第3話 努力って何『量より質』
不思議でしようがなかった。なぜこんなに出来る両親から不出来の私ができたのか。
よく言うではないか。勉強も運動神経も半分ほどが遺伝なのだと。私が吸収できなかった分全て弟が吸収して生まれてきたりしたのだろうか。
今のところ周りからは、努力をしていない、と言われるのではないだろうか。努力は嫌いだ。何かに繋がるかもしれないが、繋がらないこともざらにあるからだ。先が見えないことに取り組むことに怖さも多少ある。
「今までした努力はなんだ」と言われたら中学生の時の吹奏楽部しかないのではないだろうか。あとは合唱コンクールのためのピアノの伴奏くらいだろうか。
どちらも好きだったり短期間だからできたことだ。勉強に関する努力はよく分からない。何が努力と言われるものなのだろうか。結果が優れなくても努力をしていたら何も言われないとしても評価されたり視界に入るのではないかと思う。
でもそんなに甘くない。結果が全て。中学の吹部で学んだ。努力も勿論見てくださる先生だったが結果の方がやはり比重は重い。できるために正しい速さで3回連続やるという課題を自分に課しながら励んでいた。これから分かるような正しい演奏を3回と分かりやすい数字で表しているのだ。これが私のひとつの特徴だと思う。
しかし努力というものがなんなのか分からない。
おそらく性格上何もかもが目に見えるもの、表すことができるものではないと納得できないのだと思う。だから受験勉強で質を求められてもよく分からないからいつまで経っても「今日は10時間を目標に勉強しよう」「今日は2年分の過去問を解こう」など量を重ね、質を求めることができなかった。
学力が伸びなかったのはそれが理由なのかもしれない。私は初めての模試から最後の模試まで成績は大して伸びなかったのだ。向上心が無いことが見破られていたのかもしれないが何がどうなろうと同じことをひたすらに続けていた。今思えば何がいけなかったのだろう。
分からない。
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