前回の第一王子ルードリッヒ・ハイセル1

 ”前回”のことだ。


 第一王子ルードリッヒ・ハイセルは国王オリバーの長男で、父譲りの美貌と穏和な性格とで王宮では非常に人気があった。

 勉学、武芸、魔術それぞれでも人並以上の才を示し、次期王として申し分ない。

 多くの者がそう思っていた。


 ただ、盤石かと言われればそうでもなかった。


 弟である、第二王子クリスティアン・ハイセルが存在していたからだ。


 第二王子クリスティアン・ハイセルは人当たりこそ良くないが、その代わりに非常に聡明な王子だった。

 彼は家庭教師が付く五つになると、猛烈な勢いで知識を吸収し、九つになる頃には優秀と言われた二つ上の兄の学んでいる所まで完璧に覚えた。

 世継ぎ問題にまで拗れる可能性があったために、流石に、第一王子より先を学ばせる訳には行かず、武芸に力を入れるという名分の元、勉学から外される事となる。


 だが、彼の家庭教師達はもったいないとボヤくようになった。


 そして、それがいつしか『兄のために押さえつけられている哀れな王子』という風に囁かれるようになった。

 また、古参の臣の中からも第二王子クリスティアン・ハイセルを押す声が聞こえ始めた。


 それは前国王で今は亡きヴィンツェ三世が要因の一つとなっていた。


 ヴィンツェ三世は苛烈王初代ヴィンツェの名を継いでいながらも、非常に穏和な王であった。

 民を慈しみ、戦争や武力を嫌い、国の諍いは外交で行うよう公言していた。


 そんなヴィンツェ三世だったが、彼の王を名君と評する者は誰もいない。


 ヴィンツェ三世が即位している頃、オールマ王国建国以来、もっとも戦争が起きた時期となったからだ。

 小さいものを合わせるとその数五十回、特に酷かったのはガラゴと衝突し当時のソードル公爵をはじめとする多くの死傷者を出した第二次デンキキの役や、セヌと衝突しヴィンツェ三世の王弟やジューレ辺境泊の弟卿を失った第十二次コブレッゲンの役などで、将兵だけではなく、大貴族や王族からも死傷者を出した。


 そこまでの状況になったのには様々な要因がある。


 ヴィンツェ三世の理想のために、オールマ王国の虎の子だった爆裂魔術を国法で禁止し、騎士や兵士の半減政策を推し進めたこともある。


 だが、もっとも致命的なのはヴィンツェ三世の外交下手だろう。


 ヴィンツェ三世は非常に温厚で心根の優しい人物であった。

 だが、この王は外交が戦争で例えられるほど苛烈だということを知らない、知ろうともしない。


 なので、こちらが引いたのだから、向こうも引いてくれるだろうと無邪気に思っていた。


 外国から威圧的に出られたら笑みで返し、衝突が起きたら身内をたしなめた。

 他国を貶す行為や探る様な行為を国として全面的に禁止し、破れば強く罰した。

 あげく、国境の威圧行動の禁止や武装解除など率先して行った。


 その結果、不平等な条約をさんざん飲まされた上に、国境近辺を無防備にさせられ、そして、当然のように攻め込まれた。


 カーン・ソードルやヴォーレン・ジューレを初めとして、多くの将兵が命がけで戦わなければ、現在の領土の半分も守れなかっただろうと言われている。


 そんなぼろぼろのオールマ王国を放り出すようにヴィンツェ三世は糖尿と酒毒が元の肝臓の病で死んだ。


 真偽は定かではないが最後にこのように言い残したという。

「何故、皆は戦いたがるのだ。

 何故わしのようになれぬ」

 その話を聞いた多くの将兵が青筋を額に浮かべ、握る手を振るわせたという。


 その次に王位を次いだ国王オリバーは、その爽やかな容姿とは裏腹に、王として時に冷酷な采配を行える人物であり、即位から数年でケチを付ける人物など”残って”いなかった。

 ”その代わり”に、次期王への視線が、特に古参の配下からの視線が厳しくなったのだ。


 だが、ある日をきっかけにそういった声が収まることとなる。


 大貴族ソードル家令嬢、エリージェ・ソードルとの婚約が決まったのである。


 オールマ王国屈指の大貴族であり、先の戦争で英雄的働きをしたカーン・ソードルを父方の祖父に持ち、同じく大貴族であり法務大臣でもあるマテウス・ルマを母方の祖父に持つ令嬢が嫁ぐのであれば、この国で否と言える者など存在しなかった。


 しかもである。


 エリージェ・ソードルというご令嬢、第一王子ルードリッヒ・ハイセルを高く評価している。

「この方は、将来必ず素晴らしい国王になれる」

と喧伝して回る。

 これが、ただのご令嬢であれば婚約者を誉めて回る様子に、微笑ましいと笑って終える事も出来ただろう。

 だが、エリージェ・ソードルというご令嬢、若くして公爵代行になり、愚かな父親の代わりに政務を取り仕切る才女だった。

 それでなくても、執務を行う者の多くがエリージェ式の論文を読み、その内容に舌を巻いていた。

 そんなご令嬢が”素晴らしい”と絶賛するのだ、仮に訝しげに思っても『そうなのかも……しれない』と言ってしまえるほどには説得力があった。


 そんな中、第一王子ルードリッヒ・ハイセルは次期王への道を着実に歩んでいく。


 時に、国王オリバーに厳しく叱責をされることもあった。

 時に、古参の大臣達からの値踏みするような視線に晒されることもあった。

 それでも、第一王子ルードリッヒ・ハイセルはゆっくりとだが、着実に歩み続けた。


 挫折しそうとなっても婚約者エリージェ・ソードルが支えてくれた。


 同い年でありながら多くの癖の強い貴族達から一目置かれる才女、広大な規模の公爵領を幼いうちから”簡単”に統治してしまう才媛さいえん、そんな彼女が励ましてくれた。

『殿下は素晴らしい王になれます』と言ってくれる。

『殿下が作る国が楽しみです』と言ってくれる。

 その事が、幼い第一王子ルードリッヒ・ハイセルに取って、本当に心強い事だった。


 しかもである。


 エリージェ・ソードルという美しきご令嬢は、自分に微笑んでくれる。


 将来、王国一美しくなるのではと囁かれながらも、滅多に表情を変えぬ彼女が、自分だけに微笑んでくれる。


 その事が、第一王子ルードリッヒ・ハイセルの大きな自信になっていった。


 彼女となら、彼女となら、王国を導いていける。

 強くそう、思った。



 そんな第一王子ルードリッヒ・ハイセルであったが、成長するにしたがい、そんな婚約者に不満を持ち始めた。

 不満と言っても、それほど大きいものではない。

 拗ねる、と言ってもいいぐらいのものだ。

 学院生活を続ける上で、どうしても思ってしまうのだ。


 この美しい婚約者がもっと側にいてくれればと。


 過ぎ去ればもう訪れることの無い青春時代の、学生時代の、この一瞬に彼女がいてくれればと願ってしまったのだ。


 時に男女が仲よさげに廊下を歩くのを目にした時に。

 時に男女が楽しげに庭園で昼食を取っているのを目にした時に。

 時に男女が教室で課題を教え合う姿を目にした時に。


 本来であれば、自分のそばに寄り添い、人々の羨望のまなざしを向けさせるべき美しい少女がいない代わりに――何故自分が、ごく”ありきたりな”彼らを羨ましがらなくてはならないのかと、考えてしまったのだ。


 もちろん、第一王子ルードリッヒ・ハイセルとて、婚約者エリージェ・ソードルの”責任感”の強さは理解していた。


 それは、彼とて好ましいとさえ思っていたことだった。

 だが、多くのことを背負いしすぎている様に思えた。


 婚約者エリージェ・ソードルはそう、色んな事をやりすぎていた。


 不作や暴動、疫病への対応は仕方がないにして……。

 所詮、一地域である河川の氾濫や商人が気にすればよい流通網の整備、あげく、公爵家で使う武具の買い付けを自ら行ったと聞いて耳を疑ったものだ。

 学院に入学した今は、学業そっちのけで、紙を公爵領の主産業にすると言いながら方々を駆け回っている。

 お茶会で貴族の一人が『商人令嬢』と揶揄しているのを聞きつけた時は、咎めはしたものの、心の内では完全に否定することが出来なかった。


 確かに、あれだけの才覚、あれだけの指導力、あれだけの魔力を持つ婚約者エリージェ・ソードルだ。

 彼女が手がければ、何でも簡単に解決できるだろうと、第一王子ルードリッヒ・ハイセルは理解していた。


 だが、出来るからといって一人で抱えてしまうのはどうなのか? とも思っていた。


 適当な人間に振れば良い話ではないのだろうか?

 正直、釈然としなかった。

 父である国王オリバーからソードル公爵家の件に関わる事を禁じられていたので、口には出さなかったが、そう思わずにはいられなかった。

 まして、”王国屈指の資産”を持つ公爵家の令嬢が、商人達と直接取引をするなどとは……。

 しかも、そのために本来であれば楽しく、輝いていたはずの学院生活を潰してしまうとは……。


 第一王子ルードリッヒ・ハイセルの不満はうっすらではあったが、幾重にも重なっていった。

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