第39話 ここからは時間外です
秀志と春樹は朝食後に再び作業場に現れ、真紀の指導を受けて出荷調製作業の研修を始めた。
功は地元で「ニラそぐり」と呼ばれる出荷調製作業に飽きてしまうのではないかと危惧していたが、功の予想に反して熱心に作業に取り組んでいる。
しかし、二人ともほぼ初めての作業であり、功たちと比べるとそのスピードは遅い。
功は二人が処理するニラの量を自分たちの半分と想定してコンテナに刈り取っていたが、半分の量でも一日のうちに処理できるか危ういと思えた。
「葉っぱの先端が変色している株は、功ちゃんが防除をしくじって病気が出ているのだから先端部分をカットするの」
真紀が春樹に説明しているが、功は思わず独り言をつぶやく。
「そこで僕の名前を引き合いに出さなくてもいいのに」
真紀は功の独り言が聞こえたはずだがリアクションは示さず、春樹が彼女に尋ねる。
「病気が出た作物を出荷して、人間に感染することはないのですか」
真紀は温厚な笑顔で春樹に答える。
「植物と動物では代謝も違うから、両方に感染する病原菌はほぼないと言っていいと思うわ」
以前の真紀なら春樹の質問を笑い飛ばしてから勝ち誇ったような態度で説明したかもしれないが、最近の彼女は大人の対応が増えているような気がして功は密かに感心する。
「大体作業の要領はわかったと思います。後は練習してスピードアップすればいいのですね」
春樹は言葉通りにニラの外葉を除去したり、重さをはかる動作を早くしてスピードアップを図ろうとしている。
功は熱心な春樹の態度を意外に感じるが、彼は処理前のニラの置き方や、ニラを束ねるための輪ゴムの置き場所を工夫して着実にスピードアップを図っている。
「春樹さんの作業の仕方がなんだか慣れた人みたいに見えるけれど、ご実家で手伝ったことが有るのですか」
功が尋ねると、春樹はゆっくりと首を振る。
「うちの親父は僕を農業の跡取りにしようとして、東京にある農業関係の大学に行かせたのだけれど、僕は在学中に入った演劇サークルにすっかりはまってしまってね。結局大学は中退して演劇の道に進んだのだけれど、劇団員の報酬のみで食って行けるのはレアケースで、生活していくためにはアルバイトでお金を稼がなければならない。僕は一時期自動車会社の期間従業員として働いたこともあるので、流れ作業を効率化するノウハウは身についているんだよ」
功は年上で世慣れた雰囲気の春樹に気圧されてしまいそうだった。
その横で、秀志は黙々と作業に集中しているが、寡黙に頑張っている割にその動きは遅い。
春樹は、秀志の様子を横目で見ながら鷹揚な雰囲気で秀志に言った
「研修を終えたら、俺は親父の土地を借りてニラ栽培を始める予定だけれど、秀志君は俺の従業員にならないか?一人で始めると何もかもやらなければならないから、職員を雇用して働いてもらうのもいい方法だと思うんだよね」
秀志は出荷調製作業の手を止めないで春樹の言葉に答える。
「僕は雇われて働くのなら、功君と真紀さんに雇ってもらいます。功君は数少ない友人ですし、ここで研修することになったのも二人がきっかけですからね」
春樹は重量を図り終えたニラを輪ゴムで束ねながら秀志に言う。
「そうだった。君が宮口さんの友人で、彼が研修を始めたのを見て自分も農業の世界に飛び込んだことは聞いていたけれど、つい失念していたよ」
春樹は悪びれない雰囲気で束ねたニラを箱詰めしていく。
功は春樹が自分の大切な友人である秀志を見下してるような気がして微妙に面白くないが、表立って口に出すような話ではない。
やがて、朝の十時に功たちは休憩を取ることにした。
「休憩時間にしましょうか」
功が声を掛けると、春樹と秀志は作業の切りのいいところで手を止める。
「早朝から動いているから、一日分働いた気がしますね」
春樹は疲れた表情で立ち上がり、弟子も同じような表情だ。
「今は収穫遅れを取り戻すために僕も一緒に終日、出荷調製作業をしているけれど、作業に余裕がある時は昼食後に昼寝して睡眠不足を補うのです。少し寝ただけでかなり回復するんですよ」
功が説明すると、秀志たちは感心した表情を浮かべる。
功は作業場に隣接する休憩スペースに秀志たちを案内した。
「真紀ねえ。私が好きなロマンドを買って来てくれた?」
「はいはい、萌音は昔からこれが好きだったものね」
先に休憩室に行った、真紀と萌音の姉妹が、買い置きのお菓子を取り出しながらティーサーバーの冷たいお茶をコップに注ぐ。
「僕たちも頂いていいのですか?」
秀志が尋ねると、真紀が面白そうに答える。
「お菓子ぐらいで気兼ねしなくていいのよ。それに休憩の時のおやつ代はまかない費として経費で落とせるのよ」
秀志は安心した様に休憩室のテーブルに座り、春樹は功たちの顔を見回した。
「君たち東京とか東北地方から移住して来たんだろ?こんな四国の片隅みたいな地域によく来てくれたものだね」
春樹が誰にともなく言うのを聞いて、功は自分が就農に至ったいきさつを思い出して可笑しくなる。
「成り行きでそうなった気がしますね。こういうのを縁があったというのでしょうね」
「そうね」
真紀が相槌を打つのを見て、萌音や秀志も微笑を浮かべる。
春樹は演劇を志していただけあって整った顔に魅力のある笑顔を浮かべて冷たいお茶を口に運ぶと、功に話し始めた。
「僕は東京で所属していた劇団も潰れたので、お隣の件でうどん職人になろうと思って修行をしていたんだよ。しかし、親父が農業の後を継げとうるさいのでしぶしぶ戻って来た次第さ。これからはよろしく頼むね」
功はまほろば県のお隣の県が讃岐うどんの本場で、観光PRとして「うどん県」というキャッチフレーズを打ちだしているのを思い出した。
野口はドライブがてらにうどんの食べ歩きを楽しむらしく、一度自分たちも出掛けたいとおもっていたのだった。
「僕たちも本場のうどんを食べに行きたいと言っていたんですよ。でもなかなか時間がなくて行く機会がないのです」
功の言葉を聞いて、春樹は嬉しそうな表情を浮かべる。
「ふうん、それなら僕がうどんを打ってご馳走してあげるよ。休日に準備するからうちに食べに来て欲しいな」
「すごい、うどんを自分で作ることが出来るのですね」
萌音が尊敬の眼差しを向けるので春樹はまんざらでもなさそうだった。
休憩の後も研修は続き昼食をはさんで午後二時を迎えた。
「とりあえず、研修時間は終了です。夕方まで作業してくれるならアルバイト代も出しますけど」
功はとりあえず秀志と春樹に告げるが、アルバイトとして地域の最低時給を支払うと萌音に支払っている労賃よりもかなり高くついてしまうのは否めない。
「あ、僕は今日はこれで失礼します」
春樹はあっさりと答えると、真紀たちにも挨拶して作業場を後にする。
秀志は功に笑顔を向けた。
「僕は手伝っていきますよ。アルバイト代は出世払いでもいいですよ」
「いやそういう訳にもいかないよ」
功は秀志の気持ちが嬉しいが、支払うべきものはその場で済ませて行かないと後が大変だ。
秀志と春樹の分として刈り取ったニラはまだかなり残っており、秀志が処理しきれなければ、自分たちが夜なべで作業して翌日出荷分回さなければと功は考えるのだった。
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