第29話 女神の祠へいそげ


「というわけで」

 いそいで呼んだサンガとエㇽダがソファにならんですわっている。今日の魔法レッスンは中止だと魔女は告げた。そのかわりもっときつい実践編がはじまりそうだ。


 センビランが動きはじめたことに魔女はすぐ気づいた。かれの移動魔法が未熟なおかげでまっすぐハイヌウェレの祠まで飛ぶわけじゃないけどすこしずつ着実に近づいている。あと二度か三度の跳躍で辿りつきそうだ。

「たすけるんならすぐに行かなきゃ」

「……いまからじゃ間に合わないよ、歩いて三日もかかるんでしょ?」

 首を振るエㇽダに、

「なんのためにレッスンしてたのよ」

 ちっちっちっと魔女はゆびを立てた。

「こんなときのための移動魔法よ」

「うげ」

 エㇽダが顔をしかめるのは、あいかわらずさっぱり移動魔法をつかいこなせていないからだ。サンガがどんどん移動する距離を伸ばしているのに、エㇽダはほんの隣の部屋ヘの移動さえままならない。


 いいもん。移動魔法なんて、つよさに関係ないし――なんてエㇽダは強がっていたのだ。

 派手に炎を出したり、相手を斬ったりぶっとばしたり、そんなのがかっこいいし役に立つと思うんだ。移動魔法なんて、できなくってもぜんぜん平気だね。

 だから魔女があきれ顔をしやがってもたいして気にとめていなかったんだけど、今日はじめてエㇽダはもっとまじめに練習しとけばよかったと思った。後悔先に立たずってやつだ。


「ぼくひとりで行くよ。もともとハイヌウェレはぼくにたすけを求めたんだ。エㇽダまで危険な目にあうことない」

「でもサンガじゃ戦えないよ」

 エㇽダが言うとおりサンガは戦うための魔法はろくに身につけていない。だが魔女はふかく考えもしないであっさりサンガひとりで行くのを認めた。

「だいじょうぶ、なるようになるわ」

「なにがだいじょうぶだってのよ? だいたいあんたが元凶なんじゃないの? あんたが相手してやりゃいいじゃん!」

 ごもっともなご意見だけども魔女はにっこりわらってスルーする。

「さあ急がないと。あ、この首飾りはあずかっといてあげる」

 とサンガの首からとりあげたのは、オオトカゲの角でつくった首飾り。

「どうして?」

「このお守りは妖魔よけ。これから妖魔のとこへ行こうってのにじゃまになったらいけないわ。さあさ、急いで」

 なにしろこうしているあいだにも、センビランは祠へ近づいている。



「落ちついて、おしえたとおりに、ね」

 サンガは心を落ちつかせて、魔女の指導にしたがい女神の封じられた祠を思いうかべた。川をずっと遡上さかのぼって、ふるい樹々をいくつもかきわけて、山を越えて崖をふたつよじ登ってまた山を越え、そのまたさきの崖にやっとあらわれた足場。見覚えのある祠。ふりかえれば青い空が見える。下から吹きあがる風がきもちいい。――ここだ。


 そう見さだめたとき、もうサンガの移動は完了していた。はんぶん石と化したハイヌウェレと目が合った。ゆっくり立ちあがって、眼下のジャングルと蛇行する七つの川をながめた。びゅうっと風が吹いて、どこからかとんできた木の葉がまわりを舞った。オオワシの声がとどいた。耳をすませても、人間の声は聞こえない。そりゃそうだ、こんなところに人が寄りつくわけがない。そのはずなんだけど、ところが崖の下にひとつ人影が見えた。


 女神の祠のまえにひらけた、丘のうえのちょっとした広場。そこに立っていたのは、ちょうどそのとき移動を完了させたセンビランだ。

 丘でのんびり草をんでいた鹿が三頭、ぴくぴくと耳をうごかし聖域への侵入者をめずらしげに見つめた。たけのひくい草が風になびいて、濃淡の緑がざわざわと揺れた。人間がこの世にあらわれるまえから風雨にあらわれつづけた石灰岩が溶けのこって、ところどころに白く点々と散らばっていた。



 もいちどちらりと女神に目をやったあとサンガはするする崖を降りてった。けわしい崖をすべるようになめらかにふもとの丘まで降りると、荒ぶる族長のまえに立って両手をよこへひろげた、とおせんぼをするように。センビランは信じられないってふうに目をおおきくいたあと、こんどは目をほそくしてサンガの顔をじいっとのぞきこんだ。

 やがてセンビランが口をひらいた。

「おれのじゃまをするのか、サラスバティのわかき魔女よ」

 サラスバティというのはサンガの属する部族のなまえ。はるかむかしウルデンデにしたがいマリンガたちとともにこの島へ流れついた英雄のひとりのなまえ。かのじょは魔法がとくいだった。

「ぼくを知っているの?」

「おまえにはおぼえがあるぞ。遊びとはいえ、このおれを負かしただろう。それは記憶に値することだ」

 それはそれは、光栄と言うか、めいわくと言うか、その……できればわすれてあげて、センビラン。


 ……でもセンビランはこうつづけた。

「それほどの魔女がなぜにおれのじゃまをする? いまこそ七部族がみな力を合わせなければと、力を合わせて白い魔女と悪魔を追いはらわねばと思わんか?」


「魔女をたおそうってのはまちがいだよ。……まあそれはべつにいいけどハイヌウェレを吸収するのはやめてよ。どうしてもっていうなら――ぼくが止める」

 族長はわらった。心からゆかいそうなわらい声がおおきくあけた口から割れ出てあたりにひびいた。

「おもしろい。おまえに止められるか、たしかめてやろう」


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