星空の魔法ー④
「さ、カリュちゃん早く早く!」
ランタンとすり鉢を抱え、軽快に石段を駆け上がるソルエ。その姿を見上げる私はきっと怪訝な顔をしていることだろう。突然なことで、色々と理解が追いついていないのだ。
「ほら! 早く!」
「分かりました……分かりましたから……」
スーツケースを連れて、私もリビングへと繋がる階段を昇っていく。その中でもソルエの言葉がぐるぐると私の頭の中で回っていた。
「『魔法をかける方法が分かった』なんて本当なのかな……」
あの言葉の後、ソルエは大慌てで魔法の準備を始めた。それはもう、うっきうきで。挙げ句の果てに「広いところでやろう」なんて言い出した訳で……私は終始あっけらかん状態だったのだが。
とは言っても、ソルエは(案外)思慮深い人物だ。根拠も無しに言っている訳じゃないだろう。自信めいた彼女の様子から
「まぁ、聞かせてもらおうかな……」
なんて妙に上から目線で私はリビングへ向かった───床下から出てくると、昼なのにすっかりと光量が落ちていた。どうやらカーテンが引かれているらしく、隙間から光が漏れているのが見えた。
「足元に気をつけてね? 初めに座っていた椅子は分かる? もっかいそこに座って欲しいな」
ソルエの声に導かれ、私は地下室に行く以前の記憶を頼りに椅子へと腰掛けた。間も無くして準備を終えたらしいソルエが私の真向かいの椅子へ座る音が聞こえる。
「さて……」
「ぬわ!?」
いきなり叫んだ私に、ソルエは目を白黒にする。
「え、どうしたの?」
「いやだって急にソルエさんの生首が……」
「生首!? ……あーランタンの灯りを点けたからか」
橙に揺らめくソルエの顔はいかにもなホラーで、今日見る夢にでも出てきそうだ。
「……なんでこんな暗くしたんですか?」
「だって、『星空の魔法』を唱えるなら部屋が暗い方が映えるからさ」
さも当然のように言うソルエ。もう自分の中で答えを見つけてしまっているかのような。一方で私は皆目見当がついていない状況で…………。
ごほん、と私は咳を1つ。軽く深呼吸をして口を開ける。
「あの、結局のところ“魔法をかける”って何なのですか?」
意を決して…って程ではないがそこそこの緊張感を持って私が尋ねると、ソルエはふっと口元に笑みを浮かべた。
「あたしはその答えをカリュちゃんから貰ったよ」
「……私?」
「うん。ありがとね」
「え……あ、んー?」
いわれのない感謝の言葉は宙を漂うだけで、私の中に溶け込むことはない。フクロウのように首を傾げることしか出来なかった。
「実際に答え合わせしてみよっか」
「答え合わせって……あ」
萎んでいく橙の灯り。部屋の中はすぐに闇に包まれてしまう。相変わらず置いてけぼりな私は、ぽかーんとその様子を眺めることしか出来ない。
間もなくして、ギーと椅子を引く音が響く。目を凝らした先にいるソルエは立ち上がっていた。その手には……例の粉が入った小鉢。
「じゃ、やろっか。答え合わせ」
幾分かトーンを抑えたソルエの声。答え合わせというのは、要は魔法を起こすってことらしい。
ゴクリ、と私は息を呑む。自然と身体に力が入った。
「いくよ」
薄ぼらけな部屋の中、ソルエがその右手を自身の口元に添える
「カノコユリ 彩りの夜空 魅せ給え」
瞬間。
「粉が……」
ソルエが手に持つ粉が僅かに光った。物理的に、現実的に考えて、あの粉自体に光を放つ性質なんてない。灰と、植物と、砂を混ぜたものに過ぎないのだから。だとすれば、この光は……
「どうか魅せて……星を……あの光を……」
呟かれるソルエの言葉。それはきっと、焦がれ続けた彼女の望み。それに呼応したかのように……。
ふっ、と息が吹かれる。そして───魔法がかけられる。
「あ…………」
私は天井を見上げ、その目を見開いた。
頭上に拡がるのは、色とりどりの星々。赤と青と緑、薄い橙と紫、真っ白に大きなもの、点滅を繰り返す黄。無数の星々が纏い、離れることなく、空間を包み込む…………
なんて温かな光なのだろう、と私は思った。何というか……私はその光に……人肌の温もりを感じたのだ。比喩ではない。身体が
「どう?」
星々の光の中にくっきりとした輪郭のソルエが立っていた。その顔に微笑みを浮かべ、両手を大きく拡げ、立つ彼女は言う。
「カリュちゃん、この星の輝きは……意志の光なんだ。人の意志が形作ったものなんだ。それが、魔法。意志を込める…それこそが魔法をかけることなんだ」
意志が……魔法を…………。
私の中にフラッシュバックする言葉。私自身が言った言葉。
『私は、えっと……他のモノとは同じように扱えなくて。スーちゃんは……私が転びそうになったら支えてくれるし、落ち込んでいる時は寄り添ってくれます。私は、だから、えっと……意志? そう、意志を感じるんです』
そっと目を閉じてまた開く。作られた星々の、その温もりをひたすらに感じながら、ただ私は一言。
「ソルエさんはとても優しいですね」
─────────
「うっひゃーやっちゃったなー……」
数分程度で消えてしまった星々。しみじみとした気持ちの中、閉じたカーテンを全て開けるとそこに待っていたのは世知辛い現実だった。……いや、世知辛くはないんだけど。
テーブルを中心に散乱する灰色の粉。床や椅子はもちろん、私とソルエにすら積もっているのだから被害は大きい。
「ゴホッ、ゴホッ!」
「あまり呼吸はしない方がいいかと……吸い込んじゃうので」
「手遅れだよもホッ!!」
語尾が雑な、安っぽいキャラクターになってしまったソルエ。何事にも代償は付きものだということを私は学んだ。
「とりあえず掃除しましょう。ほうきってありますか?」
「手伝ってくれる? ありがとねホッ! ゴホッ! た、タオルと……いっひょにホッゴホッ! ゴホッってゴホッ」
「私が用意しますから、ソルエさんはうがいでもしてきて下さ……けホッ」
口の中に残る異物感…というより異物を洗い出したい衝動に駆られながら、掃除を始める。タオルを口に巻いてからは咳も治まっていった。
5分程度で部屋は元通りになり、ようやっとして私たちはマトモに呼吸が出来るようになった。
「まさかあんなに粉が拡がるとは思わなかったよ」
「よくよく考えれば、あの星は灰から出来ているのですから、私たちはモロに被ってますよね……」
うえー、と舌を出す。まだ粉が残っているような感覚。
「でも、良いものが観られたでしょ?」
「それは……まぁ」
ニッとソルエが笑う。
「あの時と似た光だったよ。星々に包まれて……心が落ち着くような感覚。でも、決して同じなんかじゃない」
「あの星はソルエさんの意志を反映させたものですよね?」
「そうみたい。……自分の気持ちに触れるってむず痒いものなんだね。ちょっと照れくさいや」
「私は……優しさを感じましたよ」
「……ありがとね」
言ってから、自身の体がポーっと熱くなる感覚に襲われた。何気に恥ずかしい気持ちを吐いたな、なんて。
「? どしたの?」
「あぁ、いや……えっと、ソルエさんよく分かりましたね。意志を込めることが魔法に必要って」
誤魔化しが強い私の言葉に、ソルエは「あぁ」と苦笑いを浮かべた。
「ずっとあたし、魔法を実現するために粉の方を研究していたでしょ? ……実を言うとさ、そんなことに意味は無いのだろうって薄々思っていたんだよね」
「……え?」
「考えてみてよ? 植物の種と葉っぱと砂、それに遺灰を混ぜたら魔法が発生するって……ちょっとムリがない?」
それは、5年間研究を続けてきたソルエ自身の積み重ねをバッサリと否定する言葉だった。……私は何も言うことが出来ない。
「でもね、研究を止めることはできなかったんだ。 ……他に手掛かりなんてなかったからね。あたしはずっと見ないフリをしていた」
「……」
「あぁ、そんな顔しないでよカリュちゃん。あたし自身はそこまで気にしていないから」
そう言うとソルエは手の甲に粉を乗せた。
「……これはあくまでも仮説なんだけどさ。この粉は“導体”としての役割があるんだ。灰や植物といった材料を混ぜ込んだのは、魔法を通しやすくするためじゃないのかなって。だから粉の研究を続けたのは無価値なんかじゃない」
「でも、そんなの確証が……」
「それはさ、調べるから」
ソルエはピースサインをして見せた。 ……ほんと前向きな人だ。
「でさ、じゃあ“魔法をかける”ってどうすれば達成できるんだろって疑いはあったからさ……えっと、だからモノに固執はしていなかったから気づけたのかなって思うんだ」
「私と……スーちゃんを見て?」
「うん。カリュちゃんが『意志がある』って言ったのを聞いて、実際にそうなんだって思ったんだ。“魔法をかける”ってそういうことじゃないのかって。……直感だけど」
「でも、合ってました」
「うん、合ってた……ありがとう」
お礼を言ったソルエ。彼女は立ち上がると私の目の前までやってきた。……と思ったらそのまま通り過ぎていく。
「カリュちゃん」
「え……?」
突然後ろから覆いかぶさってきた彼女に対して、私は身動きが取れなかった。
「な、何ですか?」
「意味はないよ。こうしたかっただけ」
「そう、ですか」
跳ね除ける理由はなかったため、私は為されるがままに抱きしめられた。
「……いい匂いする」
「離れてください」
「ごめんごめんって」
やー! と振り払おうとするが存外ソルエの力は強い。どうやら私は完全に拘束されているようだった。 ……あぁ、もういいや。
ごほん、と私は咳を1つ。
「……ソルエさんはこれからどうするんですか? 研究のこととか」
「取り敢えず、もうちょっと詰めてみるよ。もう少し魔法を練習したり、粉の分量を変えてみたりしてさ。それで、もっと上手く扱えるようになったら、まずはこの街の人たちに見せてみる」
「きっと皆さん喜びますよ」
「当然だね。魅せてやるんだ、あたし」
自信に満ちたソルエの言葉。彼女が『星空の魔法』を求め続けた理由……それは魔法使いになることだった。心を閉ざしてしまった誰かを救ってあげる……そんな魔法使いに。
「……きっとなれますよ、ソルエさんなら」
「……? “なる”?」
「いえ、別に」
「……まぁ、いっか。ところで、カリュちゃんはこれからどうするの?」
「私は……旅をする身なので。のらりくらりと歩き回ります。スーちゃんと一緒に」
横目で見ると、コロコロとスーツケースが私たちの前に近づいてきた。
「良い子だ」
「えぇ、良い子です」
私はスーツケースに手を伸ばし、その表面を撫で付ける。その横にはソルエの手もあった。
「……このスーツケースにも魔法がかかっているなら、きっと意志が込められているはず」
「理論上はそうなりますね」
「うん。それできっと、その意志は……カリュちゃんの為の意志」
「……私の?」
振り返った先にあったソルエの顔。彼女はコクリと頷いた。
「カリュちゃん自分で言ってたでしょ? そのスーツケースは転びそうになったら支えてくれるし、落ち込んでいたら寄り添ってくれるって。だったらさ、きっとカリュちゃんのことを思ってくれている人が魔法をかけたんだよ。……少なくとも、あたしはそうであって欲しい」
「……」
「カリュちゃん?」
「あぁ、すみません……えっと、何というか実感が湧かなくて」
「……いつか分かる日が来ると良いね」
微笑みながらそう言ってくれたソルエ。見ると、彼女の後ろから茜色の空が見えた。
「あぁ、もうこんな時間なんだ」
ソルエも窓の奥に気がついたようで、夕焼けの光を手で遮っている。
「今日は星がよく見えそうですよね」
「……夜空に浮かぶ星もさ、もしかしたら誰かの意志が作り出したものだったりするのかな? あの星はみんなの魔法なんだ」
「詩人ですね」
その言葉は無断で抱きついてきたソルエに対するちょっとした抵抗だった。しかし、ソルエは恥ずかしがる様子はなく、こう言った。
「うん。詩人だよ。じゃなきゃ5年間も星空なんて追い求めないって」
───暮れゆく空の中。スーツケースを連れたしがない旅人と、未来の魔法使いの笑い声が聞こえてくる。それは優しく、温かい、思いやりに溢れた声色だった。
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