第八章

宿敵の来訪1

 公爵邸応接室にはニコニコと微笑む商人と、顔をひきつらせる娘が座っている。

 それらを正面に、心なしうんざりした顔で座る女がいる。


 エリージェ・ソードルである。


 この女としては煩わしいと投げ捨てた物が、強風に煽られ自身の顔に戻ってきたような、非常に嫌な気分になっていた。

 ただ、それでは話が先に進まない事も分かり切っていたので、つい先ほど送り出したばかりのソフィア・デシャに声をかけた。

「先ほどぶりね、ソフィア。

 帰ったばかりのあなたが、舞い戻ってきた理由を教えてくれるかしら?」

 ソフィア・デシャがそれに答える前に、口ひげを蓄えた商人が話し始める。

「公爵代行様、それについてはわたしからお話ししても宜しいでしょうか?」

 エリージェ・ソードルは少し嫌そうにしながらも頷いて見せた。

 それに対して商人――大商人ミシェル・デシャが恭しく頭を下げて話し始めた。

「ありがとうございます。

 先ずは改めて、娘を救って頂きありがとうございます。

 婿の愚かな行いについて連絡を受け取った時は、もう二度と会うことは叶わぬのかと悲観に目の前が真っ暗になったものでございます。

 この子も知らなかったとはいえ、大罪人の妻として、一緒に首を斬られていても文句は言えなかった身、にもかかわらず公爵代行様のご慈悲により、こうして再び会うことが叶い、歓喜で震えそうでございます」

 ”前回”の事を知っている女が(文句は言えない――ね)と内心で顔をしかめていることも知らず、大商人ミシェル・デシャは続ける。

「これは是非にともお礼をせねばならないと、こちらに向かう最中、合流した娘と共に参上させていただいたわけでございます。

 大貴族様から見たらつまらないと思われるかもしれません。

 ただ、平民の精一杯背伸びした結果とお笑いになりながら、こちらを受け取って下されば幸いにございます」

 大商人ミシェル・デシャが目配せをすると、商会の従僕が様々な品を運び入れ始めた。


 それはエリージェ・ソードルをして、軽くだが目を見張るものだった。


 北西の国ルールリの黄金で出来た光の神の像に、フレコにある町パリスの職人が作り出した化粧台、南方の国ローネの巨匠ラファレーナの絵画に、東方の国シンホンの織物と、次々と並ぶ。

 それだけではなく、白魔狼しろまおおかみの毛皮や巨大な魔獣のものらしき牙、そして、椅子に出来るほどの重厚な箱の中には煌めく宝石の原石が隙間無く詰め込まれていて、それだけでも、金貨千は下らないように見えた。

 視線を向ければ、その量と質の為だろう、大商人ミシェル・デシャの隣に座る大商人の娘ソフィア・デシャが顔をひきつらせていた。


 エリージェ・ソードルは扇子を口元に当て、少し考える。


 そして、淡々と言った。

「あなたの”気持ち”確かに受け取ったわ」

「ありがとうございます」

 大商人ミシェル・デシャは丁寧に頭を下げる。

 それに対して、エリージェ・ソードルは続ける。

「これだけの物を頂いたのですもの、わたくしも何かをお返ししなくてはならないわね」

「いえ、そのような――」

 そう続けようとする大商人ミシェル・デシャの様子など頓着せず、エリージェ・ソードルは侍女ミーナ・ウォールに指示を出した。

「ミーナ、その黄色い花を一輪、取って頂戴」

 侍女ミーナ・ウォールが部屋の隅に飾られている花瓶から、黄色の花を丁寧に抜き取る。

 その様子を確認しながら、エリージェ・ソードルはさらに続ける。

「ミーナ、その箱にそれを置いて頂戴」

「?

 畏まりました」

 侍女ミーナ・ウォールは一瞬、不可解そうな顔をしたが、言う通りに宝石の原石が詰まった箱にそれを置いた。

 それを確認した後、エリージェ・ソードルは大商人ミシェル・デシャに向き直り言った。

「お礼にここにある物をすべて、あなたに与えるわ。

 あなたたち、下げて頂戴」

 部屋にいる者達から息を飲む気配を感じる。

 対面にいる大商人ミシェル・デシャですら、その笑顔に微かであったが動揺が見て取れた。

 だが、それも一瞬のことで自分の従僕が伺うのに対して、平然と頷き、運び出すように指示を出した。


 贈り物に、花を置くことで自分の物として送り返す。

 オールマ王国でそれは、二つの意味を持った。


 一つは下の者が離しがたい家宝を送り、助けを求めてきた場合に、上の者がその度量を見せるように行う場合である。

 これは、返ってこない可能性があるにも関わらず、そこまでしてでもお願いしているのだと示し、上の者は『その覚悟は受け取った』と返すのが形式上礼儀とされていた。


 もう一つは賄賂を穏便に避ける為に行う。


 ただ、”心付け”に対しては、”求めている物とは違う”という意思表示でもあった。


 商会の従僕が出て行くのを、お茶を飲みながら待ったエリージェ・ソードルは、その扉が閉められたのを合図に話し始めた。

「わたくし、回りくどいことは好きじゃないからはっきり言うけど、”ああいう物”は今ある分で十分間に合っていると思っているの。

 だから、今後も不要よ」

 余りにもはっきりし過ぎている言であったが、流石というべきか大商人ミシェル・デシャはすでに動揺など欠片も見せず柔らかに微笑み

「左様でございますか。

 それは、大変失礼いたしました」

と頭を下げた。

 エリージェ・ソードルはそんな大商人ミシェル・デシャを眺めながら話を続ける。

「わたくしとしては別段、今回のことであなたに何かを望むことはないわ。

 そうね、あえていうなら、”仮”にこの地に飢饉などが起きた場合は、多少でも気にかけて頂戴」

「飢饉、ですか?」

「例えばの話よ」


 エリージェ・ソードルには、この女の性格や立場上、多くの敵がその前に立ちふさがった。


 それは、オールマ王国はもちろんの事、セヌ、フレコ、オラリルなど隣接する国を含む外国にもいた。

 その中で、この女をもっとも苦しめたのが、現在対面する大商人ミシェル・デシャであった。

 何度、殺しに向かおうと思ったか分からぬぐらいに苦しめられた。


 暗殺を勧められたこともあった。


 だが、それはこの女の性分に合わず、そんなことをするぐらいならと、単身乗り込もうとして国境で大騒ぎになったほどであった。

 最終的には外交によって、大商人ミシェル・デシャは引退し幕を閉じることとなったが、それがなければ確実に(一人で)攻め込んでいただろう。


 それぐらいこの女は、大商人ミシェル・デシャを忌避していた。


 はっきり言ってもう関わりたくないというのが、偽らざる本心であった。

 だが、別のこともあった。

 今後起きる飢饉のことだ。


 フレコは芸術と食の国と呼ばれている。


 食とは食文化を指すが、それと同時に農業国という意味もある。

 あの大飢饉の折りに平然としていた国はフレコのみだったことからも分かる通り、農産物の生産にかけては屈指の強国なのである。


 この繋がりは、少なくとも今は切れてはならない。


 この女は嫌というほど、そのことを理解していた。


 エリージェ・ソードルは扇子で首元を軽く叩きながら訊ねる。

「で、実際の所は何しに来たの?

 娘はすでに”助かった”のだから、わたくしに”あそこ”までの用意をする必要はなかったでしょう?」

「いえ、あれは感謝の気持ち――」

「商人が?

 面子を重んじる貴族ならともかく、割に合わない事と分かるや霞のように掻き消えるあなた達が、わざわざ損をするためにここまで来る訳ないでしょう?」

 エリージェ・ソードルの言に流石の大商人ミシェル・デシャも苦笑する。

「公爵代行様、商人我々にも受けた恩を返すぐらいの人情は持ち合わせていますよ。

 ただまあ、受けた恩はとう返し、受けた仇は三倍返しではありますがな」

 快活に笑う大商人ミシェル・デシャにエリージェ・ソードルは”前回”の事を思いながら、(三倍どころじゃなかったわよ)と心の中で愚痴った。

 だが、流石の大商人ミシェル・デシャもそんな女の心情までは読めないようで話を続ける。

「分かりました。

 公爵代行様は回りくどい駆け引きはお好きでないようなので、お話しします」

 大商人ミシェル・デシャは真剣な眼差しになり、エリージェ・ソードルをじっと見つめながら続ける。

「公爵代行様、元ホルンバハ商会をわたしにお売り頂けませんでしょうか?」

 女の持つ鋼鉄で出来た扇子がミシリと鳴り、対面する二人以外の者達が息を飲む気配が妙に響く。


 この女、エリージェ・ソードルは公爵代行である。


 ”前回”も”今回”もだ。

 そして、特に”前回”は苦難の連続だった。

 修羅場の連続だったと言い換えてもいい。

 それだけ公爵領は危機であり、それだけこの女は強くならなければならなかった。

 故にというべきかこの女が睨むと、たかだか十歳を過ぎた娘には持ちようのない凄みがあった。

 今も、ギロリと尖らせる漆黒の眼光に大商人の娘ソフィア・デシャなどは声こそ上げなかったが、顔をひきつらせ、細かく震えた。


 だが、流石というべきか大商人ミシェル・デシャは揺らがない。


 平然とそれを受け流す。


 そんな顔面を扇子で殴り倒したい衝動を何とか堪えながら、エリージェ・ソードルは声音を低くしながら訊ねる。

「ねえあなた、さすがにソードル家を舐め過ぎじゃないかしら?」

 それに対して、大商人ミシェル・デシャは首を横に振りながら真摯な口調で言う。

「公爵代行様、自分で言うのもなんですが、わたしは商人の矜持を持ち、行動し、それを裏切ったことはございません。

 わたしが提案するのは自分の利益も勿論ありますが、その対面に座られる方のそれも、確実に得られるようにしております。

 まして、大恩ある方に対して、損になることはけしていたしません」

「……続けなさい」

「ありがとうございます。

 公爵代行様は非常に理知的なお方だとお見受けします。

 そして、率直さを尊ぶご様子、なので大変恐れ多いのですが、はっきりと言わせていただきます。

 公爵代行様には元ホルンバハ商会の流通網を整理できる人材がいらっしゃらないのではないでしょうか?」

 その言に、エリージェ・ソードルは内心で舌打ちをした。


 実際の所、すでに流通については支障が出始めていた。


 ”今回”は商会が燃やされたわけではないので、一応伝票などは残っていた。

 ただ、それを単純に右から左に流せば良いわけではない。

 倉庫に在庫として揃っている物ばかりではないので、送る優先順位というものが必要となった。


 だが、それは商会長の側近達が把握していて、その多くが処刑された。


 なので、公爵家の派遣した役人は目に付いた伝票を適当に片づけてしまい、すぐに必要な場所にそれが届かないという失態を犯してしまっていた。

 それは、たまたま公爵邸で必要な物だったから問題になっただけで、聞き取り調査をした所、平民の工房などで大きな損害が発生した所が続出している事を知って、女は頭を抱えたものだ。


 さらには、誰が責任を持つのかという話にも問題があった。


 名目上、家令マサジ・モリタになっていたのだが……。

 平民達は貴族で公爵家の重役である彼に対して、責任を問うどころか言葉すらかけることすらはばかられた。

 そのことで、問題の発見が遅れ、事態と公爵家に対する心証が悪化する事が増え始めていた。


 たった数日でこれだけごたつくのか、それとも、たった数日しか経っていないからごたつくのか、エリージェ・ソードルには分からない。


 ただ、畑違いの事をさせられ、右往左往する部下と、彼らがそれだけ頑張っているにもかかわらず、言葉にはしないまでも不満を膨らませる平民を見ながら、さっさとどこかに投げたいと思うのは仕方がないことであった。


 ちなみに”前回”は、ある商会長の助けを受けたので、何とか乗り越えることが出来た。


 ただ、”今回”は彼に助けを求める気は起きなかった。

 それは、学院での惨劇、その遠因えんいんとなった商会だからである。

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