少女への殺意
その後すぐに、祖父マテウス・ルマに会うため、王宮へと向かった。
今後について相談するためである。
指輪印を手に入れた。
ただ、公爵家の血を受け継ぐエリージェ・ソードルであっても、これをすぐに使用することはできない。
貴族の持つ指輪印を正式に使用しようとすれば、国王や貴族院からの継承許可書を得なければならないからだ。
だから、エリージェ・ソードルはいの一番に、後見人である祖父マテウス・ルマに会いに行ったのである。
祖父マテウス・ルマとの会談を終え、屋敷から帰る馬車の中、エリージェ・ソードルは思い返す。
『仮に一年が過ぎても、殺すなよ』
指輪印を受け取った経緯を聞き、祖父マテウス・ルマが最初に言ったのがこれである。
『……理由をお聞きしても?』
『理由を聞かなければならないのか?』
祖父マテウス・ルマは頭を抱えた。
この愛娘に容姿”だけは”そっくりな孫娘について、マテウス・ルマは正しく理解していた。
この女は父親を殺す。
普通の――良識のある人間ならば、禁忌だとして躊躇する親殺しを躊躇わずにやる。
領運営に邪魔だという、簡単な理由でやれてしまうのだ。
『エリー』とマテウス・ルマは言い聞かせるように、女を愛称で呼ぶ。
『毒も薬にするぐらいの度量を持て』
祖父の言葉に、エリージェ・ソードルは少し考える。
この女、改善のためにはどこまでも根気良くなれるのだが、少しでも煩わしいと思えるものに対しては、恐るべきと形容してしまえるほど、短気である。
そして、この女、自身のそういった部分を正しく理解していた。
だから、この時も(無理――)
『無理じゃない』
『……』
エリージェ・ソードルは祖父としばし見つめ合った後、一つため息をつきながら『善処します』と答えた。
――
「面倒な釘を差されたわ」
エリージェ・ソードルとしても、老執事ジン・モリタが生きている今、好んで殺そうとは思わない。
ただ、選択肢を減らされた、と少し不満にも思えた。
「ルマ侯爵もお嬢様のことを思ってのことでしょう」
向かいの席に座る、茶色の髪に眼鏡をかけた青年が、苦笑気味に言った。
彼はラース・ベンダー、つい先日まで執事見習いであったが、現在は正式に執事となっていた。
老執事ジン・モリタを安静にさせるため、急遽昇格させたのだ。
その歳、二十歳になる。
穏和な性格ながらも、頭の切れる若者で、”前回”、ジン・モリタの代わりにと幾人もの執事候補が紹介された中、エリージェ・ソードルは最終的に彼を重用した。
そんなこともあり、今回は、『まだ奉公に来てから二年目で力不足です』と嫌がる彼を、強引に引き上げたのだ。
「まあ、そうなんでしょうけど」
流石のエリージェ・ソードルも、親殺しが禁忌だということぐらい分かる。
「年間、金貨三万枚かかるのよねぇ……」
「……お屋敷全体の出費ですか?」
「分かっているのでしょう?」
執事ラース・ベンダーは絶句した。
父ルーベ・ソードルたった一人の出費だと正しく理解したからだ。
因みに大商人と呼ばれる者達の”年収”は金貨千枚ほどと言われている。
公爵令嬢であるエリージェ・ソードルの出費は金貨三十枚、この女がまだ社交界に参加していない年齢だとしても、ルーベ・ソードルの出費は異常であった。
「公爵領の収入、公務給金合わせて、およそ金貨百万枚――そこから、雑費や備品の修理代の諸々、そして人件費等の必要経費を差し引けば、残りはおよそ十万枚になるわ。
つまるところ、公爵領の利益のおよそ三分の一が”浪費”されているのよね。
さらに、うちにはもう一人いるでしょう?」
執事ラース・ベンダーが顔を青ざめさせた。
「
「嘘でしょう!?」
思わず素が出てしまったラース・ベンダーに、エリージェ・ソードルはため息混じりに首を横に振る。
王族を除く、貴族の中でもっとも収入が多いのはソードル公爵領である。
農業に適した豊かな土地や、金や銀、魔道具に使う魔石が掘り出される鉱山、さらには西方の国との貿易拠点となる町まで含める公爵領、その利益の大半がたった二人によって食いつぶされているという事実――ラース・ベンダーに衝撃を与えた。
「正直、その……。
侯爵とお嬢様の話を聞いて――お嬢様は”少々”厳しいのでは? なんて思っていましたが……。
今はもう……お気持ちをお察ししますとしか言えません」
「いったい、どんな使い方をしたらこうも散財できるのかしら?
ドラゴンでも購入したのかしら?」
因みに、”前回”のこの女、成人の儀がある年度がもっとも出費した年になる。
しかし、その時の額がおよそ金貨二千枚である。
第一王子の婚約者として、衣装や宝石類を多く新調して――である。
公爵夫婦の浪費がいかに桁外れかが分かる。
「……わたしのような似非貴族の次男坊には理解できない世界です」
執事ラース・ベンダーの家は香辛料の貿易で財をなした商家で、二代前の当主が準男爵を与えられている。
ただ、準男爵というのは称号があるだけの平民に過ぎない。
当然、貴族院に席など無い。
だから、ラース・ベンダーは
「大丈夫よ、わたくしも理解できないから」
そう答えつつ、この女、(せめてどちらかは殺しておきたいわね)と顎に手を添えるのだった。
現状、赤字になっていないのは老執事ジン・モリタの心血を注いだ結果である。
それが無ければ、とっくの昔に借金公爵の汚名が張られていただろう。
そもそも、利益は余剰ではないのだ。
災害に対する備蓄や次世代の投資など、活用しなければならない。
下らない見栄や道楽にすり減らす訳にはいかないのだ。
(お父様についてはお爺様に釘を差されたし、だとすると
エリージェ・ソードルにとっては、ミザラ・ソードルという存在は殺しても問題のない人間だった。
弟マヌエル・ソードルの面倒を侍女に丸投げし、夜な夜な所か、屋敷にほとんど帰らず遊び回っているような売女だ。
”前回”、エリージェ・ソードルがそんな義母を殺さなかったのは、その前に祖父マテウス・ルマが修道院に送ったからにすぎず、それがなければ高い確率でエリージェ・ソードルが殺していただろう。
売女、といえば……。
エリージェ・ソードルはふと思いつく。
聖女クリスティーナ・ルルシエの事だ。
この女、エリージェ・ソードルは現実主義者である。
正確には、自分の把握できる事でのみ物事を組み立てる。
故にこの女、過去に戻っているこの状況について――放置する。
自身の頭が凡庸だと知る故に、
だがその代わりに、徹底的に”改善”する。
だからこそというべきか。
父母とは違い、何の落ち度も無い少女に対して
(今殺しておけばいいのではないか?)
と普通に思った。
そうすれば、”前回”のようなことにはならない。
大事な、大事な、大事な、婚約者も幼なじみも弟も……。
”奪われる”ようなことにはならないのでは無いだろうか?
少し考えた後、エリージェ・ソードルは膝の上に置いていた右掌を上に向ける。
そして、未だ見慣れぬ小さくなった手に魔力を練った。
強く練った。
強く強く練った。
微かに黒い靄が浮き上がって、消えた。
「……」
「どうかなさいましたか?
お嬢様」
「……なんでもないわ」
エリージェ・ソードルは凡人である。
凡人であるが故に、魔力を練る鍛錬を改善し、改善し尽くして、その上に欠かさず鍛錬した。
その結果が、オールマ王国屈指の魔力量であり、この女の代名詞である”黒い霧”である。
故に、”前回”から時間が戻った”今回”この時点では魔力がほとんど無い。
有能な若者も屈強な王族護衛もはねのけた、あの恐るべき力は無いのだ。
当たり前である。
現在のこの女の体は、記憶はどうであれ、魔力の鍛錬どころか、基礎の基礎である体内への魔力循環すらしたことがないものなのだ。
それでもなお、微かとはいえ現象を起こしたのは、改善を重ねた恐るべき技術力ゆえだった。
とはいえだ。
恐るべき技術力も、燃料となる魔力がなければ意味がない。
現在のこの女はそれが乏しいのである。
(まあいいでしょう)
エリージェ・ソードルはある場所に寄るよう指示を出した。
――
「このような場所に何かあるんですか?」
執事ラース・ベンダーが訊ねてきた。
多くの下級貴族が住む地区の、中央からやや外れにある屋敷の前にエリージェ・ソードルが乗る馬車が止まっていた。
エリージェ・ソードルは護衛の騎士の手を借りて馬車から降りる。
どことなく寂れた屋敷を前にして、(こんなに小さくても屋敷と呼んでいいのかしら?)などとどうでも良いことを考えていた。
「お嬢様?」と執事ラース・ベンダーが困惑気味に訊ねてきた。
問いに対する返事がない事に――なのだろう。
ラース・ベンダーはまだ若い。
だから彼は分かっていないのだ。
エリージェ・ソードルは仕方がないかと、視線を向けた。
「ラース、わたくしが答えないということは、あなたが”知る”必要がないということよ。
よく覚えておきなさい」
エリージェ・ソードルは貴族である。
さらに言えば、公爵家、つまるところ貴族でも最高位の存在である。
本来であれば使用人程度の問いになど、答えないのが”当たり前”なのだ。
それを多くの場合、律儀に答えているエリージェ・ソードルという存在こそが、希有な貴族なのである。
ただ、経験が浅く、またエリージェ・ソードルという少女を見てきたラース・ベンダーにはその辺りが、知識として知っていても、理解が足りなかったのである。
「は、はい!
申し訳ありません!」
「いいのよ。
わたくしは基本的に、あなた達の問いには答えていきたいと思っているし」
エリージェ・ソードルという女は別に、使用人のために言っているわけではない。
何気ない問いの中に、思いがけない発見を見いだすことがある――そのことを、この女は知っているだけだ。
「ただ、
「畏まりました」
エリージェ・ソードルはラース・ベンダーが丁寧に頭を下げるのを一瞥すると、門の周りを少し歩き始めた。
そして”前回”、聖女クリスティーナ・ルルシエについて調べたことを思い出す。
聖女クリスティーナ・ルルシエ、生まれは不明、未婚である母親に連れられて、さまざまな場所に移り住みながら育つ。
クリスティーナが九つの時、母親が使用人として勤めたマガド男爵家で死亡した。
その後、貧民街の一つルルシエの孤児院に引き取られる事となる。
生まれが不明なのは、平民であり、母親が未婚だったからだ。
そのため、出産届すら出されていないのだ。
公爵家のエリージェ・ソードルとはまさに対極にある、といって良かった。
ただ、この女はその辺りには頓着しない。
蔑みも哀れみも、侮蔑も憐憫も、無い。
相手の生まれなどどうでも良い。
自分にとって利益になるか、障害になるのか――この女は、そこのみを見ている。
ある意味で言えば、平等なのである。
「それにしても、壁がボロボロね。
何故直さないのかしら」
エリージェ・ソードルの視線の先には大きく亀裂の入った壁が見える。
流石に大人では無理だが、子供の……現在のエリージェ・ソードルであれば、何とかすり抜けることが出来そうであった。
「これは酷い。
ただ、どうでしょう?
元々はそれなりに裕福だったんじゃないですか?
立地も悪くありませんし、この煉瓦の模様、数世代前に裕福な貴族らで流行ったものですし。
現在の当主が無能で、落ちぶれたって所では無いでしょうか?」
執事ラース・ベンダーが指さすのを見て、エリージェ・ソードルはなるほど、と思った。
壁に使われている赤茶けた煉瓦は、今はその多くが欠けたりしているが、作られた当初はずいぶん凝った物だったことが伺えた。
ただ、修繕をせずに置かれたそれは、精巧な
(この中に、”あの女”がいるわけね)
エリージェ・ソードルは少し考えた。
即断即決のこの女も、現在の無力な状況で、下位とはいえ貴族屋敷の中にいる聖女クリスティーナ・ルルシエを殺しに入ろうとは流石に思わなかった。
ここにやってきたのも、ついでだから居場所を少し眺めてみるか――程度のものだった。
(学園に入るまでには……。
まあ、五年もあるのだから、今は無理をする必要はないわね)
学園に入学する時点のこの女なら、一瞬で殺すことが出来る。
その自信はあった。
聖女クリスティーナ・ルルシエはその別称に相応しい魔力量と魔術的才能を持ち合わせていたが、あくまでも”癒し”に特化していた。
攻撃魔術も武器の心得も無い。
戦闘だけで言えば、ど素人なのだ。
”前回”はあくまでも、第一王子ルードリッヒ・ハイセルをはじめとする才有る若者やその護衛に邪魔されたからこそ、取り逃がしただけだと、この女は確信していたし、事実、そうだった。
(今は保留ということで)
そんなことを考えていると、突然、女の悲鳴が遠くから聞こえてきた。
?
どうやら、壁の向こうからのようだった。
「今、何か聞こえませんでしたか?」
隣にいる、執事ラース・ベンダーが訊ねてくるので、どうやら、聞き違いではないようだ。
「そうね――」と同意しようとした所で、先ほどの壁の隙間から、小さな手がにゅっと出てきた。
「お嬢様!」
と執事ラース・ベンダーが自分の体をエリージェ・ソードルの前に滑り込ませ、かばおうとする。
少し離れたところで見守っていた護衛たちも、そばに駆け寄ってきた。
エリージェ・ソードルはとっさに、”黒い霧”を出そうとして発現せず、苦笑した。
壁の隙間から、女の子の顔が出てきた。
汗か涙かのため、顔には煤がべったりと付いていた。
そんな女の子は、ラース・ベンダー達大人を見つけると、隙間から飛び出して膝を突き、懇願した。
「助けてください!
お母さんが、お母さんが旦那様に……乱暴に虐められてるんです!」
ラース・ベンダーをはじめとする男たちが息を吞むのを、表情一つ変えないエリージェ・ソードルは感じた。
内情を理解したからだろう。
目の前の少女は粗末な身なりから、使用人の娘だと理解できた。
そんな娘の母親が乱暴と来れば、実に”よくある”話であった。
お手つきである。
”お手つき”など軽く言うが、その多くが強姦である。
単に、それをしても実質”罪”ではないから、そのように軽い言葉で済ませてしまうのだ。
そして、被害者にとって何より残酷なのは、”罪”ではないので、誰も助けられない、ということだ。
そう、屋敷の中で行われているそれを、止める”名分”がないのだ。
だからこそ、善良とも言って良い男であるラース・ベンダーや護衛たちは動揺したのだ。
だが、一歩前に出る者がいた。
女騎士ジェシー・レーマーである。
まだ、少女と言ってもいい彼女は、その年相応の直情的な表情で、主であるエリージェ・ソードルに懇願する。
「お嬢様、わたしに行かせてください!
ご迷惑をおかけするようでしたら、クビにしてもらってもかまいません!」
エリージェ・ソードルは顎に手を当てて、少し考えた。
この女、エリージェ・ソードルは大貴族である。
貴族の中の貴族といっても過言ではない。
ゆえにこの女、平民の女がどうなろうが、さほど気にならない。
自身の使用人に対して丁寧に扱う事から勘違いされがちだが、それはあくまで、懐に入れた者達に対して、”そうあるべき”行動をとっているにすぎない。
そこに、優しさや愛情などは、一切無い。
ただただ、貴族としての矜持ゆえの行いであった。
有り体に言えば、平民など欠片も興味が無い、冷淡な女なのである。
だから、自領の者ですらない平民の子供など、本来であれば無視をする所であった。
「……」
ただ少し、以前を思い出してもいた。
それは、”前回”の事だ。
十六になったエリージェ・ソードルは、王宮で開かれたお茶会でマルガレータ王妃とこのような会話を交わしたのである。
『エリー、最近貴族の横暴が目に余るものになっているって聞いているかしら。
特に平民である使用人の女性に対しての扱いが最悪と言っていいわ』
『そうなのですか?』
『身勝手に子供を孕ませた上に、酷い時には母子ともに殴り殺すこともあるそうよ』
『使用人に対して……。
それは、貴族としての振るまいとは思えませんね』
エリージェ・ソードルは少し眉をひそめた。
それは被害を受けた女性を哀れんだと言うよりも、この女の”基準”から外れているという意味であり、マルガレータ王妃の思いとは微妙にズレている。
だが、二人ともそれに気づかない。
だから、マルガレータ王妃は我が意を得たように、大きく頷いた。
『そうなのよ、彼らは貴族だからと身勝手なことをしているけど、だから何だというの!?』
『罰を与えなくてはなりませんね』
『その通りよ、エリー。
罰を与えるべきなの』
マルガレータ王妃はエリージェ・ソードルの母親の妹に当たる人物で、この女が珍しく、敬愛する女性であった。
ゆえに、そんな彼女が”罰”を求めているのだ、エリージェ・ソードルとしては、”微力ながらも”などと思っても無理からぬ事だった。
エリージェ・ソードルは門の方を指さすと、女騎士ジェシー・レーマーを含む護衛たちに言った。
「あなた達、”やんちゃな”お嬢様がどうやら屋敷内に入ってしまったようだと言って、中に入れてもらいなさい。
公爵家の名前を出してもいいから」
「お嬢様!?」
そこまで言うと、止める声も聞かず、エリージェ・ソードルは壁の隙間から中に入っていった。
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