第14話 農地を守る超高齢者
功は臼木農林業公社を目指して軽四輪トラックのハンドルを握っていた。
研修用ハウスで収穫した野菜をわだつみ町の農協の出荷場に持ち込んだ帰り道なのだ。
マニュアルトランスミッションの軽四輪トラックの運転も慣れてくれば難しくはない。
わだつみ町の真ん中を南北に縦断して流れるイザナミ川に沿って町内唯一の幹線道路の国道を走りながら功は周囲の景色を眺めた。
水量の多いイザナミ川の流れに山肌の緑が映える。
常緑樹が主体の周囲の山肌にはところどころ山桜が交じって花びらを散らしていた。
どこかの観光地をドライブしているような風情だ。
功が収穫した野菜の出荷調整作業場に戻ると、功が帰着に気付いた真紀が空のコンテナを下ろすのを手伝う。
功と一緒にコンテナを下ろしながら真紀が告げた。
「今日の午後は作業の委託が来たから一緒に、林さんの田んぼをトラクターで耕運しに行くわよ」
臼木農林業公社では農作業の受託を行っており、研修生も研修の一環として作業に従事することになっている。
仕事に慣れるまでの間は、功はオンザジョブトレーニングとして真紀と一緒に作業することになっている。
午後になり、功と真紀は四トントラックの荷台に三十二馬力のトラクターをつんで出かけることになった。
「この辺の道はたいして交通量ないからトラクターで走って行ってもいいんだけど、今日は功ちゃんのトレーニングも兼ねているからトラックに積み込むところからレクチャーするわ」
彼女は簡単に言うがトラックの荷台にトラクターを積むのは結構大変だった。まずは、アルミ製の渡し板をガレージから運んできて荷台にセットするのだがこれが結構重い
運んできた板ニ本をどうにかトラックの荷台にセットすると、待ちかまえていた真紀がゆっくりとトラクターを前進させる。
二メートル近い長さのアルミの渡し板なのだがトラックの荷台に登るにはかなりの急傾斜になってしまう。
見ている方がはらはらしそうな角度でトラックの荷台に上ったトラクターは、荷台の奥でピタリと止まった。
功がぼんやり見ていると荷台から飛び降りた彼女が言う。
「功ちゃん、ボーっとしてないで固定するのを手伝ってよ」
彼女はトラックの反対側からロープを投げる。
トラクターを運ぶ際には走行中に荷台の柵にぶつからないようにロープでしっかり固定しないといけないのだ。
功は荷台の側面に着いているフックにロープを引っかけて真紀に投げかえす。
ロープのやり取りを何度か繰り返して荷台の端まできたところで、彼女がロープをしっかりと結びつけて固定した。
「それ、なんていう結び方なの」
その結び方をすると、緊密に固定できるがほどくのは簡単だ。
「さあ、ひとがやってるところを見て憶えたから名前知らない」
功がせっかく訊いたのに真紀の答えはなんだか気合いが入らない。
トラックに乗り込んで今日の現場に向かうと、十分もかからずに林家に到着した。
林家は町道脇の小高い石垣の上に母屋と納屋がある作りで、出迎えてくれた林さんに二人が挨拶する。
「まあ、二人も来てくれたら何だか申し訳ないわねえ」
林さんはたしかな足取りで功と真紀を家の近くの圃場に案内する。
彼女は高齢者なのに背筋が伸びてかくしゃくとした動きだ
「あんたがダニ事件で有名な宮口君ね、よくこんな田舎に来てくれたわね」
功が「田役」の最中にダニに刺された件は集落全域に知れ渡っていた。
「縁があったんですよ。ここはいいところですね」
功は当り障りなく応じたが、林さんが聞き及んでいたのはダニ事件だけではなかった。
「聞いた話では、都会でお医者さんをしている彼女に婚約破棄をされて自暴自棄になっていたそうね。」
功の身の上話が歪曲されてさらに痛い話になっているが、功は否定することもできなくて黙っていた。
「あやしい企業で働いたり、引きこもりになったりで大変だったらしいけど、これからちゃんとやっていこうとする人には私達も協力するからね。頑張っていくのよ」
話の内容が全くでたらめなわけでなく、事実と少し似ているのがやっかいだ。
功が訂正するために口を開こうとしたら、真紀が功の耳元でささやいた。
「たいして変わらないから黙っていなさいよ」
功は九割方事実と違うと思ったが、結局口を挟む機会を逃がしてしまった。
「今日お願いするのは、道路沿いの一筆と、もう一段下の一筆であわせてニ反六畝なの。できたら家の上段の畑も耕運してほしいけどそのトラクターでは無理かしらね。下の方の残りの田んぼは戸別所得補償の保全管理水田にする分だから、また今度の時にお願いするわ」
功はほとんど意味がわからなかったが、真紀は作業委託の申込用紙にさらさらと言われた内容を記載していく。
「わかった。とりあえず道路際の二筆は耕運して、おうちの上の畑は後で見て見ようか。申込書はこんな感じで書いたから後でハンコを押してね。支払いは公社の事務所にお願いします」
彼女は依頼内容を完璧に理解して事務もこなしている。
功が自分も頑張らなければと気を引き締めていると真紀の指示が飛んできた。
「功ちゃんが道端の方やってみて」
「了解」
功はおもむろにトラックの荷台にブリッジをセットしてロープをほどきにかかった。
積み下ろしの手間を考えるとトラクターに乗ってきた方が早そうだった。
功が作業する水田は、町道からトラクターで降りていけるようにスロープが付けてあった。
功は水田にトラクターを乗り入れると、ローターをおろして耕運を始める。
出発前のミーティングで二回耕運と確認していたので、一気に最後までやってしまうつもりだ。
トラクターのパワーを上げて耕運を始めたら圃場の脇から声をかけても聞こえない場合が多い。
真紀が愛用のホイッスルを吹いたらどうにか聞こえるかもしれない。
一通りの作業が終わって、田んぼから農道に乗り上げた功はふうっと一息ついた。
ローターに雑草が絡んでいないか気になったのでエンジンを止めるるとシートから降りる。
耕耘する間続いていたエンジン音が消えると、功の耳に蛙の鳴き声が飛び込んできた。
山の中とはいえ、四国のこのあたりでは春の訪れは早い。
水田の畦には菜の花が咲いているが、実莢も付けて少しくたびれた雰囲気だ。
功が耕運した水田は、きれいにこなれた土が一面に広がっており、功は満足して自分の仕事ぶりを見渡した。
作業が終わったときに結果が見えるのが功のささやかなやりがいの一つなのだ。
功が道端に落ちていた木の枝でローターに絡んだ草を取っていると、ホイッスルの音が響いた。
顔を上げると、道路の上の家から林さんと真紀が手招きしている。
功はトラクターを置いて二人のいる場所まで歩いた。
「お疲れ様。ちょっと休憩しなさいよ」
林さんは、功の作業が一段落つくのを見計らって、飲み物とおやつを用意していたのだ。
功と真紀は、林家の縁側に座って休憩させてもらうことにした。
「今までは、まほろば市に住んでいる息子が週末に帰ってきて田んぼの仕事をこともしてくれていたんだけど、今年は腰を痛めて何にも出来なくなって困っていたのよ。こうやって作業にきてくれると助かるわ」
「彼は研修生に成り立てで、業務を憶えないといけないからどんどん仕事をください」
真紀はお茶とともに出されたお菓子を食べながら話す。
「林のおばあちゃん八十才で一人住まいでしょう、オクラの栽培とか手伝いが必要なら遠慮なく言ってくださいね」
林さんは笑顔でうなずくが、功は彼女が八十才と聞いて驚いていた。
お年寄りの見ためは人によって差があるもので、功は林さんが自分たちと一緒に背筋を伸ばして歩いている様子を見て七十才前後と思っていたのだ。
「息子が仕事を定年退職したら、こちらに戻って畑仕事をしてくれると思って頑張っていたんだけど、うちの子はヘタレで根性がないから駄目みたいね。今時はお米を作ってもお金にならないから無理は言えないし、あなた達がこの集落に居着いて農業してくれるならうちの土地を使ってもらおうかしら」
「林のおばあちゃんはまだまだ現役で行けるでしょう。一人でオクラを一反も収穫してるから若い人顔負けだってうちの事務局長も言ってたわよ」
「ありがとう。でも、もうそろそろ引退する時期ね。オクラは採っただけお金になるから、孫にお小遣いをあげられるとおもって続けていたけど、今年は息子が農作業できなくなったからうねを立てることが出来ないわ」
林さんの言葉を聞いた真紀は、功を見ながら言った。
「彼がうね立ての練習したいらしいんですよ。練習がてらボランティアとしてやってもらったらどうかしら。私も指導役として手伝います」
功はそんな話をした憶えはないが、とりあえずうなずいて見せた。
「まあ本当?。もしやってくれるなら、ボランティアと言ってもお礼はさせてもらうわ」
いつの間にか功がお手伝いをする話が成立しており、真紀は功を見てうなずき返す。
「先月は福島まで帰っていたんでしょ?。ご両親は元気だったの?」
林のおばあちゃんはお茶を飲みながら何気なく聞いた。
功はハッとして真紀の顔を見た。福島と言えば、東日本大震災やその後の原発事故で大変だった事が記憶に新しい。
功自身も都内で地震に遭遇し、公共交通機関がすべて止まった中、明け方近くまで歩いて自宅に帰ったのだ
「両親は今は郡山に住んでいて元気です。この間は家のある町に一時帰宅の許可が出たから家の様子を見に行っていたの」
「家は被害を受けたの?」
「家は地震でも倒れなかったし、津波の被害もなかったんだけど、家の中は、地震の時に倒れたりした物がそのまま。窓ガラスが割れたところから獣が入り込んだみたいでぐちゃぐちゃになっていたから、どうしても持って来たい物だけ回収してきたの」
林のおばあちゃんも、真紀の話が思ったよりも深刻だったのか黙ってしまう。
「両親は、避難指示が解除になったら家に戻りたいと思っているみたいだけど私はここで農業で生活できるようになったら、両親やおじいちゃんおばあちゃんを呼びたいと思っているの」
少し間を置いて林さんが口を開いた。
「テレビのニュースではよく見たけど、被災した人は今でも苦労をしているのね。真紀ちゃんが自分で農業を始める時に土地が見つからなかったら私のところに相談においで」
「ありがとう林さん」
そう答える真紀の顔に、林さんが目をとめた。
「真紀ちゃん、あなた鼻血が出てる」
「えっ?うそでしょ?」
真紀は鼻のあたりを押えてから手を見たが、彼女の手のひらは赤く染まっていた。
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