玉座の輝き

 葵がリングを降り、兎萌から言いつけを破ったことのお叱りを受けていると、一際大きなどよめきが起こった。

 歓声ではない。そして、葵の『決め手』の話題でもない。

 それは観測者たちにとって、そいつが勝つことは当たり前で、ただ、その手法に感心している。そんな、諦めと嫉妬が入り混じったような、恍惚の声だ。


 振り返ると、隣のリングで舞流戦の試合が行われていた。



「始まったわね」

「ああ」



 開始早々ダウンを奪ったらしい舞流戦は、悠々と首を回してストレッチをしている。


 テンカウントギリギリで立ち上がった相手に、容赦なく前蹴りを刺し、耐えたところを内回しのつま先で視界を塞ぐ。次の瞬間、奴の肩甲骨がぼこっと回ったかと思うと、鞭のようにしなやかなフィジカルからの鮮やかなワン・ツーが決まり、相手は成す術なくリングに沈んだ。


 誰かが秒殺だと叫んだ。十秒経っていないと。


 葵は寒気がしていた。確かに自分はあの日、防具に身を守られた状態で、かつ、奴に舐められていた。しかも、行ったのは試合ではなく、あくまでスパーリング。


 【二殺拳】が本気を出すと、こうなのか?

 いいや、まだ本気さえ出していないのではないか?

 奥歯がかたかたと鳴り始めるのを、強く噛みしめて殺す。











 決勝は、別の階級のトーナメントを消化してから、決勝のみを連続して行われるらしい。

 それを聞いた葵は、外の空気を吸って来ると断って、会場を抜け出した。

 トイレの洗面所で顔を洗い、外に出て、空気を吸う。いくらかマシにはなったが、もよおした吐き気のようなわだかまりが、胃をかき乱していた。


 少し、歩いてみた。霞城公園には、資料の都合で復元天守すら残っていないが、一応、敷地を囲む石垣と城壁の名残は残っている。

 今は資料館となっている、治療が『済』んで『生』きると書く、なんだか厳かな名前の病院跡地の前を抜け、小さな博物館の前を通り抜ける。

 改めて、すごい場所だと感心した。北西の方には野球場が、北東には弓道場を構えて、かつ春には桜の名所ともなる。和洋折衷入り乱れた、欲張りセットにも程があろう。

 ここからも見える駅ビルは、ランドマークの霞城セントラル。あの上階から見た、城壁を包み紙とした桜のブーケは、どんな風に見えるだろうか。


 砂利道に踏み入ると、山形藩の初代藩主・最上義光公の騎馬像があった。



「かっけえなー……」



 騎馬像は男心によく響く。これと合体ロボットと変身ヒーローは、憧れだ。

 葵は弱気を祓うために、義光公に向かって願掛けをしてみようと手を合わせて、やっぱり止めた。勝てるか、じゃない。勝つと決めて来たんだ。

 神や仏や御霊に対して戦勝報告こそすれ、勝たせてくださいなんて、ダサすぎる。


 ポケットのスマホが着信を告げ、通知には兎萌からの『飯』という淡泊なレスが表示された。



「あまり遅くなると、兎萌にドヤされるな」



 そろそろ戻ろうかと、踵を返したところだった。

 砂利の向こう、東大手門の方から、啜り上げる声がした。

 風向きが変われば気付かなくなるようなそれを辿って、角を覗き込む。



「(…………あいつ)」



 葵は音を立てないようにして、来た道を引き返した。

 拳統王だった。歯茎までむき出しにして、眼鏡のレンズが汚れて見えなくなるのも厭わず、声を押し殺して号泣する、努力の天才がいた。

 通行人がぎょっとして彼の方を見ては、関わらないよう足早に過ぎていく。



「(俺は、あいつを倒した)」



 それは間違いなく誇るべきことだと、自分の胸に刻む。

 別に、倒した相手の想いまで背負う、なんて傲慢なことをほざく気はない。

 しかし。


 葵は足を止めて、今一度騎馬像を仰いだ。

 天下テッペンを獲ると決めたのだ。義光公ら戦国大名たちも、戦火の煙が残る死屍累々が怖ろしいからと、その歩みを止めることはないだろう。そんな話、聞いたことも無い。


 やはり願掛けは止めて正解だったと、葵は思った。いつの間にか、暗澹たる腹の淀みは消えていた。それどころか、調子づいて虫を飼い始めたくらいだ。我ながら困った腹である。


 地に足を付けて、踏みしめながら来た道を戻る。


 玄関から入って、階段を上ろうとしたところで、葵はすれ違った殺気に足を止めた。



「よお」



 振り返らず、声をかける。奴も足を止めているのは、気配で判る。

 葵は内心、浮かれてしまいそうだった。奴が――釈迦堂舞流戦が、俺に足を止めている。



「俺、拳統王に勝ったよ」

「ああ、見ていた」

「同じジムの仲間として、あいつに声をかけてやったりしねえのか?」



 問うと、舞流戦はわずかに鼻を鳴らした。



「あいつは敗けた。それだけだ。その理由も、次に繋ぐための道筋も、あいつ自身にしか見つけることはできん」

「へえ、意外だ。優等生な回答もできるんだな、あんた。もっとこう、『敗者は去れ』みたいなこと言う独裁者かと思ったよ」

「だとすれば、オレに負けた時点でそうしている」



 舞流戦は可笑しそうに言ってから、すぐに、声のトーンを低くした。



「あいつは真面目過ぎた。『完璧』を求めすぎた。戦いにおいてそんなものは存在しない。仮に己が一〇〇パーセントだったとしても、相手に一パーセントのブレがあれば。拳の起動が一ミリでもズレれば、それは計算ミスとなる」

「……だろうな。だからこそ、俺は勝てた」

「その通りだ。観衆の中には、現実を直視せず、貴様の勝利をまぐれと嘯く輩もいるが……少なくともオレは、貴様が勝つべくして勝ったと考えている」

「そりゃどうも」



 手放しには喜べないが、有り難く頂戴する。

 舞流戦は、一歩踏み出してから、思い出したように立ち止まった。



「だが……真に武の道を極め、かつての創始者たちと並び立つのは、拳統王のような探究者なのだろうな。オレような一介の戦闘者には、いささか眩しい」

「高校生最強サマにも、そんな感性があるんだな」

「当然だ。玉座の輝きを知らずして、正しく玉座には座れまい」



 葵は目を見開いた。


――私たちはテッペン目指すんだから、まずは南陽全体を空から見下ろそうってわけ。


 兎萌の言葉が脳裏に蘇る。


 どうしてこう、王者って人間は。ぶっ飛ばないといけない決まりでもあるのだろうか。



「川樋葵と言ったな。一つお前には感謝する」

「……感謝?」

「お前が勝ち残ってくれたおかげで、羽付兎萌はオレの女になる」

「させねえよ。死んでもな」



 吐き捨てて、葵は振り返らずに歩き出した。

 睨みつけるべきはここじゃねえ、リングの上だと、怒りのボルテージを溜めながら。

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