ゼロの軌跡(黒の系譜)

仲仁へび(旧:離久)

第1話 フラグ未立世界







 この物語に意味はない。


 この物語は始まりから終わりに至るまで、全てが無駄である。


 だから。


 つまり。


 ゆえに、この物語を読む価値は


 ――どこにも存在しないのだ。









 私の名前は  だ。

 私は、  という名前を気に入っている。


 どうしてかって?

 そんなのお母さんとお父さんが、一生懸命悩んで考えてくれたからに決まっている。


 私の日常は、ありふれたものだったけれど。


 家族三人で過ごせて、幸せだった。


 幸せ「だった」のだ。


 それなのに。


 私は唐突に、異世界に召喚されたのだった。


 どうして召喚されたのか分かるのかって?


 私の足元に、いかにもという感じの魔方陣があったからだよ。










 よくある物語のようにはいかない。


 親切な人がいきなりやってきて、手を差し伸べたりなんてしてくれない。


 そこに、私を助けてくれる都合の良い存在なんていなかった。


 起伏も何もない。


 問題の解決もされない。


 つまらない物語。


 でも、それは一般人だったら当然のこと。


 私は主人公ではないのだから、巻き込まれた人間の境遇なんてそんなもの。









 異世界をさまよっていた私は、名前を忘れてどれだけの時間を無為に過ごしていただろう。


 ある日、私は何かに取り込まれて、ずっと長い間そこにいた。


 まっくらな化け物の中に。


 でも、ある日助け出されたのだ。


「大丈夫ですか?」


 声をかけられて私は日の光を見た。


 助けの手を差し伸べた少女の顔をみる。


 月色の瞳をした彼女の名前は、スフレフィクション・アンサードール。


 愛称はスフレ。


「もう、大丈夫ですよ」


 彼女はそう言い切って、安心させるように微笑みかける。


 年上の、年長者の様な雰囲気をまとった、しっかり者の、真面目な少女だった。







 王都サイラス 拠点ハルジオン


 スフレと私はすぐに仲良くなった。


 彼女はしっかりもので、私の面倒をよく見てくれたから。


 よく一緒にいた影響だろう。


 この世界のいろいろな事を教えてもらった。


 生活に余裕が出てくると、元の世界に戻りたいと思う様になったけれど、私は頭がよくないからその目的を果たすにはかなり努力が必要そうだと直感した。


 でも、帰れなくなる、とは思わなかったのだ。その時は。


「シノンさん。シノンジェラート・アンサードールさん。お勉強の時間ですよっ! 起きてくださいっ!」

「むにぅ。やだぁ。もうちょっと、あと五分だけー」

「駄目です! そう言って、いっつも三十分は寝坊するんですからっ。私がわざわさこうして、起こしに来てあげたんですから、ほらっさっさと起きてくださいっ!!」


 朝の時間。布団で寝ていたら、ひっぺ替えされた。

 部屋に入って来たのはスフレ。


 シノンは私に与えられた名前だ。


 この世界での姓名に当たるアンサードールがスフレとお揃いなのは、彼女が私の身元をあずかっているから。


 世間には姉妹で、通っている。

 顔も瞳色も髪色も似ていないけれど。


「やだぁ。もうちょっと寝る」

「やだぁじゃないです。ほら、ほら、ほら! はい起きる!」


 大あくびをしながら叱られている間にも、スフレはちゃきちゃきと動いて私を着替えさせていた。


 面倒見がいいのは助かるけど、少し煩いのも考え物だ。


 朝から晩までずっとスフレは私についてるから。


 まるで監視されてるみたい、なんて冗談で言ったらすっごく怒ってたな。






 私は組織に所属している。

 その組織の名前は、ハルジオンという。

 何でも正義をするための組織なんだとか。


 この世界にはギルドというものがあって、何かをやりたい人はそこに所属するのがいいらしい。


 スフレから難しいことを教えられたけれど、理解できなかった。

 けれど、それでも関係ない。


 ハルジオンの人達が活動すると、みんなに感謝される。

 だからきっと悪い事をしているはずはないのだから。


 私はみんなのマネをしていけばいいだけ。


 活動内容は日によってまちまち。


 狂暴な動物の魔獣をやっつけたり。

 悪さをする人をこらしめたり。


 町の中で起こった事件を解決したり。

 道端で困ってる人を助けたり。


 その日によって違う事をやってたりする。


 やってる事に一貫性はないけれど、そのどれもに共通するのが誰かの為になっているという事。


 簡単に言うと、町のお助け屋みたいなものかもしれない。


 私の目下の所の目標は、お勉強して力をつけて、ハルジオンの皆の手助けができる様になる事だ。







 

 シノンジェラート・アンサードールの一日は、早朝の掃除からはじまる。

 ギルドという組織の建物を掃除して、その後は朝ごはん。

 次は、午前中にスフレにお勉強を見てもらって、午後は自由時間。


 色んな人に遊んでもらったり、皆が忙しい時は一人で遊んだりお昼寝をしたりする。


 退屈になる事はあまりなかった。


 新鮮な事は日々たくさんあって、どんな事も学べることが楽しかったから。


 自由に動けるだけでも、ただ楽しい。


 スフレに助けられる前は、生きているのか死んでいるのか分からない日々だったから。


 ばけものに吸収された私はまるで、石ころかなにかの物にでもなったみたいだった。


 もうあんな日々には戻りたくない。


 あの日々を思い出すと、肌が泡立つ。

 立っていられなくなる。

 息が苦しくなる。


 嫌だ。嫌だよ。戻りたくない。

 誰か助けて。


 考えがぐちゃぐちゃになる。


 だから、はやく皆のお荷物にならないようにしなくちゃ。


 だって、大好きなずっと皆と一緒にいたいから。


 たくさん頑張って頑張って、頑張ったらきっと大丈夫だよね?






「あら、シノンおはよう。寝癖がついているわよ。いらっしゃい。よいしょ。はい元通り」


 廊下を行った先。そこで出ったのはふんわりした雰囲気の女性。


 ハルジオンのリーダ―だ。名前はエリオ・モラトリアム。

 優しくておっとりとした「あらあら」が口調の女性だ。


「今日も一日がんばって、お勉強するのよ」

「うん」


 エリオが得意なのは料理と洗濯と掃除。


 ギルドのリーダーをするより、主婦をしている方がとてもしっくりくる。


 今だってエプロンつけて、布団叩きを持ちながら歩き回っていたし。


 エリオはどうして、ギルドにいるんだろう。


「今からお寝坊さんを起こしに行くんだけど、うるさかったらごめんなさいねー。ドンキーったら、本当にもう低血圧なんだから。毎回私に起こされて黒焦げになるのが嫌なら、ちょっとは工夫すればいいのにねぇ」

「えっ、うん。お手柔らかに」


 エリオはにこやかに笑いながら遠ざかっていく。


 心の中で寝坊癖の酷いギルドメンバーに合掌。


 エリオは見て分かる通り、ギルドのお母さん的な存在だ。


 頼もしくて優しくて、でもちょっと物騒で。


 けれど、ギルドにいてくれるといつでも安心できる存在。

 エリオはそんな人なのだ。








 ただし。


「ぎゃーっ! やめっ、起きますっ! ただいま起きますから。そこはらめぇ、人間はそんな角度じゃまがらな、ぎゃああああああ!」


 怒らせると怖いのも、普通のお母さんと同じところだ。




 


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