第10話 三日目 1/2
いつも間にか寝落ちしていた。
となりで寝ているのはもちろん日乃実ちゃん……ではなく、今は電車に居合わせた見知らぬ乗客。
今日は仕事の都合で調理実習に同伴できないので、僕は仕事用の肩掛けカバンを携えて一人、電車に揺られていた。
メモを取り出し、取材の流れと最寄り駅を確認する。
これから話を伺いに行くのは、『プロからプロへ。第9回は料理人→教師』という記事のタイトル通り、店も構えたプロの料理人からどういうわけか教師に転身したというその人のところだ。
「料理人で、教師ねぇ……」
何の因果か、僕と日乃実ちゃんにとってはかなりおあつらえ向きだった。持ち回りの企画で、今回その人の担当が偶々僕のところに回ってきたのだ。
「……………………教師、か」
養護教諭らしいその人には、僕が直接学校に赴いて取材をする手筈になっている。学校の最寄り駅はもう次だ、降りる準備をしとこう。時間は――。
腕時計に目を落とした僕は、つい思いを馳せた。
「――そろそろ実習が始まる時間だな」
もう片方の手であごひげをジリジリとこする。ジリジリしながら、調理場に立っている日乃実ちゃんを頭の中に描いていた。
やがて電車は時間通りの到着をした。寝ている間に若干ずり落ちたらしい眼鏡を直して立ち上がった。
――――――――
「実習に入る前に二つ、伝えておくことがあります」
私の前にゴツイ二本指が立てられた。がっしりした指は男らしいだけでなく、「THE・たくさん料理した人の指」みたいな貫禄がある。
「はい! とっきー先輩っ、お願いしまっす」
いいですか? と言われてつい脊髄反射的に敬礼しちゃった。ヤバい、悪目立ちしてないかな。してないよね?
「ふむ、よろしい。ではまず――――」
私は和ませるつもりでコミカルチックに敬礼したはず。なのに悪目立ちどころか、とっきー先輩は手元のレシピを見るばかりでツッコミもなし。
うーん、馴染めない。
いや、ミツコセンセのときぐらい馴染めとか言わないけど、せめて私の中の緊張が上手いことほぐれてくれるぐらいには、とは思う。
なんだか今日は、胸が張り詰まって肩にムダな力が入るカンジがする。昨日はどうやってやり過ごしたんだっけ?
ほんの少し頭を抱える間に、とっきー先輩は二本指を一本にして説明を始めた。
「一つ目に注意事項ですが、材料の切り方や調理方法は指定通りにすること。手順のみ自由で構いませんが、それ以外のアレンジはNGです」
「りょーかい。そこは昨日とおんなじだねっ」
「昨日ですか……そういえば」
なにか思い出したみたいにハゲた頭が持ち上がる。この頭ってセットして作れるものかな。わかんないや。
「昨日の実習、味付けは自分好みでいいと伝えられていたようですが、今回から計屋君は味付けも分量通りでお願いします」
「へ? どうして?」
「味を気にする以上に注意してほしい事項があるからです。それが二つ目」
指がまた二本に戻る。
「これはアドバイスですが……実際の調理現場をイメージして作業をしてください」
「ん~……ここも立派に調理現場だけど……?」
二本指は折られ、レシピを渡される。そろそろ説明終わりの気配がした。
「プロの現場を、ということです。お客がいて、たくさんのオーダーが舞い込む厨房で自分はどう動くべきか。そのイメージを常に持つと良いでしょう」
お店で働く自分をイメージ……ということだよね? つまりは……なんだろう、気持ちを作って調理に望めってこと?
ちょっと釈然としないけど、ひとまずザっとレシピを見る。チャーハンのみだった昨日とはうって変わって品目は二つだった。
バラエティに富んだ具材のポテトサラダと、トマトソースハンバーグの二品。ハンバーグはともかく、ポテトサラダは具が多い分工程が少し細かく指定されている。
つまり、この実習で試されてるのは……なんなんだろ?
とっきー先輩が言ってたことその一。作り方は指定通り、味付けアレンジはナシ。
その二。お客さんがいる現場をイメージ。
とすると、レシピ通りに作る=お客さんの要望通りに作ることと仮定できて、レシピ通りに仕上げることでお客さんの要望に応えろってこと?
ん? うん?
「うーん……ビミョーに違うような……」
なんだかしっくりこない。緊張で考えも凝り固まってるのかな? どーしよ……。
「さて、ここまでの流れに質問はありますか?」
というので、リフレッシュがてらコミュニケーションを試みる。
「とっきー先輩ってなんで調理場でサングラスかけるの?」
「質問はないようですね、始めてください」
ドボンだった。言葉と同時にとっきー先輩はなんとストップウォッチをスタートさせ、なんとこれ見よがしに調理台の片隅に置いてしまった。
(始まっちゃった……しかも時間まで計るなんて私聞いてないんだけどぉっ……!?)
だけど、始まったからにはやるしかないよね。お題はハンバーグとポテトサラダ。いつも通りにやるなら、まずは――――ポテトサラダ一択っ。
皮付きのジャガイモを鍋で茹でる。茹でている間にポテトサラダのニンジン、きゅうりとハム、それから玉ねぎを切って……あ、ハンバーグ用の玉ねぎも今切っちゃえ。鍋の様子はどうか、ジャガイモにフォークを刺してみる――ぷすっ、って手ごたえがした――よし、ちょうどいいっ。鍋からジャガイモを取り出す。
あちぃっ! あっつぅあつのジャガイモの皮を手早く剥く。そうして素っ裸になったジャガイモを今度は程よく木べらで潰していく。
ところでこの「程よく潰す」ってどれぐらいのこと? 大抵の場合、レシピっていうのはそこらへんをなんとなくでしか示してこない。
「大さじ一杯」とか「適量」とかもあるある。そんなとき、私はいつも頭の中に食べてくれるお母さんとお父さんの様子を思い描く。
(もうちょい細かめの方が喜んでくれるよね……シンタローなら)
ポテトサラダの好みについて。シンタローとお母さんはマヨたっぷりのねっとり派、逆にお父さんは食感残してほしい派。
じゃあ今回食べてくれるとっきー先輩はどうか? もちろん私はとっきー先輩の好みを知らないので、とりあえずポテトサラダはシンタロー基準で作ってみる。
見るからに理屈っぽいカンジだし、シンタローも似たようなとこがあるからきっと好き嫌いの傾向もおんなじっしょ。
潰しながら、私はちらとストップウォッチの方を見る。とっきー先輩が置いていった思わせぶりなアレは、調理場の隅っこにあるので経過時間までは見えなかった。
(これって、ひょっとしなくても急いで作る方がいいんだよね、きっと……)
「如何にも。早くせよ」
なんてしゃべりだしそうなストップウォッチにそそのかされて、私はジャガイモを潰す手をもっと早くしようかと思ったけど、やめた。あんまり潰し過ぎるとせっかくの食感が台無しになっちゃうもん。だよね、シンタロー。
ここでポテトサラダは一旦放置。熱々のジャガイモをある程度まで冷ます必要があるので。もちろん冷ます間にハンバーグの下準備を進めていく。
つなぎを作って、挽き肉をコネて。つなぎと玉ねぎを混ぜる。それらを無心でまたコネる。途中、視界の端にまたストップウォッチがチラついた。
ペースを崩されてはいけない。
いま、私の料理の基準はシンタローだ。
早かろうと遅かろうと、シンタローに作る料理みたいに、とっきー先輩にも「美味しい」って言ってもらえるモノを作る。そこに時間は関係ない。
本当だったら、とっきー先輩の好みを踏まえて作るのがベストなんだろうけど、わからないからとりあえずシンタロー基準。
まん丸に形を整えたお肉をフライパンで蒸し焼きにする。あとは適度にひっくり返すだけで数分後にはハンバーグになるから、焼き上がりを待つ間にポテトサラダの仕上げとトマトソースケチャップの煮込みを始めちゃえ。
これから作るトマトソースはもちろん、ポテトサラダにどれくらいマヨネーズを和えるかなど、味に直結する大事な部分だ。ゆっくり、丁寧に微調整していく。
(とっきー先輩、味付けは指定通りにって言ってたくせに、結局レシピには大さじ、とか適量、としか書いてないんだもんな……)
時間を気にして手早く済ませた割には、トマトソースとポテトサラダ、どちらも普段と遜色ない味付けになったはず。少なくとも、シンタローは美味しいって言うよね。
ソースの下味は完璧、煮込み開始。そしてお待ちかね、別の鍋で蒸し焼きにしていたハンバーグそのものの様子はどうかと、蓋を開ける。
蓋の内側にびっしり付いていた水滴はたがいに結び付きあって鍋の中へ滴り落ち、鮮烈な肉の味を孕んだ白い蒸気が匂いを伴って一気に立ち昇ってきた。
その匂いを嗅いだ瞬間、心の中のシンタローが「食べなくてもわかるぞ、うまい」なんて、いつぞやのセリフでご機嫌になる。
でも、ホントにおいしくなるのはここからだよ。トマトソースを煮込み中の鍋にハンバーグを移し、同時に熱する。
すると、両者が混ざり合った匂いが鼻孔を通り抜け、やがて口内を満たしていった。
私は確信した。これ以上ないくらい上手く出来た、って。
おっと、安心するのも程々にして、煮込みが終わる前にポテトサラダを盛りつけなきゃ。用意されていた大皿と小皿のうち、おそらく大皿はトマトソースハンバーグ用なので、私は形を整えたポテトサラダを小皿に盛った。
それからトマトソースハンバーグもほどなくして煮込み終わったので、盛り付けに入る。
持ち上げたハンバーグの重みがフライ返し越しに伝わってきた。手のひらサイズにしてはずっしりと重厚感のある手ごたえが、いかに旨味が凝縮されているかを物語っている。
さらにその旨味をトマトソースが上から覆い尽くす。肉々しいニオイに添えられた酸味はアクセントとなり、風味に奥行きを演出していた。
「うっし! 無事に調理かんりょーっ。とそうだ、ストップウォッチ止めなきゃだよね――」
「ふむ、終わりましたね」
「ぎにゃっ!? いつからそこに……」
ピッ――多分、計測終わりの合図。
背後をぬっと陣取るとっきー先輩の手には、さっきまで私が気にしていたストップウォッチが握られている。
「トマトソースを作り始めたときですかね、私が戻ったのは」
「ひゃー、気づかなかったぁ……声かけてくれたって良くないっ? ですかっ」
「調理中に私語などするつもりも、他人にさせるつもりもありません」
そういうとっきー先輩の言葉には厳しさだけでなく、さりげなく諭すような響きがあるな、と思った。まぁ相変わらず表情の半分はサングラスで隠れちゃってるから、本当はどんな気持ちかなんて想像でしかわからないけど。
「それに、自分たちは受け持った体験生が調理する様子をつぶさに観察しているものです。離れていようが、近かろうが」
「別に、私は気を抜いてたりとか、そういうのじゃないからねっ」
「無論です。では、早速ですが講評に入ります」
とっきー先輩は無言でストップウォッチを差し出してきた。私も何か言うでもなくそれを受け取る。
「まずは確認です。今回の実習で計屋君が意識したことは何ですか?」
「それはもちろん……食べてくれる人のことを考えて……です。今回ならとっきー先輩のことだよっ」
若干シンタローの好みを参考にしたけど、そこはまぁ、なんとなく気恥ずかしい気がするから伏せて伝えた。
「む。実習前、現場をイメージするようにと教えたはずですが」
「うんっ。プロになっても、私はお客さんの笑顔第一でやってくんだからっ」
「…………」
「そうだっ! 味付けと作り方を変えるなっていうルール、あったよね。あれだって要するに、お客さんが求める通りのモノに仕上げてねってことでしょっ!」
「…………」
食べてくれる人が見知らぬお客さんでも、とっきー先輩でも。私は食べてくれる人に寄り添った料理を作りたい。
普段、シンタローやお母さんたちに作ってるときみたいな気持ちを料理に込める。それが、どこの誰のための料理であろうと、必ず。
「どうも、かなり曲解して伝わったようですね」
「……へ?」
「この実習のポイントは、いま計屋君が手に持っているそれにあります」
とっきー先輩が厚い手のひらで示したのは、手渡されていたストップウォッチだった。
「現場は常に忙しないものです。数人程度の調理スタッフで、何十人もの食事を同時並行で作らねばなりません。分かりますか?」
「う……、ウンっ」
「ですので、計屋君がプロに近づくためにまず必要なのは迅速さです。タイムを見てください」
手元のストップウォッチに目を落とす。電子の文字盤には私の調理開始から終わりまでの時間がたしかに刻まれていた。
「時間は?」
「はいっ。二四分十秒でっす」
「ふむ。中学生にしては手慣れていますが、まだまだ遅いです。この二品目であれば十八分を目指してください」
私は頭を抱えたくなる。
日々の夕食のうち二品が三十分で出来上がれば、私としては手際よく出来た方だと思っていたので、18分と聞いては愕然とした。
「とっきー先輩って、大人しい顔してけっこう大胆なこと言うタイプ?」
「そんな自覚はありませんが、無茶を言っているつもりはありません。計屋君の場合、丁寧さは申し分ないので、そこに早さが加われば問題ないでしょう」
「ぬぅ……たしかにそうだけど、ここから六分縮めるのって、なかなかになかなかだと思うよっ?」
「プロへの道には相応のハードルがある、ということです。さて、……と」
とっきー先輩はこれで終了、とでも体現するみたいにサングラスを下ろした。そのまま調理服の腰当たりにつるを引掛ける。
昨日ぶりにようやく視線がぶつかる。一仕事終えたからかな、その両目は、出会ったときより幾分か険しさが取り除かれていた。
「明日もここへ来る予定ですか?」
「はいっ! 絶対来ますっ!」
「よろしい。では明日も今日と似たような品目を、時間は十八分で作ってもらいます。課題は同じく、現場で使い物になるレベルの手際の良さが問われています。忘れずに」
「わかりましたっ。明日もよろしくお願いしまっす!」
私が一礼するのを見てから、では、と調理実習室あとにしようとするとっきー先輩。
いや。
いやいやイヤイヤ?
ちょっと待ってよと。私は慌てて大きな背中に声をかける。
「とっきー先輩」
「む、まだ何か?」
「まだなにか? じゃないって。一番大事なこと忘れてない?」
トマトソースハンバーグとポテトサラダの皿を、召し上がれーっ、とばかりにとっきー先輩の眼前に差し出す。作ったからには、ちゃーんと食べてもらわなくっちゃ。
「なるほど、たしかに。そういうことでしたか……」
腰に引っ掛けたサングラスを、とっきー先輩は再び鼻筋に押し当てる。その挙動は、まるで私の料理と自分とをサングラスで遮り、隔てるかのように……私は一瞬だけ、そんなネガティブな予感に包まれる。
「味について、あえて自分からあれこれ言う必要もないでしょう」
「え……っと、どういう……」
「今は手際の迅速化に集中してもらうためにも、味の講評はしないでおきます。料理の完成度についてはミツコ先生も褒めていたようですし、実食は特に心配ないと言えます」
それっきりで、とっきー先輩は踵を返す。
今度こそ調理実習室を出て行ってしまった。
「つまり…………誰も、食べてくれないってこと……?」
とっきー先輩とは別に、食べる担当の先生がいるんじゃないかとさえ私は考えた。
だけど実習室を見渡しても、そんな先生はいなかった。他の体験生はみんな、私より早くに調理を終えていたようで、いずれも自分で作ったハンバーグをかじっていた。
なればこそ、他の先生を捕まえて来よう。食べてもらって、なんでもいいので感想や指摘をもらわねば。
「ボクぁすでに他の子の味見をしちゃっててね、それもかなりの数。同じ実習が午後にも入ってるから、その分お腹を空けとかなきゃならないんだ」
小太りでいかにも気の良さそうな、クマみたいな先生だった。
「あのっ一口だけでもダメ……ですかっ」
「すまんねぇ。もう行かんと。時間がない。自分で食べるにしても、急いだほうがいいかもねぇ」
そうして、調理室は数人の体験生が自分の料理を食べるのみになった。
「……いただきます」
ハンバーグをかじって、私もその一人になる。
肉塊から、すでに若干の熱が引いていた。
「…………」
肉の塊を無心で食んだ。
ハンバーグは好きだ。ポテトサラダだって、私は好きだ。うんっ、今日も今日とておいしく作れている。
でも、同じ料理を食べて、それらについて語り合える相手がいない。
「――――さびしい……」
辛うじて口をついたその一言は、味の感想ですらなかった。
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