15.『贖罪の拳』
途端アゲットは、このボロい家屋が吹き飛びそうになるほどの脚力で俺に飛びかかってくる。
翼を広げ爪を伸ばした姿は、さながらアスモデウスの再来のようにも思えた。
「――ヒャハハハハ! どうだ、痛いだろう! 苦しいだろう! 俺の痛みはこんなもんじゃねぇぞ! ヒャハハ!」
岩をも容易く切り裂けそうな切れ味を持つ爪の乱舞が、俺の肉を襲った。
服はズタズタに破れ、勢いで俺は宙に浮いていた。
衝撃にボロ家の壁が耐えきれるはずもなく、俺は外に吹っ飛ばされる。
向かいの廃墟に突っ込み、音を立てて崩れる瓦礫の中に閉じ込められた。
「……あぁ、やりすぎちまったか。全く、人間というのは本当に脆い。この程度でバラバラになると、は……」
「……この程度か」
「――――ハッ。いいねぇ。お望み通り、何度でも殺してやるよ!」
瓦礫の中から現れた俺を見て、再びアゲットが空を駆ける。その速度に乗せた斬撃は、熟練された剣士から離れる剣戟を軽く凌駕する威力だった。
「死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね! お前如きが俺に歯向かうからこうなる! 肉塊すら残さずにこの世から消してやる――!」
そして再び俺は吹き飛ばされる。
先程よりも一枚多く壁を貫通して、またも崩れる家屋に飲み込まれた。
「……はぁ、はぁ。少し、はしゃいでしまったな。だがこれでヒスイも、俺の怒りを噛み締めて逝ったことだろう――」
「――この程度なのか」
この程度、なのか。
この程度の偽りの強さを手にするために、悪魔に魂を売ったのか。
だったらお前、いらんことをしたな。
この程度で俺を倒せると思ってるのがちゃんちゃらおかしいし、悪魔に売らずとも既にお前の魂は真っ黒に染まっていた。代償というのが何だかは知らんが、タダでそれを支払っただけだ。
「――ッ! なん、なんだお前! なぜ生きている!? 俺の爪は、たったひと振りでも人間を真っ二つにするんだぞ!?」
それは、たったひと振りで人間を真っ二つにしたことがないと出てこない台詞だ。
「本当に身も心も魔物になってしまったんだな。俺は冒険者だ。魔物は討伐しないといけない――だがな、俺は今から、魔物としてお前を倒すわけじゃない」
「――何を言っている! 俺は完璧な魔物だ! お前ら人間では届かない領域にいる! バエル様は俺をS級だと言ってくれたんだぞ! お前なんかに負けるはずがない!」
「だからさ、そんなの全部どうでもいいって言ってんだよ」
「――? どういう……」
言っている意味がわからないという顔だ。
実に不快で、実に腹立たしい。
俺にとって、魔物になってからのお前なんてどうでもいい。
俺か許せないのは、ただひとつだ。
「アリアはな、お前のことも慕っていたぞ」
「――何を馬鹿なことを。命が惜しくなったか?」
パーティリーダーとして、頼れる兄貴分であるアゲットのことをよく慕っていた。
アゲットのいないところでは、パーティのために怒ってくれる人でもあった。
アリアは、『暁の刃』とメンバーのことを何よりも好いてくれていたというのに。
そんな彼女が、よもや頼れるパーティリーダーであるアゲットの毒牙にかかることになるとは。
なんたる理不尽。なんたる無念だっただろうか。
俺は、アゲットを、許せない。
許す必要さえない。
「――――これは! お前の自分よがりな我執に殺されたアリアの無念! その贖罪の一撃だ! 受け取れ!」
「――――な、お前ッ――!」
俺の全身全霊の拳だ。
あの世で悔い改めろ、馬鹿野郎が。
「俺が負けるわけがない! この程度の拳なんて容易く受け止めてみせるわ!」
「できねぇよ、お前には! この拳に乗った想いを受け止めることなんて!」
「――ぐ、ぐぉぁああ――!!」
「――ら、ぁぁあああ――!!」
俺のスキルを奪った?
ちょっと……いやかなりショックだが、それはもういい。
勝手に鑑定したことだって、怒るようなことではない。
そういえばキラースライムの話がまだ出てなかったことも、まぁいいだろう。
追放されたことは――それもまぁ、どうでもいい。
お前の本性を知った今、抜け出せてよかったとも思える。
――ただアリアのことだけは、今世じゃ許せそうもない。
好きだったんだろ? だから俺に取られて、悔しかったんだろ?
そんな相手に、どうしてそんな仕打ちができる。
実際のところ、別に俺は取ってなんかなくて、アリアが気にかけてくれていたというだけなんだけど。
嫉妬心がお前を変えたのか、元々がそういう人間だったのか。それを考える価値もないほど、お前はクソ野郎だ。
そんな奴に受け止められるほど、この拳は軽くない。
「――――ァァァアアア! ぁ」
下半身だけになったそれが、力なく崩れる。
アゲットという男は、この日世界中のどこからも消えてなくなった。
「お前、精々C級がいいとこだよ」
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