第35話 秘密の約束


「そこまでよ」


 声は、サンガの足もとから聞こえてきた。

「もういいから、焼くのをやめなさい、サンガ」

 それは魔女の声だった。声の方へ目をやればそこには六角オオトカゲ――の頭のうえに灰色のミミズク。声はたしかにそこからだ。

「おもしろいもの見ちゃったわ。魔力と魔力をちょうど中和させるなんて、しかもこんなに強い魔力どうしで」

「エリー先生?」

 サンガの問いに、ミミズクは肯定のしるしみたいに目をくるりとまわした。言いつけどおり律儀に「先生」って呼ばれて満足そうだ。

「まずまずの戦いね。いちおう及第点はあげましょう。ハイヌウェレの呪いも解けたようだし」


 ひとびとと仲むつまじく過ごした日々を夢みるハイヌウェレにとって、その過剰な生命力は呪いだった。だが無尽蔵とも思えた生命の魔力もそのほとんどが死の炎と中和されてしまったおかげで、いまとなってはずいぶん頼りない。つまりは災厄って言われるほどの力はもうないってこと。

 ハイヌウェレが「たすけて」と言ったのはじつはセンビランのことじゃなくて、呪いを解く者をさがしていたのだ。自分の魔力を打ち消せるほどの力をもつ魔女を。星が流れるのをかぞえながらながいながいときを過ごして、やっとサンガを見つけた。


「はじめっからそれが狙いだったのね? まんまとだまされちゃった」

 生命の魔力がおとろえたいま、かのじょはもう豊穣の女神でも災厄の女神でもないただの妖魔だ。

「それがあなたの願いなのね?」

 ハイヌウェレは言葉のかわりにほほえみを答えにした。

「魔女か? おまえ、白い魔女だな?」

 そこへセンビランが話に割ってはいって、ミミズクに詰めよった。なにをいまさら――って言うかふんいき台無し。

「……きずは治ったようね。元気そうでよかったわ。あやうく私の弟子が殺しちゃうところだったけど」

「弟子?」

「不肖の弟子よ」ミミズクの目玉がくるりとまわってサンガを指した。「まだ魔法の制御が下手なのよね……手加減できないの、私とちがって。だからまちがって殺しちゃったりしたらどうしようって心配だったんだけど、ぶじで……まあよかったわ。サンガはつよいわよ、あなたじゃかないっこない」

 抗弁しかけるセンビランをぴしゃりと押さえて、

「勝てないとわかってる相手に戦いを挑むのは人間のわるいくせだわ」と魔女は言うけどご存知のとおり、センビランはしつこいのだ。

「白い悪魔から島をまもらねばならぬのだ、そのためならこの命をすててもよいのだ、それがマリンガ族の長たるおれの使命なのだ」

「悪魔、ねえ」

 鼻息あらい戦士にミミズクはため息をついた。

「まあなかにはわるいブリトニケ人がまじって、わるさをするかもね。そのとき先頭に立って島をまもるのは、たしかにあなたをおいてはいないわ」

「そうだろう?」

 持ちあげられるとセンビランの鼻はたかくなってしまう。もはや本能だね。 

「だから、こんなとこで命をむだにしちゃだめよ」

「むむ。それは、そうかもしれんがしかし……」

「だから私との再戦も考えないでね。島のためよ、

 センビランはぐぬうっとにがい顔して、やがてしぶしぶうなずいた。


「一件落着」

 魔女の言葉に、ハイヌウェレとサンガが顔を見あわせ、どちらからともなくわらった。ひとりエㇽダだけが不満顔だ。

「あたしの使い魔かってにつかわないでよ、この……うんこ魔女お!」

 ののしり声が夜空にひびいた。その空では白い月が雲から見え隠れして、夜の楽園をのぞき見していた。



  ***



「わたしのけらいにわるいひとがいるの?」

 ちいさな女王は頬をぷうっとふくらせた。

「そんなひとがいるならばつをあたえなくっちゃ」

 憤慨する女王の頭をなでると、魔女は立ちあがって暖炉に薪をくべた。その下で灰色になったふるい薪がくずれて、ぱきんっと音をたてた。

 ながいながい冬もようやくなかばを過ぎて、すこしずつ夜がみじかくなっていくのをみんながたのしみにしている今日このごろだけど、それでもやっぱり人も獣もひっそり巣ごもりしてしまって声の絶えた城の中庭はものさびしい。窓から見えるオーロラがめまぐるしく色をかえるのだけが夜をいろどっていた。


「あらあら、心配させてしまいましたかしら。だいじょうぶですよ、いまはちゃんと大臣が目をひからせていますから。南の島は平和なもんです、心配しなくていんですよ」

 うしろにひかえる侍女たちがうんうんうなずくのにみを投げて、魔女は女王の手をにぎった。暖炉のまえで作業していたおかげでその手はぽっとあたたかい。つめたかった女王のちいさな手はゆびのさきまでみるみるあたたまった。


「あーあ。わたしもそこにいけたらよかったのに」

 魔女のにぎった手に目をおとしたまま、いとけない女王は言った。女王は生涯この島から出ることはない。はるかむかしの戦争のすえ王室がこの国を統べると決まったとき、教会がそうさだめたのだ。歴代の王も女王もその約定にしたがって、即位したあと生涯を極北の島のなかで過ごした。

 でもこれまでの王たちは王冠を戴くまえに遊学したりして島のそとを見る機会もあったのに、ちいさな女王はそんなことをたのしむいとまもないまま女王になってしまった。おかげでそとをいちども見られない運命だ。


 魔女のてのひらのなかで寄るなく脈うつ手を、魔女はやさしくにぎった。

「私がいつか見せてあげましょう、南の島を」

「だって教会が」

「うふふ。ルールはいつか破られるものですのよ」

 いたずらっぽくウィンクする魔女から、血相変えて飛んできた侍女がばっと女王をうばいとってふるえながら抗議した。

「ななななんてことを! 神さまの罰がくだります。王権が奪われます、世界がひっくり返ります……! めったなことをおっしゃられては困ります!」

「あらら。それは困りましたわねえ」首をかしげる魔女に、

「本当に、短慮は起こさないでくださいましね」と侍女は念をおした。


 侍女にはうなずきながら、がっかり首をうなだれる女王へむかって魔女はこっそりウィンクして見せた。腕のなかで女王がぱあっとあかるい咲顔えがおを咲かせたのに侍女たちは気づかなかった。

 ちいさな女王は魔女のウィンクを約束のしるしと受けとった。ほかのだれも知らない秘密の約束は、夜空のオーロラだけが証人。




(第二章「魔法つかいの弟子」おわり。第三章「じゃじゃ馬ならし」へつづく)


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