第298話、サキリスの覚悟
家族もなく、キャスリング伯爵家唯一の生き残りとなったサキリス。奴隷でなくなったとはいえ、領地もなく、ほぼ身ひとつの状態となってしまった。
婚約者からも婚約破棄を告げられ、彼女には何も残っていない。
故郷に、家に、家族を失ったサキリスに同情する俺だったが、エクリーンさんはさらに続けた。
「あと、もうひとつ問題があるのですが……。サキリスさん、学校から退学処分を下されまして……寮も立ち退くことに」
は?
聞いていた俺たちは固まってしまった。
「どうして!?」
アーリィーが声を荒げた。思わず席を立った王子様に「落ち着いて」と俺はなだめる。エクリーンさんを見やり、極力感情を抑えて質問する。
「サキリスの退学処分の理由って何です?」
「学校側は回りくどい言い方をしていましたけれど、奴隷落ちした者が学校にいるのは周囲によろしくない……と」
何だそりゃ。これには俺も怒りを覚えた。一度でも奴隷に落ちたら魔法騎士にはなれませんってオチか? ふざけやがって!
「おそらく学校側に、余所から圧力が掛かったのでしょうね。平民でさえ王都の魔法騎士学校にいることをよく思っていない者も、世間にはいるようですから」
「クソ貴族め……! いや、失礼しました」
目の前のエクリーンさんも侯爵令嬢だ。貴族の一員を前に暴言だった。
この手の身分にうるさいのが貴族というものだ。平民出の生徒への虐めが普通にある中、一度奴隷に落ちた人間がいるとなれば、それは排除の対象と見られてもおかしくない。
サキリスを守ってくれる家もなくなった。そんな彼女を今も貴族だなどとは思わないのではないか。……一部生徒からヘイトを稼いでいたから、サキリスが学校に残っても、かえって虐めの標的になるだけではないか?
エクリーンさんは圧力と言ったが、ひょっとしたら、サキリスが領地に戻る気配を見せたり、他の貴族を頼るのを避けたいトレーム家などのキャスリング領に手を伸ばす近隣の領主たちが絡んでいるかもしれない。
連中からしたら、サキリスの存在は邪魔者でしかない。最悪、命が狙われることさえありうる。
サキリスは俯いたまま、黙り込んでいる。だがその目にはうっすらと涙が溜まっている。唇をギュッと引き締め、何とか泣かないように耐えているようも見えた。
うん――俺は髪をかいた。
悪い癖が出た。俺はいま、猛烈に、サキリスに同情している。
仕方ない。助けたいと思ったのだから。
サキリスの転落が止まらない。故郷、家族を失い、通っていた魔法騎士学校の生徒ですらなくなり、住んでいた寮を追い出された。今や彼女は文無し家無しと、ないものづくしである。
もっとも、すべてを失ったというのは間違いではある。
何故なら、サキリスはCランクの冒険者なのだ。学生でなくなったが、冒険者としての道は現状、何の障害はなく、怪我をしているわけでもないので、当面の生活費を稼ぐことに問題はない。
それに、俺たちもいる。
貴族でなくなったサキリスに対して、態度を変える者もいるだろう。が、少なくとも俺やベルさんは、これまでどおり接していく。彼女とは、別に貴族だったから付き合っていたわけじゃないしな。困っているなら助ける。そう、これまでどおりだ。
「とりあえず住むところだな。地下通路に空き部屋があるから、そこに私物を運び込んで仮の住まいとしよう」
そういえば荷物は? 俺が聞けば、エクリーンさんが答えた。
「お茶会部の部室に運び込んでありますわ」
「じゃあ、そこから移動させよう。……ああ、もちろんクロハも」
サキリスはもちろんだが、後ろに控えているクロハも驚きの表情を浮かべた。
クロハは、キャスリング家のメイドである。その仕える家がなくなった今、彼女は給料も入らない状態だ。専属メイドだから従っているとはいえ、その主人であるサキリスが文無しである。クロハも、岐路に立たされているのだ。
「まず、一息つこう。サキリスやクロハの今後については、そこで考えよう」
次は当面の食事だな。俺はアーリィーを見る。
「青獅子寮のほうで手配できるかな? 問題があるなら食費、俺が出すけど」
「それくらいならボクのほうで頼んでみるよ」
アーリィーは任せて、と胸に手を当てた。使える権限は使わないとね、と男装のお姫様は笑う。
とはいえ、ただ飯もよくないから、いずれ何らかの形で返すか、早々にひとり立ちが必要だろうがね。少しの間、面倒をかける。
「どうして……?」
ぽつり、とサキリスは言葉を漏らした。同時に、堪えていた涙が頬をつたう。
「貴方は何故そこまでして、わたくしに手を差し伸べてくださいますの……?」
どうして、と言われてもな。
魔法騎士になりたいという夢を応援したいと思った。大変な状況になったのを見たら助けたいと思った。ただ、それだけだ。
同情しているだけかもしれない。が、それはいけないことか? 放っておくわけにもいかないだろう。そう――
「放っておけなかった。それだけだよ」
そう言ったら、何故かアーリィーやエクリーンさんから生暖かい目を向けられた。何が言いたいんだ、その顔は?
・ ・ ・
サキリスとクロハの仮のお引越しを手伝う。
地下秘密通路の一角に作った部屋を彼女たちに割り当てる。仮の家具として、スライムベッドや、その他ストレージに回収して、しまったままになっていた机や家具の類を出す。シーツや服については、アーリィーやエクリーンさんにお願いしておいた。
俺が家具を並べていると、神妙な面持ちでサキリスがやってきた。
「上手く言葉にならないのだけれど……その、ありがとう、ございます」
サキリスは、頭を下げた。
「わたくしは、貴方に命を救われました。一生返せないほどの恩も……。その恩に報いなければならない」
俺は人への借りは返す主義だが、人からのお返しはあまり気にしていない。だから気にするな、と言いたいところではあるが……無理もないかなとも思う。
何せ400万ゲルドを使って彼女を助けたのだから。
「返さなくていい、なんて言っても納得できない、か?」
俺は家具の上に行儀悪く座ると、サキリスを見た。豪奢な髪のお嬢様は視線を落とした。
「ええ。それはいけませんわ。少なくとも、わたくしが嫌だと言っても、貴方にはわたくしを自由にする権利があります。400万も出して買ってくださったのですから」
「君は奴隷じゃないぞ」
「奴隷でもいい。貴方なら」
サキリスはその場に膝をついた。
「魔法騎士になりたいという夢を叶えようとしてくれた。わたくしの……その、性癖にも付き合ってくださった――」
恥ずかしげに顔をそらすサキリス。性癖という部分が、小さな声になるところが、ちょっと苛めたくなる。自信たっぷりで高飛車入っている娘が見せるこういう羞恥は、ゾクリとくるものがあった。
「わたくしは、貴方が好きです」
サキリスは言った。
「でも、貴方に並び立つような女でもない。けれど、受けた恩はお返ししたい。だから、わたくしをお傍に置いていただけないでしょうか? 奴隷でも何でも、貴方の望むままに。身も心も、貴方に捧げます……。どうか――」
深々と、サキリスは頭を垂れた。自らの人生を、俺の手に委ねる決断、そして覚悟だ。当然、俺にも責任が付きまとう。彼女の人生を引き受けることになるのだ。
元々サキリスの面倒は見るつもりでいた。だが、ひとり立ちしたら自由にしていいよ、ってね。
はてさて、どう答えたものか。
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