声を上げたが、それでもきちんと礼儀作法を叩き込まれているのか、膝を付き、首を垂れた。

「わわわわたし、ボビッチ子爵家次女、エタ・ボビッチと申します。

 ソードル公爵代行閣下にお目にかかれて光栄にございます」

「立ちなさい」

「は、はい!」

 エリージェ・ソードルはエタ・ボビッチ子爵令嬢がフラフラしながらも立ち上がる様子を眺める。


 ”前回”、この少女は聖女クリスティーナ・ルルシエのもっとも親しい友人だった。


 だから、エリージェ・ソードルは聖女クリスティーナ・ルルシエの居場所を探す時に、いの一番に捕らえたのである。


 ただでさえ貴き身分の上に、全盛期の女である。


 たかだか、木っ端子爵令嬢にとって、どれほど恐ろしかったことか。


 だが、エタ・ボビッチ子爵令嬢はけして口を割ることは無かった。

 ”黒い霧”で持ち上げられ、校舎より高い上空で振り回されても、散々痛め付けられても――目から鼻から口から、そして、下半身から、散々漏らしながらも、第一王子ルードリッヒ・ハイセルが助けに入るまでこの令嬢は「ヒィ! ヒィ!」と言うだけで何一つ語ることは無かった。


「……あなた、今からお茶をしましょう」

「お、お茶ですか!?」

 何やら死刑判決を受けた囚人のような顔をするエタ・ボビッチ子爵令嬢をそのままに、エリージェ・ソードルは「付いてきなさい」とさっさと背を向けた。


 エリージェ・ソードルは断られるなど微塵も思っていない。


 実際、大貴族からそのような風に指示さ誘われて、子爵令嬢に否と言える訳が無い。


 女の後ろを付いてくる気配を感じた。

(待たせてしまっているかしら)

とエリージェ・ソードルが少し早足になりかけた時、突然、「ちょっと、止めなさい!」という声が聞こえた。

 それと同時に、一人の令嬢が足下に跪いてきた。


 不意を突かれたエリージェ・ソードルは思わず足を止めてしまう。


(はぁ!?)

 この女にしては露骨に顔をゆがめ、その焦げ茶色の髪をした令嬢を睨んだ。

 だが、その令嬢は落ち着いた声色で話し始める。

「申し訳ございません、ソードル公爵代行閣下。

 そちらのエタ・ボビッチ彼女はわたしと約束をしておりまして――」


 ”壁のシミ”となっていた令嬢と約束があった。


 おかしな言い分に”政治的な別のもの”を連想したエリージェ・ソードルは、苛立たしげに訊ねる。

「あなた、名を名乗りなさい!」

「はい!

 ヘルメス伯爵家長女、ルイーサ・ヘルメスと申します」

 とたん、エリージェ・ソードルは目を大きく見開いた。

「ルイーサ……ヘルメス……」


 エリージェ・ソードルの脳裏に、庭園で向かい合った在りし日の少女の姿が映った。


 女の目が懐かしげに弛む。

(そう……。

 そうよね。

 あなたがいても、おかしくは無いものね……)

 エリージェ・ソードルは以前を思い返した。


――


 ”前回”の事だ。


 一年生の秋口、エリージェ・ソードルは取り巻きらと共に庭園で昼食を取っていた。

 この時のこの女、非常に珍しい事ではあったが、取り巻きの令嬢の一人が話す内容に興味を示し、前のめり気味に聞き入っていた。

 そこに突然、「ソードル公爵令嬢、少しよろしいでしょうか?」と割り込むように横から声を掛けられた。

 エリージェ・ソードルが、この表情を余り変えぬ女が、露骨に眉を顰めながら視線を向けた先にいた令嬢こそ、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢であった。

 その後ろには、二人の令嬢を付き従えている。


 その時のこの女、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢とは初対面である。


 自分が知らない、それはつまり、相手が大貴族を含む上位貴族では無い事が分かっているこの女は、「後になさい」と手で追い払った。

 だが、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は後ろの令嬢とともに、膝を付き、首を垂れた。


 エリージェ・ソードルはそれを見て内心で舌打ちをした。


 伯爵貴族家以上のものが王族以外に膝を付く、それは最大の礼節を持って対峙している事を示している。

 その時点で、家の爵位を聞いていない女としては、流石に無視は出来ない。

 一つ溜息をつくと椅子の背もたれに体を預け、「どなたかしら」と訊ねた。

 ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は頭を下げたまま自己紹介と後ろの令嬢を紹介する。


 後ろの令嬢は男爵木っ端貴族であった。


 そのことを説明した後に、話し始める。

「ソードル公爵令嬢、実は”そちら”の方々の中に、後ろにいる下位貴族彼女らに対して嫌がらせをしている方がいらっしゃるのです。

 ソードル公爵令嬢、その事への謝罪と、もう二度とそのような事をしないという確約を頂けませんでしょうか?」


 ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢、”方々”と言いつつも、名を上げていない。


 ただ、カルリーヌ・トレー伯爵令嬢に比較的近い席に座っていた令嬢が二人、弾けるように立ち上がった。

「あなたごときが、ソードル様に進言など身の程を知りなさい!」

「そうよ、そうよ!

 図々しい!」

 それを横目に、カルリーヌ・トレー伯爵令嬢は呆れた顔をしている。


 オールマ学院では建前上とはいえ、生徒間は平等を謳っている。


 なので、身分を笠に着て何かをすれば、罰せられる”ことも”ある。


 エリージェ・ソードルは視線をルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢に戻し、彼女を立たせた。

「”誰”の事を言っているのか知らないけど、わたくし達の中にそのような者は居ないと思うわ。

 まあ、いたとして――だからなんだというの?」


 あまりにも無体な発言だが、女の中では当たり前の対応だった。


 虐めをしていたらしき令嬢は、曲がりなりにも自分の取り巻きだ。

 さらに言えば、落ちぶれ気味のヘルメス伯爵家とは違い、カルリーヌ・トレー伯爵令嬢のそばにいることを許される程度には名家の伯爵家の者、まして、虐められたという相手はエリージェ・ソードル基準で言えば使用人程度の小貴族の娘だ。

 どちらの肩を持つのかなど、問われるほどのものでもなかった。


 むしろ、くだらない話を持ってくるなとギロリと睨んだ。


 貴き身分に加えて、その恐るべき魔力量で知られた女である。


 そんな女に睨まれたら、たかだか令嬢ごときであれば震え上がるだろう。

 実際、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢の後ろにいる跪いたままの令嬢達は、手を取り合い、失神しそうなほどガクガクと震えていた。


 だが、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は揺らぐ様子はない。


 なんて事もないように、それでいて丁寧に話を続ける。

「畏まりました。

 ソードル公爵令嬢がそちらに虐めをしている方がいらっしゃらないとおっしゃるならば、その通りなのでしょう」

 エリージェ・ソードルはずいぶんあっさり引いたルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢に少し引っかかるものを感じながらも、話は終わりだと扇子で追っ払おうと思った。


 そこに、件の令嬢から笑い声が聞こえてきた。


 エリージェ・ソードルが視線を向けると、安心したのか椅子に座り直り、

「ずいぶん馬鹿なことをしたわね、あの子達。

 何様のつもりかしら?」

「わたし達の”しつけ”が足りなかったようね。

 後でたっぷり可愛がってあげましょう」

などとクスクスやっている姿が見えた。


 前記の通り、やりすぎると罰せられることもある。


 そうなると、問題がエリージェ・ソードルにまで届くことになるのだが……。


 エリージェ・ソードルは何かを言おうとして、やめた。

 カルリーヌ・トレー伯爵令嬢の笑顔、その瞳の奥に剣呑なものが見えたからだ。

 エリージェ・ソードルが視線を戻すと、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢が話を続ける。

「ソードル公爵令嬢、そうすると、その者達は嘘を言っているということになります。

 それは、ソードル公爵家の威光を、勝手に笠に着る不埒者、ということになりませんか?」

「な!?」

「あなた大概――」

 令嬢達の声は「黙りなさい!」という声に中断される。

 エリージェ・ソードルが視線を向ければ、カルリーヌ・トレー伯爵令嬢が冷ややかな目で件の令嬢達を睨みつけ、令嬢達はそれに怯えて口をつぐんでいた。

 それを確認したエリージェ・ソードルは、視線をルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢に戻しつつ、冷めた口調で言った。

「あなた、先ほどの話を聞いていなかったのかしら?

 わたくし、”いたとして”、だからなんだというの? と言ったはずよ。

 それとも、あなたは学院にその事を報告するつもりかしら?」

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