第22話 影に潜む者

 二度の爆発音によって、悪魔族たちは慌てて城から逃げ出していた。空いている出口から、次々と草原へと逃げてゆく。


 ベリアルは巨大な火球を作り上げて、手当たり次第放っては城が壊されていくのを、笑って眺めていた。


『あはは! 簡単に壊れちゃうんだから! もっと早くこうすればよかった! あはははは!』



「ベリアルさま! どうしたんですか!? やめて下さい!!」


「ねぇ、何があったの? あなたらしくないわよ」


 グレシルとアスモデウスがベリアルの足を止めるために、いち早く駆けつけた。ベリアルの瞳はくらく、明らかに様子が違う。


『うるさい! 邪魔なヤツは消えて!!』


 そしてなんの躊躇ちゅうちょもなく、炎龍を放ってきた。それも一匹だけでなく、三匹も同時にだ。

 炎龍は炎を操る攻撃の中でも最大火力のものだ。これ程の攻撃を出来るのは、おそらく魔力を使用するときの制限をかけていないのだろう。

 このまま魔力を使い切ってしまったら、ベリアルは灰になって消えてしまう。アスモデウスは、ギリッと奥歯をかみしめた。


 なんとか炎龍を躱して、レオン様に伝えないと! ベリアルが魔力を使い切って消えてしまう前に!!


「グレシル! レオン様にベリアルのリミッターが解除されてるって伝えて!!」


「っ!! わかりました!」


 グレシルは次の瞬間には、つむじ風を残していなくなっていた。

 レオン様が来るまでは、ベリアルを守り抜くわ! 私の魔力で抑え込めれば、時間稼ぎができる!!


「毒霧!!」




     ***




 急げ! 急げ! 急げ!!

 アスモデウスさまが時間を作っている間に、速く!!

 ベリアルさまが……ベリアルが消えちゃう前に!!


 グレシルは魔力を最大まで解放して、レオンの元へ向かった。タイミングよく、部屋から飛び立ったばかりのレオンとノエルが目に飛び込んでくる。


「レオンさまっ!!」


「グレシル! どうした?」


「ベリアルさまが、消えちゃう!!」


 焦りすぎて、言葉をうまく伝えられない。これじゃ、レオンさまにわかってもらえない! どうしよう!!


「グレシル、落ち着け。俺がいる。大丈夫だから、ゆっくり話せ」


 レオンに頭をポンポンと優しくなでられると、スーッと気持ちが落ちついた。一呼吸して、なるべく簡潔にわかりやすく伝える。


「ベリアルさまの様子がおかしくて、今アスモデウスさまが足止めしてます。でも、魔力の制限を解除して使ってるから、このままだと魔力を使い果たして灰になってしまいます。レオンさま、ベリアルさまを助けて!!」


「……そうか、わかった。なぁ、ノエル」


「うん、多分話してたヤツだね。やっぱり、ベリアルに移動したみたいだ」



 その時、レオンの気配が今まで感じたことのないものに変化した。紫の瞳はゆらゆらと光り、いつもの穏やかな笑顔はなく無表情だった。今逆らったら一瞬で殺される、そんな空気をまとっている。


 グレシルの本能が逃げろと警告していた。ガクガクと体が震え出して止まらない。



「レオン、グレシルが怯えてる」


 ノエルが助け舟を出してくれた。それでも何も答えず、レオンはなにか考え込んでいる。


「ノエル、ごめん。抑えるの無理。ベリアルのところに行くから、ベルゼブブたちと他のヤツらも一緒に城に避難して。それで結界張って」


「……仕方ないな。じゃぁ、明日も泊まらせてくれる? それでいいよ」


「うん、ありがとう」


 それだけ話して、漆黒の翼をはためかせてベリアルの元へと向かっていった。あの張り詰めた空気が薄れて、グレシルはどっと力が抜ける。ようやく息ができると思った。


「グレシルも手伝ってくれる? レオンが暴走する前に結界を張らないといけないから、時間がないんだ」


「もちろん、全力でお手伝いします!!」


 途中でベルゼブブと合流して、ルディたちの空間を操る魔力も活用した。

 ルディたち兄弟は空間をつなげて移動できるので、グレシルが場所を教えてルディたちが連れてくる。それをベルゼブブとノエルが城の部屋に振り分けるという連携プレーで、ものの十五分ほどで避難を終えた。

 多分、ここに来てから一番働いたと思う。


 そのあとは結界を張るのなら、城の中心が効率がいいとのことで、ノエルたちと一緒に、王の間の隣にある会議室に来ていた。


 天井まである大きなテラスドアを開けて、バルコニーから城門の様子をうかがう。祈るような気持ちで、大切な人たちの無事を願った。




     ***




 ベリアルの炎龍は、アスモデウスの魔力をガリガリと削り取っていた。一度は毒霧で押さえ込んだものの、数分しかもたなかった。


『さっきから邪魔ばっかりして……そろそろ消えてよ!』


「……毒蛇どくじゃ


 あんまり使いたくなかったけど……麻痺毒が効けば動きを止められるかも……これしか、もう手はないわ!


 アスモデウスの七匹の毒蛇は意志を持ったかのように、炎龍をすり抜けてゆく。炎龍の攻撃をかわしきれずに、火傷を負っていくが、気にしていられない。


 七匹の毒蛇がベリアルに届くと思ったその時だ。ベリアル自身から発火している炎の色が、赤から青に変わった。

 毒蛇は次々と蒸発したように消えていく。ここに来て、さらに魔力の使用量を増やしたのだ。


 ウソでしょう……? もう、時間が————





「アスモデウス、待たせたな」


 聞こえてきたのは、大切な人の声。安堵と同時に火傷の痛みが広がり、アスモデウスは苦痛でうまく話せなかった。

 ————レオン様! 間に合った……!!


「は……話は……?」


「聞いてる。ベルゼブブたちと一緒に、ノエルの結界に避難してくれ。後は俺がやるから」


 安堵は一瞬だった。いつもとまったく違う気配に、背筋がゾクリとふるえる。一ミリも逆らってはいけないと、本能で悟った。

 アスモデウスはコクリと頷き、コウモリのような翼を広げて飛び立った。




「アスモデウスさま——!!」


 グレシルが城のバルコニーから身を乗り出して、手を振っていた。そっと空いているテラスドアから部屋に入ると、城の中心にある会議室だった。こらえていた痛みに膝をついてしまう。

 そこには、ノエルとベルゼブブ、疲れ切ったルディたちもいた。


「アスモデウス、大丈夫か!? ほら、パワードリンクを飲むがよい」


 ベルゼブブの心配具合にふふっと笑いながら、パワードリンクを飲み干す。痛みが幾分和らいだ。今度はグレシルが涙目で寄り添ってくる。


「アスモデウスさま、痛そう……」


「大丈夫よ。それより、他の悪魔族たちは?」


「我らとノエルで、城の中に全員戻したから、もう安全じゃ」


 それを聞いたアスモデウスは、静かに意識を手放した。




 ノエルの六枚の純白の翼がバサリと開かれる。アスモデウスが入ってきたので、全員の避難が終わったことになる。テラスドアを閉めて、両掌を外にむけて聖神力を高めているのがわかった。


「これから、城全体に結界を張る。全力を出すから、何があっても安全な代わりに、外に出られない。いいね?」


「問題ない、全員に通達しておる」


「あんなにキレてるレオン初めてだから、ちょっと僕も本気出さないとヤバいんだよね」


 そう言うノエルの横顔に余裕はなかった。

 その時——空気が震えるほどの強い殺気を感じた。息をするのも忘れてしまう。



「やばっ……鉄壁の守護者フェルム・ガルディア



 ノエルの言葉と共に青白い閃光が、城全体を包んだ。ひとつひとつは氷の結晶をかたどっていて、とても美しい。大小様々な模様が包み込み、やがて消えていった。模様は消えたが、城全体が淡く青白く光っている。


「僕はここからしばらく動けない。何かあったら頼む」


 ノエルは両手をかざしたまま、なおも聖神力を込め続けている。万が一にも結界が破れないように。


「我らが、お主を害するとは思わんのか?」


 ベルゼブブは思わず問いかけた。別に本当に危害を加えるつもりはない。ただ、だ。

 キレ者だと噂で、ベルゼブブだとしても油断ならない相手なのだ。


「思わない。レオンが信じた者なら、僕も信じる」


 即答だった。真っ直ぐに前を向いたまま、断言したのだ。


(本当にこの兄弟は、なぜこうも簡単に悪魔族の懐にはいってくるのか……)


 ベルゼブブは「我に任せろ」と一言、ノエルに返したのだった。




     ***




 アスモデウスが飛び去った後、城の庭にはレオンとベリアルの二人だけになった。


『やっと来た……レオン様』


 青い炎と炎龍をまとったベリアルはクスクスと笑っている。あの夕日のように美しい瞳は、よどんだくらい色をしていた。



「ベリアル」



 レオンはよく通る声で名前を呼ぶ。

 そして、そっとベリアルに近づき抱きしめた。

 炎龍が二人を巻き込んで、焼き尽くそうとする。


『ねぇ、レオン様を誰にも渡したくないの。私のものにならないなら、一緒に燃え尽きて』


 ベリアルはレオンの背中に腕をまわす。

 レオンの服は所々溶け落ちて、その素肌をさらしていた。黒い翼も、艶のある黒い髪も、整った顔もベリアルの青い炎に包まれて、ジリジリとその灼熱に焼かれていく。

 ただ、アメジストのような瞳は輝きを失ってしなかった。



「いいよ。ベリアルがそう望むなら、一緒に灰になろう」



 ベリアルの耳元で優しく囁く。

 そしてそっとベリアルに口付けた。触れ合った唇から、ほんの少しだけ聖神力を流し込む。


 確信なんて何もない。でも取り憑いて身体の中にいるなら、そこに聖神力を通せば、なにかに作用するんじゃないかと思った。ダメならこのまま一緒に燃え尽きるだけだ。


 ベリアル……ベリアル! 自分を取り戻せ……!!


 

(あぁぁ……ぁ、レ……オン)



(私の、何よりも大切な、愛しい人……!!)



 見開いた瞳に、涙があふれてこぼれ落ちた。同時に炎がキレイに消え去る。ベリアルの瞳には、初めて会った時の輝きが戻っていた。

 レオンは唇を離して、ふわりと微笑む。


「レオ……さ……ま」


「やっと、いつものベリアルに戻ったな」


 ベリアルの瞳から涙がボロボロとあふれてくる。言葉にならない謝罪を繰り返していた。


「ごめ……さ……。ごっ……ん、なさ……! ごめん……な……さい!!」


「うん、大丈夫だよ。だから、そんなに泣くな」


 優しいレオンの声が、ベリアルの心に染み込んでいく。さっきまで感じていた不安や独占欲は、もう消えてなくなっていた。


「ベリアル、まだ終わってないんだ。早く休ませたいんだけど、もう少し付き合えるか?」


「うん、大丈夫」


「ちょっと本気出すけど、気を失うなよ?」


 そう言うと、空気が震えるほどの殺気を放った。腕の中のベリアルがビクッと震える。


 怖がらせて、ごめん。でも、もう抑えられないんだ。ベリアルにこんなことしたヤツを、絶対に許せない。



「そこに隠れてるヤツ、出てこい。ベリアルから今すぐ離れろ。わかるな? 



 その命令に悪魔族は、もう誰も逆らえない。

 大魔王として、悪魔族代表のベルゼブブと契約を交わしたからだ。


 レオンの冷たい瞳が、ベリアルから伸びる影を見つめていた。その影が、大きくなり形を変えてゆく。




 現れたのは、浅黒い肌に赤い髪の悪魔族だった。コウモリのような翼を広げて、ギラギラとした血のような瞳でレオンを睨みつけていた。



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