一章 アオいハルの憂鬱 その4

   * * *


「そんなにも沢山の命を集めて、あ、貴方あなたはどうするんですか?」

 一週間ほど前、『かまいたち』はそう問いかけてきた。純粋な興味というよりは、その場しのぎの時間稼ぎだと分かる。アポトーシスが仕事を命じた《フォールド》は皆、示し合わせたかのように同じ質問をする。だからあとに続く言葉も容易に想像がついた。

「もう十分でしょう。これ以上、僕が集めなくたっていいはずだ、……いいはずです」

「ミツバチはそんなことを考えずとも、蜜を巣に運び続けるものよ」

「それは、そうかもしれないけど。だからって、千年分も命を集めろだなんてちやですよ。百年集めるのだってやっとだったんだ。これ以上続けるのは、無理ですよ」

 無理なら死ぬだけなのだけど、とアポトーシスは嘆息する。

 かまいたちには、なるしゆんという名前があった。どうにもえない顔をした少年だ。

 成瀬は二週間前に契約を更新したばかりだった。僕は約束を果たしましたよね、と達成感すらにじませていた彼の表情が、次の瞬間絶望に染まったのを覚えている。

「そうね。確かに今のペースでは千年には届かない。二週間っていまだその四分の一にも満たないのだから。正直、失望したと言わざるを得ないわね」

 そんな、となるは泣き出しそうな顔になる。彼のほおにはあざがあった。それも今さっき出来たばかりのもので、しかしアポトーシスが付けた痣ではない。

 どうやら彼は高校でイジメに遭っているようだった。数分前アポトーシスが彼の前に姿を現したその時も、まさにリンチを受けている最中だった。

 その様子を少しの間眺めていたが、彼は一度の抵抗もしてみせなかった。

 きゆう猫をむ、という言葉もあるが、実際にジャイアントキリングに成功したねずみ数多あまたいる内のほんの一握りに違いない。すっかり震えて縮こまり、「殺さないでください」と平伏する成瀬を見ていると、そう落胆せざるを得なかった。……だが、それでは困る。

 それではなんのために彼を《フォールド》にしたのか分からない。

「成瀬しゆん貴方あなたにいいことを教えてあげるわ」

 アポトーシスは日傘越しに空を見上げた。成瀬もつられて顔を上げる。

 そこには、数人の少年達が逆さまにるされていた。成瀬をリンチしていた少年達だ。

 両足を宙にげ、全身をロープでがんがらめにし、さるぐつわを噛ませている。その拘束具のどれもが真っ黒な影で出来ていた。影は、アポトーシスの指示を待っている。

「貴方達はあと、どれだけの時間を生きることが出来たのかしらね」

「え?」なにか言いましたか、と成瀬が疑問符を浮かべるが、ただの独り言だ。

 アポトーシスがハサミで糸を切るような仕草をすると、それを合図に、逆さまに吊るされた少年達が一斉にプツンと落ちた。

 悲鳴は無い。猿轡を噛ませているからだ。恐怖に顔をゆがめ、頭から真っ逆さまに落ちていく。少年達は重力に従ってコンクリの地面に激突する、ことは無かった。そのまま地上に広がった影の沼へと落ち、沈んでいく。トプン、トプン、と飛沫しぶきの跳ねる音には多少の時間差があり、雨垂れを聞いているような趣があった。

 少年達はそのまま消えた。ヒトを殺したという感慨は特に無い。

「二百五十八年」

「……え?」

「今、影にまれて逝った彼らの寿命を合わせると、全部でそれだけになるわ。これをあと三回繰り返すだけで千年に届く。簡単でしょう?」

 成瀬は少年達の消えた影を見下ろし、それから頭上を見上げ、こちらに顔を向けた。

 その表情に浮かんでいるのは畏怖か畏敬か。彼の顔つきが少し変わって見えた。

「確かに、すごいとは思います。でも、そんなの僕には出来ない。出来ないですよ」

「初めから大きな一歩を踏み出す必要はないわ。目の前の障害を一つ一つ摘み取っていけばいい。生きるということの本質は、障害を克服することにこそあると私は思うわ」

「でも……、殺すだなんて」

「なにも殺す必要はない。必要なのはチップに換わるヒトの寿命だけ。そうでしょう? 貴方あなたの同業者も皆、そう割り切って日々命を稼いでくれているわ」

 アポトーシスは努めて、甘い言葉だけを選んでささやき続ける。

 きっかけさえあれば、人は簡単に手を汚す。そしてそのきっかけは偶然にこだわらない。

 弱みにつけ込んでもいいし、人質を取るのでもいい。殺すぞ、と脅してもいいだろう。

 必要なのは道を作ってやることだ。道を用意して、後ろから追い立ててやれば後は勝手に目的地へと辿たどく。これまでもそうやって、多くの《フォールド》を導いてきた。

 なるを動かすのに必要なきっかけは何だろうか、とアポトーシスは考える。

「そうね。貴方にとっての障害はちっぽけな罪悪感と、自尊心を脅かす恐ろしいいじめっ子達。まずはそれらを克服するところから始めてみましょう」

 アポトーシスが隣に目を向けると、そこにはもう一人、少年がるしてあった。少年はがんがらめの状態でもがいていた。仲間達の死を目の当たりにしたのだから当然だ。涙が額を伝って流れていく。貴方の命は今、彼が握っているのよ。と微笑ほほえみかける。

「さあ、見せて頂戴。成瀬しゆんとしてではなく、『かまいたち』としての貴方の力を」

 成瀬は、少年に顔を向けた。自分をイジメていた天敵が逆さ吊りになっている様を眺め、彼は一体なにを考えているのだろうか。ゴクリ、と唾を飲む音が聞こえた。

「……そうだ、克服するんだ。僕はもう今までの僕じゃない」

 成瀬の手には、仮面が握られていた。彼を『かまいたち』たらしめる異形の仮面だ。

 彼は決意をにじませた表情でそれを自身の顔へと近付けていき、ふと、おもとどまった。

「でも、ここで力を使ったら、僕が《フォールド》だってバレるんじゃないか?」

「……おかしなことを言うのね。正体を隠すために、その仮面を与えているのよ?」

「そうじゃなくて」と成瀬は語気を強めて否定する。

「今変身したら、あいつは僕の正体を知ることになる。もしも他の人に言いふらされたりしたら、また学校でイジメられる。警察にだって捕まるかもしれない。それは御免だ」

「それなら、口を塞いでしまえばいい。そうでしょう?」

 先程語った言葉とは矛盾した提案ではあったが、成瀬は「ああ、そうか」と納得した素振りでうなずいた。そうしてようやく成瀬は、ものが落ちた表情で仮面をかぶった。

 その光景はまさに、彼の言った「変身」そのものだった。

 仮面の内からあふした影が彼の全身を包み込み、瞬く間に成瀬隼の輪郭を黒く塗り潰していく。そして、ピシリ、と暗幕でかたどられた黒塗りのひとがたに亀裂が走った。

 少年は命の危機を察してかより一層暴れ始めた。影はそんな彼をつかんで放さない。少年は振り子のようにぶらぶらと揺れるだけだ。それが不意に、プツンと途絶えた。

 ピィィイ、と風が吹いた。たったそれだけで、少年の首がられたのだ。

 切断されたけいどうみやくからは、一目で致死量と分かる血液が噴き出した。そして少年の命もまた、チップとなって降り積もっていく。少年は、ちゆうりのまま絶命していた。

 銀貨の山が真っ赤に染まっていく様を見下ろし、アポトーシスは口の端をゆがめた。

「上出来よ」

『やってみると確かに、簡単なものだ』

 なるは仮面をかぶってそこに立っている。だが、先程まで臆病風に吹かれていた少年の姿は無い。仮面だけでなく、頭のてつぺんから足の爪先に至るまで異様な姿形に変貌していた。

 その容貌を一言で表すとすれば〝りゆう〟だろうか。怪物の名に恥じない異形の姿だ。

『期限はあと、二週間だったか。まあ、なんとかしてみせよう』

「ええ、期待しているわ」

 これ以上手を貸す必要はないだろう。後は彼らの仕事ぶりを陰から見守っていればいい。

『アポトーシス。貴方あなたにとっての障害とはなんだ?』

 去り際、成瀬はそう尋ねてきた。

「そうね。太陽、かしら」

 アポトーシスは忌々しげに空に浮かんだ太陽をにらんだ。早く沈んでくれないかしら、と。

 そして夜が来るのを心待ちにしながら、日傘の影に溶けて消えた。

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