第26話 大魔王ルシフェル
「うん、じゃぁ、これで処理しておいて」
「承知しました、ノエル様」
手渡された書類を受け取り、ニコラスは五番隊隊長エレナの執務室へと足早にむかった。
ヴェルメリオ国のアルブス本部にある総帥の執務室では、ノエルが午前の書類処理を終えたところだった。
いつもなら、ここでお茶を飲んで一息つくのだが、今日は少し落ち着かない様子だ。
「ノエル様! ルシフェル様が到着しました!」
ノックも忘れ、勢いよく扉を開けたのは二番隊隊長のアリシアだった。
二番隊からのノエルへの報告は、些細なこともすべて、もれなくアリシアが担当していた。もちろん、職権濫用だ。
「あぁ! やっと来たね」
待ちわびた客人の到着に、ノエルは満面の笑みになった。それを至近距離で見てしまったアリシアは、一瞬、心臓が止まりかける。
(ノエル様の満面の笑顔が!
「アリシア、君もついてきて」
「はいっ!」
アリシアは大好きな人の笑顔にホワホワしたまま、浮かれた足取りでノエルの後につづいた。
***
「なぁ、
「まだとってはならぬ、主人殿」
「だって息苦しくて暑い……」
「子供のような駄々をこねてもダメじゃ」
レオンとベルゼブブはアルブス本部の応接室で、幼稚な押し問答をくりかえしていた。
十五分ほど前に到着し、総帥からの案内を待っているところだった。
ようやくヴェルメリオとルージュ・デザライトの同盟を結ぶための準備がととのい、ベルゼブブとともに海を渡ってきたのだ。ノエルとシュナイクがレオンの城に訪れてから、四ヶ月が経っている。
季節は変わり、夏になっていた。太陽がギラギラと輝き外気温は三十度を超えている。
それなのにレオンは、黒い仮面をとることは許されなかった。
やばい、暑くて仮面のせいで蒸れてる!!
「ノエル殿の許可がなければ、ここでは仮面を取らないという約束なのだ。辛抱してくれぬか?」
「はぁぁぁぁ、早くノエル来ないかな……」
今日は調印式なので、レオンは大魔王ルシフェルらしい格好をしていた。
最高級のシルクのシャツに、スキニーパンツとショートブーツを合わせて、フェザー付きのマントを羽織っている。マントには温度調節機能もついているので、身体は快適だ。
そして頭には悪魔族の象徴の、ねじれた角をつけていた。角は取り外し可能だ。
言うまでもないが、すべて黒で統一されている。遠くから見たら、ただの黒い塊だが、大魔王らしい雰囲気は出せていた。
何度目かのため息を吐いた頃、ノックの音がなりレオンはホッとする。
「大魔王ルシフェル様、お待たせいたしました。アルブスの総帥、ノエル・ミラージュです」
他人行儀な挨拶をしながら、ノエルが部屋に入ってくる。続いて各隊長と副隊長が部屋に入ると、ノエルは防音と防視の結界を張った。
「これだから諜報活動できないんだよ……」
と、テオがブツブツ言っていたが、ノエルはサラッと無視している。
「よし、じゃぁ、それ取っていいよ」
「助かったー! もう限界だったんだよ!」
二人の気楽なやりとりに、四番隊隊長のテオと副隊長のレイシー以外は驚いたようすだ。
でも、仮面をとった大魔王の素顔を見て、驚くどころではなくなっていた。
「えええええ!! レオン!? レオンなの!?」
「何でお前が大魔王なんだよ!? 何やってんの!?」
これは、二番隊隊長アリシアと副隊長ヨークだ。ごく普通の反応だと思われる。
「ブハッ! レオンが大魔王とかウケるんだけど! 追放されたと思ったら大魔王とか!!」
「たしかに……驚きを通り越して笑えます」
三番隊隊長フィルレスはゲラゲラ笑い、副隊長ジュリアは一ミリも笑ってないが面白かったらしい。
「あー、通りでノエル様がご機嫌でお仕事なさっていたわけですね」
「おかげでサクサク片付いて、残業しなくてすみましたよね。定時上がりとか……天国でした」
五番隊隊長エレナと副隊長リサは、もはやレオンの話ではなくなっていた。
「………………マジか」
一言ですませたのは、新たに一番隊副隊長に任命された、ニコラスだった。
もともとノエルの指示で、シュナイクを監視していたと周知されたので、誰も異論はなかったらしい。実際にシュナイクがおかしくなっていた時は、相当周囲のフォローをしていたらしく、誰もが納得していたそうだ。
「それで、僕が大魔王ルシフェルの正体を明かした理由なんだけど」
ノエルの一言で静まり返る。
「今日の調印式で同盟を結ぶと、これから先は軍事的協力もあり得る。その際に大魔王の正体がレオンだと、他の者に知られたくないんだ」
「国王にも、大聖者にも……か?」
テオが尋ねる。レオンだと知られずに、同盟締結を維持したいとこの総帥は言っているのだ。国家反逆罪に問われかねないのではと逡巡する。
「そう、アイツらに知られたら面倒だし、レオンたちが平和的に対等な交渉をするのが難しくなる。盟約の内容も、もしバレたとしても、こちらが反逆罪にならないように調整してあるから問題ない」
「うわ、相変わらずエゲツないやり方してるよ」
フィルレスの意見に、その場にいた全員が同意した。そして、ノエルが味方でよかったと心底思った。
「ふふふ、何言ってるの? 万全の準備をしただけだよ?」
黒い。笑顔はキラキラしてるのに黒い。アリシアだけは「そんなブラックノエル様も素敵……!」とか喜んでいた。
「だから、これは総帥命令だ。大魔王ルシフェルがレオンであることは、トップシークレットとして扱ってくれ」
隊長たちは承服の礼をとり、「承知いたしました」と口をそろえる。
堅苦しい話が終わると、ノエルはレオンの頭についている角が気になっていたようで、「ねぇ、これ……」と興味深そうに触っていた。
「あ、これ取り外しできるんだ。ノエルも付けてみる?」
角を取り外して、半分ふざけてノエルの頭につけた。
「へぇ、そんなこと出来るんだ。魔力でできるなら、聖神力でも出来ないかな……?」
ノエルは何か思うところがあったようで、考え込んでたけど、俺、思ったんだ。
ノエルの方がよっぽど大魔王なんじゃないかって。
なんていうか、その角、似合いすぎてて違和感がない。
レオンと同じことをアリシア以外の全員が思っていたが、決して、決して口にはしなかった。
アリシアは悪魔族の角をつけたノエルの貴重な姿を、髪の毛一本にいたるまで、心に焼き付けていた。
***
同盟の調印式は、ヴェルメリオの中心地にあり国王の居城でもある、サフェード城で行うことになっていた。防衛の観点から、一度アルブスで出迎えて、馬車に乗って式場へと向かう流れになっている。空飛んだら一発でバレるからな。
約束の時間より少し早かったが、城門に到着すると跳ね橋は降ろされていた。国王直属の近衛隊の騎士たちが、ズラリと並んでいる。
え、これ、警戒されてんのか? いや、式典用のなんか豪華な服着てるから、歓迎されてんのか?
サフェード城の見事な庭園に感嘆していると、いつまにか正面入り口についていた。国王と大聖者は王座の間で待っているそうで、やたら豪華な城内を案内されていく。
王座の間に入ると、国王と側近たち、それから教会の大聖者たちが集まっていた。アルブスの隊長と副隊長たちも、空を飛んできたので先に到着していた。
静まりかえった空間には、俺たちの足音しか聞こえない。
当然だが、めちゃくちゃ注目を集めている。
「国王様、大聖者様、大魔王ルシフェル様をお連れいたしました」
「大魔王ルシフェル殿、よくぞ参られた。私が国王のマルセイ・フォン・ヴェルメリオだ」
「お初にお目にかかります。教会の大聖者、カーラ・エルサムです」
今まで縁のなかった雲の上の人達が、ご丁寧に挨拶してくれた。そわそわ落ち着かないのを悟られないように、鷹揚に挨拶を返す。
「歓迎していただき感謝する。ルージュ・デザライトの統治者、大魔王ルシフェルだ」
「特別な大天使様と同じ名前とは……大変な祝福ですな」
大聖者カーラがいらん事を言い始めた。頼むからそう言うネタ振らないでほしい。誤魔化すの苦手なんだよ。
ここで、ノエルがさり気なく助け舟を出してくれた。
「本当ですね、たまたま同じ名前なんて、運命としか言いようがありません。きっと大天使様のお導きでしょう。では大魔王様の気が変わらないうちに、始めてしまいましょう」
サラサラと淀みなく、天使の笑顔でグイグイ進めるノエルが本当に頼もしい。墓穴を掘りそうな俺は、必要最低限だけ喋ることにする。
「それでは、調印式を始めます」
「まずは、書面で契約内容をご確認いただきたい」
ノエルがそう言うと、先日同意した内容のものが配られた。内容に変わりないか、しっかりと確認する。ここ大事だからな。
「この内容で問題ない。悪魔族たちは、全て俺の配下にある。もし、暴れるものがいたら、俺が責任を持って対処しよう」
「大魔王ルシフェル殿、これからは共に歩み、互いに尊重し合う関係を期待している」
国王も異論はないようだ。大聖者もそれに続いた。
「今後の課題もありますが、私も悪魔族の偏見を無くすよう尽力致しましょう」
「ルージュ・デザライトが有事の際は、我が組織アルブスが駆けつけ力になりましょう。それでは、皆様、異論はないですね?」
全員がうなずき、それを確認したレオンが手続きを進める。
「ベルゼブブ、盟約の契約書を頼む」
「承知いたしました」
ベルゼブブは魔力を使って、今配られた書面と同じ内容の契約書をポンッと空中にだした。
「この契約書にサインすると魔力による拘束が発生する。万が一約束を
「勿論だ!
「構わない。大聖者として約束を違える気はない」
「大天使ミカエルに誓って、約束は守ります」
こうして、つつがなく同盟は結ばれ、両国は協力関係になった。しばらくは混乱するだろうし、今までの確執がすぐになくなるわけではない。
それでも、この世界に新しい風を吹き込んだことに違いはなかった。そして、大魔王ルシフェルが誕生したことで、変化の嵐が各国に吹き荒れることになる。
それはレオンの予想を遥かに超えてゆくものだった。
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