第十四話【中村未来】
day.5/29[太平洋海底200メートル:火陰者拠点]
「さて、そんなわけだから相手の度肝を抜けるよう、空から侵入しよう」
「は?」
「大丈夫。着地が不安な組は佐藤が何とかしてくれるから」
「まあ、グローリーさんの頼みならしかたないですよ~」
火陰者たちによる学園襲撃の少しまえ。作戦通達のために作られた会議室での一幕。
「ああ、それと。廻川。警戒するべき言霊使いについて頼めるかな?」
「いいですよ」
会議の終盤。学園襲撃に際する作戦と保護目標の共有などを行っていた最中、最後に廻川へと話が回ってきた。
つい数か月前まで言ノ葉学園の生徒としてかの世界に馴染んでいた廻川千早。彼女こそが、言霊使いが多く在籍する日本の中でも上位に君臨する言霊使いたちのことを知っているだろうと、グローリーは彼女へとその話を振ったのだ。
「といっても、グローリーさんが相手をするってなると気をつけなきゃいけない人は限られてきます。先日の一件でグローリさんは更に強くなりましたからね」
「逆に聞くが、今のグローリーに勝てる奴なんているのか?」
「……三人。三人だけ、可能性がある言霊使いがいる」
「いるのかよ……」
彼らが知る限り、今現在のグローリーは災害に近い力を持った言霊使いであり、誰よりも強いと掛け値なしに言える存在である。
だからこそ、マウキャッドは三人もグローリーに対抗しうる存在がいることに驚いた。
「まず、元第一生徒会長、無限強化の言霊を持つ石津谷正一郎。現言ノ葉学園学園長、重川茂治……ただ、ここら辺は問題ないと思う」
「それはいったいどうして?」
「石津谷はグローリーさんと同タイプの言霊使いです。ただ、彼の場合はギアの掛かりが遅い上、グローリーさんに勝つほどとなれば相当のダメージを追う必要があります。そうなれば、グローリーさん方に分があります。そして、重川学園長に関してはそもそも動きません。ただ、旧校舎に居座るでしょう。間違いなく夕暮曙の確保の邪魔になりますが……」
「うん、そこは私に任せていいよ~」
「とまあ、佐藤さんが何とかしますので皆さんが気にする必要はありません。それに、戦ったところで学園長も含めて誰も勝てませんから」
「どういう意味だよ、それ」
「そのまんまです」
一息に学園にいるかもしれない要注意人物をあげ連ねていった廻川であったが、そこで言葉が止まる。三人といったのに名前が出たのはまだ二人。最後の一人が告げられぬまま、少しの時間をおいてから彼女は話し始めた。
「最後の一人は……正直なんて言ったらいいかわからないんですよ。あれはもっと、言霊使いとは別の生き物だと思った方がいい。だからこそあの人は、結果論なんて二つ名で呼ばれてるんだから」
その男の名は――
「中村未来。私が知る限り最も強く、最も異様な言霊使いです。常に微笑んでいるような顔をしているのですぐわかると思います。……できるのならば、彼との戦闘だけは極力避けてください。私が彼と仲が良かったからとかそういう話ではなく……多分、誰も勝てませんから」
・――・
「中村未来だね」
「あれ、僕のこと知ってるんだ。実は、しっかりとリサーチしてたりする?」
「日本の言霊使い事情に詳しいメンバーがいてね」
「……ああ、そうか。そういえば廻川君が火陰者側についたんだったっけ。まあ、彼女が選んだ道だから、僕は文句は言わないよ」
受け皿のように落ちくぼんだ過去を見下ろすことができる摺鉢山の頂上。その北側で二人の男が相対していた。
「それで、何しに来たのかな?」
一人はつい一か月前に世界規模のテロを引き起こした火陰者のリーダー、グローリー。学園生徒たちにとって多くのけが人を出した学園襲撃事件の首謀者であり、矢冨ジンを誘拐した張本人である。
「そう気構えなくても大丈夫。まあ、なんだ。知り合いから頼まれてさ」
そして、その対面に立つのは三十代後半と見受けられる優男。表情に浮かべられた柔和な笑みは見る者の敵意を弛緩させるが……真に敵対しようとしているものが見れば、まるで能面に張り付けられた紋様のような不気味さを持っていた。
互いが互いに敵意の欠片すら見られない風体で向かい合っている。例えるのならば、それは休日の、散歩中にふと出会った友人同士が会話をするような気軽さで――
「そう、頼まれたんだ。だから、僕は君を殺そうと思うことにした」
グローリーを前に中村未来はそう宣言した。
「例えばそう。【光りの速さで肉薄】したり」
それは出会いがしらに放される世間話のように続けられる。
「ッ!?」
「そして例えるなら。【岩さえも両断するような手刀】だったりして、君を殺そうと思う」
彼我の距離は十メートル以上も離れていた。そして、グローリー自体が高速移動を可能とする言霊使いであるがゆえに、相手方が如何様に高速で移動しようとしても反応できるはずだった。
だが、未来はグローリーの反射速度すら上回って肉薄し、彼の腹へと拳を差し込んだ。
水月を打たれた彼の体はクの字に曲がり、まるで首を垂れる様にしてその首をグローリーの眼下へと差し出してしまった。
そして振り上げられる未来の手。上空に浮かぶ太陽を背にして天高く空を突いたその手は、空気を引き裂いて振り下ろされる。
「くっ……【
が、間一髪。肺をぞうきんのようにねじり絞って空気を無理やり押し出されたような苦しみの中、かろうじて唱えられた【hero】の言霊。グローリーは【hero】によって受けられる身体強化の恩恵を、振り下ろされる手刀の一撃を回避することだけに費やした。
ズンッ!!
縦に割れる大地。地面に垂直に差し込まれた手刀から放たれたのは、人体すらも斬断せしめる言霊の一撃。もしあのままグローリーが水月を打たれた衝撃で蹲りえずいたままだったとすれば、かの手刀にそっ首をそのまま切り落とされていた未来もありえただろう。
「ああ、なるほど……こういうことか」
光りの速さで肉薄し、大地ごと自分の首を斬り落とそうとした未来を見て思い出す。彼の力量を例えようと頭をこねくり回していた廻川の姿を。
『結果論、なんて呼ばれてるくらいですから彼の強さは理屈じゃないんですよ。なんてたとえたらいいのですかね……ええっと、ああそうだ。ほら、私も含めた言霊使いって、自分の言霊という山札から引いた技というカードで戦ってるいますよね? 矢冨ジンが、自分の知っている範囲の言霊しか使えないように、どれだけ汎用的な言霊にも使える範囲には限りがあり、それを手札と見た時の多様性が戦いの趨勢を決める、なんてことも少なくはないはずです。だからこそ、誰しもが自分だけの手札を持ち、ここぞというときに一枚ずつ切っていく。相手の持つ手札を見極めながら、自分手札で丁寧に対処しつつ、時にはすべてを投げうってでもオールインして勝ち切る度胸を潜めて。それこそが、私たち言霊使いの戦い方です。ただ、彼は違う。彼は、何もないところから好きな手札を持ってこれる、文字通りの化け物なんですよ。法則性もへったくれもありはしない。だからこそ、彼は彼が目的とする結果にだけ辿りつくんです。それゆえの結果論。正直、私はあの人に勝てる言霊使いを想像できません』
説明しようのない強さを持った、できるのならば戦闘を避けるべき相手である。廻川ほどの実力者がそういうのだから、間違いないだろう。
「……ただ、ここを引くわけにはいかないからね」
「ええ、ええ。事情は存じておりますとも。そちら方にも引けない事情がある。だからこその凶行。だからこその蛮行。なればこそ、こちらとしても手加減する必要はない。でしょう?」
「……廻川。どうやら、この男は君が思っていた以上の怪物の様だよ……【hero】――」
火陰者として――神の復活を望むものとして、グローリーはその言霊を唱える。
言霊【
英雄の名を冠するその言霊は、他者からのイメージによってその力を増減させる無限リソースに連なる言霊である。
他者からのイメージ――それは、自分に向けられる感情であり、彼自身に向けられる感情が強ければ強いほどに、彼は向けられた感情をリソースに強くなる。
そして、先日行われた世界的テロ。多くの世界遺産、観光地などの有名施設を襲い、各国報道陣の前に火陰者ここにありと宣言せしめたのは、この言霊があってのこと。
それ故に、今のグローリーならば降り注ぐ隕石すらも片手で止めて見せるであろう力が集まっている。
恐怖、畏怖、興味、興奮、究明、憧れ。世界中の雑多な感情がただ一人の男のために集約され、消費された。
そうして生まれたのは、手のつけようのない怪物。
そして怪物は――
「……やあ、中村未来だよ。ええっと、なんだっけ。……ああ、早々火陰者。会議で言ってた金髪碧眼のあの人……そう! グローリー! その人を倒したんだ。殺してはない」
怪物は、更にその上を行く怪物の手によって地面に伏せることとなった。
「……随分な怪物だね、中村未来」
「うん。よく言われる」
野極了作を意識不明の重体へと追い込み、学園でも上位の実力者に上った矢冨が手も足も出なかった火陰者のリーダーたる男、グローリー。そんな彼が挑み、しかし敵わなかった。
だが――
「…ただ、君は遅れた。僕を倒すのが、遅れてしまったんだよ」
「……?」
地に伏せたまま、通信機に語り掛ける未来へとグローリーは語り掛ける。
しかし、その姿は動けないように金属製の何かで四肢を拘束され、そのうえで動けないようにと全身のいたるところを骨折させられている。見る限りグローリーは、身体強化型の外見系の言霊使いであり、基盤となる負傷を超えて言霊の力が行使できるとは到底思えない。
だが、彼は不敵な笑みを崩さなかった。
だからこそ、未来はその笑顔に疑問を感じ取り――
「時間だ。凱旋は始まる――【明けの明星】」
グローリーは、空へと向かって高らかにその言葉を唱えた。
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