オタクが野菜に目覚めた場合ー2012年の冬、オタク青年は地方に移住を決意したー

楠木 斉雄

農業との出会い

第1話 プロローグ

「おい、功聞いてるのかよ」

 一樹の声に功は我に返った。

「ゆりかもめ」の窓の外にはテレビ局のビルが見えており、見慣れた造形がゆっくりと動いている。

 功はこれといって当てもない職探しの先行きのことをぼんやり考えていたのだ。

「そんなことだからおばさんがわざわざおれに電話をかけてきたりするんだよ。功が最近ぼーっとしていることが多いから、どこかに連れ出してやってくれってな」

 一樹は高校時代からの友人で大学を出てからも時々連絡を取り合っている。

「ごめん。それで、何だっけ」

「やっぱり聞いてなかったな。今日は気分転換に引っ張り出したんだから、会社が倒産だの、再就職先だのと辛気くさいことを考えるなって話だよ」

「おまえ、人の深刻な事情をさらっというなよ。しかも声がでかい」

 功にしてみればいまさら気にするような話でもないが、一樹のお節介な言動は、いやおうもなく半年ほど前のことを思い出させる。

 功は大学を卒業して、都内の印刷会社に就職して1年ほど勤務したところだった。

 営業部に配属されたものの、あまり外向的とは言えない性格が災いして成績はふるわない。

 それでも、得意先の情報をくれた先輩のおかげもあって、やっと、契約が取れ始めた頃だった。

 いつものように出社すると、会社の入り口にシャッターが降りていた。近づいてみるとシャッターには張り紙がしてある。

「債権者の皆様へ」と始まったその紙は、功の会社が不渡りを出して倒産したことを告知するものだった。

「冗談ではない」

 思わず声に出した功は、通用口に回ってドアを開けようとした。

 もちろんドアが開くはずはないのだが気が動転している功は、ドアノブをがちゃがちゃと回す。

「おい宮口、こっちに来い」

 入社以来、営業のノウハウや、取引先の癖を教えてくれてきた石倉さんが功を見つけて、裏通りから手招きした。

「石倉さん。いったいどうなってるんです。このこと知っていたんですか」

「いや、俺も今朝出勤してきて初めて知った。昨日は専務も常務もこんな話おくびにも出していなかったていうのにな」

 詳しい話を聞こうと思っていたときにポケットのスマホの呼び出し音が鳴った。

 カタログの印刷を発注してくれた功の顧客の番号だった。

 通話ボタンを押そうとした功を石倉さんが止めた。

「馬鹿、出るな。この状況で何を話すんだよ。顧客の番号は着信拒否にしといた方がましだ」

 そうはいっても、社会人として事情を説明したほうがいいのではと、功は未練がましくスマホの見ているが、石倉さん自分のスマホで誰かを呼び出そうとしている

「ダメだな部長にもつながらない。先週末までは経営が苦しいようなそぶりも見せていなかったのに。トップの連中が示し合わせていたんだな」

「何か連絡とか来ないんでしょうか」

 石倉は虚無的な視線を宙に投げた。

「計画倒産だとしたら、経営陣は50人ばかりの社員なんか見限って雲隠れだろうな。もともと新入社員の募集をかけるときに残業代込みで初任給を表示するような会社だ、推して知るべしだろ」

 功は事態がわかってきて固まっているが、石倉は功を置いて歩き去ろうとしている。

「石倉さんどこ行くんですかちょっと待ってください」

「その辺をうろうろしていて債権者に捕まったら面倒だよ。とりあえず帰った方がいい、何か情報があったら連絡してやるよ」

 石倉は先輩らしく希望を持たせる言葉を残して言い残し立ち去った。

 しかし、数日たっても石倉から連絡が来ることはなかった。

 無論、その月の給料はもらえずじまいで、後日、部長が連絡してきて未払いの給料の支払いを求めて訴訟を起こそうといってくれた。

 新たな会社を立ち上げるから一緒にやらないかと声をかけられたときには期待すらしたのだが、出資金を要求されるにいたって、功も完全にあきらめの境地に至った。

「いいかげんにしろよ」

 どすの利いた声と共に一樹の拳が、功のみぞおちに決まった。

 もちろん本気ではない。だが、回想にふけっていた功はむせかえる。

「幸運の神様は後頭部がはげてるから後を追っても捕まえられないって言うだろ。もっと前向きにならないと人生の黄昏を迎えたじじいみたいだぞ」

 よく分からない格言をたれて説教をする一樹は、ちゃんと話の相手をしないなら2発目もくれそうな様子だ。

功は涙目になりながら分かったからやめろと手を振ってみせる。

「うん。どうやら俺の知ってる功君が戻ってきたみたいだな」

 人のみぞおちに正拳突きを入れておいてひどい言いぐさである。

「私もよくよく運のない男だな」

 そううそぶいてやると、今度は一樹にわしわしと頭髪をつかんで頭を揺らされる。

 最近抜け毛が気になっていたから、あまり頭を触らないで欲しいものだと功は秘かに思う。

「功、再就職にこだわってないで、奈緒子ちゃんと仲直りしたらどうなんだ。彼女が腹を立てたのは別におまえが失職したからじゃないと思うんだけど」

 真顔に戻って、お説教を続けようとする一樹を功は手で制した。

「奈緒子は勤務先のドクターと婚約したらしいよ」

 一樹はあわてて何か言おうとしたが、功は続けた。

「俺の黒歴史をつまびやかにひもとくのはもうやめてくれ」

 功は窓の外を眺めた。遠くにゴールデンブリッジや東京湾が見える。

 その界隈で体験した奈緒子にまつわるささやかな思い出が脳裏に蘇り、功をさらに陰鬱な気分にした。

 会社倒産のどさくさにケンカ別れしてしまった奈緒子のことを思い出したからだ。

 功は大学で同じゼミだった奈緒子とつきあっていた。

 功は会社が倒産した週末に奈緒子とお出かけする予定がはいっていたので、気乗りがしないまま彼女と待ち合わせしたスタバまで出かけた。

 時間より少し遅れて来た奈緒子は、のどかな表情。

 そんな彼女に積極的に話したいネタではなかったが、勤務先倒産の話をしないわけにも行かず、功が会社倒産の一部始終を話すと奈緒子もさすがに驚いた様子だった。

「元々大した会社じゃないんだから、そんなに落ち込まなくてもいいでしょ。一樹君だって派遣会社勤務なんだし、何かてきとーな仕事探したら」

 彼女なりにフォローしてくれたのだが、ネガティブモードに入っていた功は素直にその言葉を受けられなかった。

「奈緒子はいいよな、医療事務の資格があって、親のコネで病院勤めができるから」

 奈緒子の父親は弁護士事務所をやっていて結構繁盛しているらしい。

 父親が仕事で関わりがあった総合病院に紹介してもらった話を聞いていたのでつい口に出てしまったのだ。

「何言ってるのよ全然関係ない話でしょ。それよりも、今度うちの両親にあってもらう日だけど、来週の日曜日でどうかしら」

 奈緒子はスマホの予定表を見ながら勝手に話を進めようとしている。

 新機種が出たときに一緒に買ったので功の持ってるスマホと同型だ。

「その話なんだけど、勤務先がつぶれちゃったからなんだか体裁が悪いので、もう少し先にしようよ」

 功がそう切り出すと、奈緒子は今度は険しい表情で画面から顔を上げた。

「どういうことよ」

「いや、ほら初対面で挨拶するときに会社がつぶれて失業中ですっていうのもなんだかさえないだろ。すぐに新しい仕事を探すからそれからにしてよ」

 奈緒子はムッとした表情で功に応じる。

「今までも、会社に入ったばかりだからとか、自分で営業の契約をとってからにしてくれとかさんざん引き延ばしてきたくせに。私の両親に会ってこれからも私とつきあっていくつもりがないんでしょ」 

「そんなことはないよ、すぐに仕事を探すからそれまでの間・・」

「もうたくさん、そんなにいやなら、私と別れたらいいでしょ」

 優柔不断も過ぎると人を怒らせてしまう。功があたふたしている間に、奈緒子はバッグをつかむと出ていってしまった。

 功のまぬけなところは、すぐに追いかけて謝らなかったことだ。

 意固地になって就職活動をしているうちにあっという間に一ヶ月が過ぎたが、そう簡単に仕事が見つかるわけもなかった。

 さすがに、何かフォローをしなければとおもって奈緒子に近況を伝えるメールを送ってみたが、戻ってきたのは「どちら様ですか。」で始まるメールだった。

 その続きの文面は簡潔だった。もう連絡は取ってくるな。会うつもりもないと事務的に伝える内容だ。

 勤務先のドクターとつきあっている話を大学時代の友達に聞いたのはその少し後のこと。

 それ以後の功は、惰性のようにハローワークで仕事を探して午前中を過ごし、午後からは日銭を稼ぐためにコンビニのバイトをする日々を送っていた。

 何か違うのではないかなと思わないのでもなかったが、他にすることも思いつかない。

 そして、功の脳裏にはいつも、あの日の会社の入り口に降りたシャッターの映像が思い浮かぶようになった。

 それは、功のこれからの人生もシャットアウトするかのように立ちふさがっているのだ。

 功はさいたま市にある実家から会社に通勤していた。

 両親は健在で父親は中堅家電メーカーを定年退職したばかりだ。

 失業手当もあるし実家にパラサイトしてアルバイトでもしていれば当座生活に困る訳ではない。

 しかし、先の見通しが立たない生活は功の気分を蝕んでいた。

 そう遠くない将来に両親が先だった家の中で誰にも知られないまま孤独死する自分の姿が見えるような気がする。

 今日という日の功の気分はそんなところだ。

 功は、孤独死した自分を、最初に発見してくれるのはこいつだろうかと思って一樹を振り返った。

 一樹は「やっちまったよ。」と顔に書いてあるような表情で功を見つめていた。

 気を遣ってくれる数少ない友を困らせるのもあまりよろしくないので、功はにっこりと笑ってて一樹に告げた。

「そろそろ着くよ。コミケ見たらダイバーシティに行ってガンダムも見ようか」

 そして、功は一樹の頭にそっと手を置いた。

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